先日、わが購読紙の読者投稿欄に『「あいさつは危険」思い複雑』という文章が掲載されていた。(原文通り)
朝のウオーキング時、出会った女子中学生に「おはようございます」と声を掛けられた。その時の笑顔がとても自然でかわいらしくて、ほっこりした気分であいさつを返した。
が、すぐに千葉で殺害された小学生のことが頭をよぎった。小学生がとびきりの笑顔で見守りのおじさんにハイタッチする姿が浮かぶ。そんな仲良しのおじさんに殺されたとしたら…。かわいい笑顔が犯罪を呼ぶきっかけになるとしたら…。
われわれ大人は、子どもたちにあいさつをどのように教えていけばいいのかと考えてしまった。私が子どもの頃は、知らない人にもあいさつをしようと教えられていたように思う。しかし、あいさつについて書かれた5月11日付の本欄「おじさん図鑑」によると、顔見知りどころか住人同士でも、「マンション内でのあいさつ禁止」になったところがあるそうだ。
あいさつは危険、するな。そんな寂しいことを子どもたちに教えなければならない世の中になったのか、と考えさせられた。
私が子どもの頃(今から70年ほど前だが)は、「あいさつは基本的な礼儀」と、学校でも家庭でも厳しく躾けられたものである。が、最近は学校や家庭で「見知らぬ人と口をきかないように」と教えているらしい。
そのせいかだろう、最近の子どもは「おはよう」と言っても無言の子が多い。中には「おはよう」と返してくれる子もいるが、多分、あいさつを返していいものかどうか、迷うのではないか。そう考えると声を掛けるのは遠慮した方がいいような気もしている。
時々、朝早く自転車で登校中の女子中学生に出会うことがある。彼女は私が声を掛ける前に「おはようございます」と大きな声であいさつしてくれる。私も「おはよう。行ってらっしゃい」と大声で言う。あいさつ一つで、さわやかな気持になれるのに、なぜあいさつしたらいけないのかな?
早朝ウオーキングをしていると、何人かの人とすれ違う。私は返事があってもなくても、誰にでも「おはようございます」とあいさつすることにしている。どちらからともなく「おはようございます」とあいさつを交わすのは1人か2人で、あとは頭をちょこっと下げるか、無言のままで通り過ぎてゆく。まさか大の大人が、「見知らぬ人と口をきいてはいけません」と家の人に言われているのかな? なーんてネ。大人がこうなのだから、子どもにあいさつをしなさいなんて言えるわけない。だから、子どももあいさつをしなくなるんだろうネ。
毎朝、玄関で出会う新聞配達員さん、若いのかと思ったら後ろ頭が剥げている。が、それほど年寄りでもなさそうだ。「おはようございます」とあいさつしても頭をちょこっと下げるだけ、はずかしい年頃でもあるまいに…。先日、いつもの通り「おはようございます」と言ったら、何と初めて「おはようございます」と声を出してあいさつしてくれた。やったー! 顔を合わせるようになって1年と9ヶ月、私もちょっと意地になって、いつかは…と思って声を掛け続けたが、勝負あり!
また、きれいな花をたくさん植えている家があって、時々ご主人に会うので「おはようございます」とあいさつする。が、いつもなしのつぶて。それが今朝、「おはようございます」と言ったら小さな声で「おはよう」と返ってきた。バンザーイ! そして花をほめてあげたらよくしゃべってくれたよ。
やはり無視されるより返事が返ってくるとうれしい。気持ちもほっこりしてくる。
こんな当たり前の風景が珍しくなって随分時が過ぎたような。ターニングポイントはこの辺り。オールドレデイさんのさり気ない継続の見事な成果、そう!良いと思ったら自信をもって続けましょう。
挨拶」はとても嬉しい意思の疎通手段です。sirousagiも実行して楽しい経験ばかり
不幸な出来事が無い事を祈りつつ、性善説を信じて
すぐ横を通り過ぎるのに無言というのはどうも…。「おはよう」の一言をいうのにそんなに勇気が必要ですかね。
だんだんと年寄りが少なくなり、子どもに教える人も叱る人もいなくなったら、道徳感に欠けた殺伐とした社会になってゆくのではと…。ますます人間関係も希薄になりますね。
返事がなくともやっぱり挨拶すると気持ちいいです。
ヤマトの宅配にとても気持ちのいい青年がいます。「寒いから風邪ひかないで」と言ってくれたりすると、本当にうれしくて、私も「ありがとう、ご苦労様」と言います。口先だけの言葉ではなく、心から感謝したくなりますね。
こうしたちょっとの心遣いで、とてもいい気分になれるし、彼らだって疲れ具合が違うのではと思います。