先週のわが購読紙のコラム『ふる里の風景』は「そろばん」であった。(原文通り)
かつてそろばんは日常生活に欠かせないものだった。僕らが子供の頃は、そろばん塾の看板や貼り紙も町の方々で目についた。もちろん塾に通う子供たちも大勢いて、小学校の算数の時間でも必須科目だった。
登校中ランドセルからはみ出たそろばんを見て、近所のおばちゃんに「今日はそろばんかい…」などと声をかけられたりもしたものだ。また、学校の廊下でローラースケート代わりにして滑っていて、先生に怒られた、というようなそろばんの“使い方”もあった。憶えのある人も多いはずだ。
安価な電卓が登場してから、そろばんの使用頻度は減ったが、それでも「右脳を鍛える」などの存在価値で、電卓や計算機能の付いた携帯電話などとともに、うまく共存しているようだ。
私が小学生の頃の習い事といえば、そろばん、習字、絵画で、私も小学校2年からそろばんと習字を、絵は少しの間だったが教室に通ったことを覚えている。が、それも小学生の時だけである。
そして高校が商業高校なので、またそろばんを始めることになった。珠算三級、簿記三級は必須科目で、卒業までに資格を取得しなければ単位をもらえない。だから珠算3級、簿記2級は取得した。
昭和34年に卒業。当時は就職するには簿記はともかく、そろばんができなければどうにもならない時代、なんとか3級でも取得しててよかった。
電卓が一般家庭に普及し始めたのはいつ頃だろうか。私は昭和48年から家計簿をつけているが、まだ長さ15㎝くらいの小さなそろばんを使っていた。その後、パソコンの家計簿ソフトを使うようになってからそろばんの出番は無くなってしまった。
計算するにはそろばんを使うか、暗算するしか知らなかった時代から、簡単、便利な電卓が安価で手に入れられる時代となった。が、これからもまだまだそろばんは生き続けるであろう。
私は早朝ウオーキングのとき、脳トレの一貫として「頭の中のそろばん」で暗算をやっている。1~10、11~20…と、91~100まで。そして次は100~91、90~81、80~71と逆に足し算してゆくのである。
始めてから1年くらいになるか。頭が冴えているときはスムーズにいくが、睡眠不足の時や気分がすっきりしない時は何度やってもダメ。「頭の中のそろばん」が消えてしまうのである。暗算は「頭の中のそろばん」の玉がはっきり浮かんでいなければできない。最近は一回で正答が出ないことの方が多くなってきた。
これからますます脳の老化は進むだろうし、そのうち「頭の中のそろばん」で暗算することもできなくなるだろう。が、現物のそろばんなら、今でも足し算、引き算、掛け算、割り算などの見取り算はできる自信がある。
そろばんは頭を使い、指先を動かすから脳の老化防止にはぴったりだという。「頭の中のそろばん」がまったく使いものにならないうちに、そろばんを買おうかなあ。
必死になれば形式のあるものは身につくものですね。
芸術的閃きや感性は努力以外の何か!?が支配しているようですが。
そろばん」と聞くといつも60年近い昔の頑張った自分を思い出します。
感傷に浸る間もなく脳トレでもしっかりやらなくてはボケ寸前の我が身!
まあnhkテレビ「算盤侍風の市兵衛」見て楽しんでいるようでは危機感足りませんね
小学校では今も必須科目だそうですね。いくら電卓が優れていても、そろばんにはそろばんの良さがあるのでしょうね。
脳トレには最適、頑張らなきゃ…。
今、そろばんをどこで買えばいいのか分かりません。アマゾンにはありますが…。
suri-ribaさんとは古いお付き合いのようですね。女性同士の友情はあり得ない、なんて言われますが、私にも40年近い親友がいます。大事な人です。