2日のわが購読紙の投書欄は『桜宮高の体育系募集中止』についてで、一般読者の賛否両論3件ずつの意見が掲載されていた。
今回の市教委の決定に賛成という3人は、「理想教育のため当然の中止」・「子どもの視点に立つ教育を」・「学業と両立する部活模索を」という題で意見を述べていた。が、いずれも教育委員会や校長、教師の責任を問うもので、子どもの立場ではなく大人の視点での理想論に終始しているように思えた。肝心の「なぜ入試中止は当然なのか」、そういう疑問に対する答えとなるものはなかった。
一方、決定に反対の3人の意見を要約すると、「結論を急ぐ必要があったのか。入試中止や教員の入れ替えなどで済まされる問題ではない」・「自殺した生徒のメッセージは十分に分析されたのか。なぜ教育委員会は、自らの指導で保護者の集会を開き、顧問の指導信念や保護者たちの意見を聞こうとしなかったのか」・「このたびのことで反省しなければならないのは市教委と、特に校長や、体罰を見てみぬふりをした教師全員ではないか。中止になったことで、自殺した生徒が悪者にされかねない。あの少年のために、自分たちの進路が閉ざされたと考える生徒がいるかもしれない。もし私が自殺した子どもの親だったら、自分の子どもが命をかけて訴えたことを簡単に募集中止で閉じるのではなく、もっと生徒たちの意見を聞き、話し合い、せめて今年の入試は実行してあげてほしかった」という意見で、子どもの側に立った考え方に共感を覚えた。
また翌3日、『橋下市長の判断、対応に疑問』という73歳の男性の投稿文が掲載された。(原文通り)
【大阪市立桜宮高校の体育系学科募集中止についての橋下大阪市長の判断と対応に、疑問を持っている。
市長は教育委員の任命権者であると同時に、学校運営予算の執行権も持っている。これらの権限は私物ではない。市長は「私の言うとおりにしないと予算の執行を行わない。予算は私が持っている」と言っていた。「私の言うことが気に入らないなら選挙で落とせばよい」と、権限を大上段に振りかざした姿には、本当に幻滅した。
橋下市長は過去に大阪府知事選挙、大阪市長選挙の両方で大勝した。だから、府民、市民は自分の思うようになると勘違いしてはいないか。これはおごり、たかぶり以外の何ものでもない。
府知事、市長を当選させるも落とすも府民、市民です。大阪の皆さん、橋下市長に今回の判断を白紙で全権委任しているのですか。私は部外者ですが、どうにも我慢できない感情が強く沸いています。
橋下市長の独裁者のような振る舞いに、強い嫌悪感を抱く。】
そう、私の言いたいことを言ってくれた。募集中止が妥当かそうでないかは、専門家でもない私には分からない。が、大の大人が雁首そろえて出した結論が「体育系学科募集中止」とは、あまりに知恵がなさ過ぎる。何の罪もない受験生を犠牲にすることが学校を変える最善の方法なのか? 新入生を迎えた上で、学校再生の手立てを考えるのが大人の知恵であり、責任というものだろうに、監督責任の怠慢を指摘され、橋下市長のごり押しに逆らえず、双方の面子がたつように“すばらしい決断”をした情けない市教委への憤りと、今回の決定に至るまでの橋下市長のおごりたかぶった、横暴とも思えるような言動の数々が不快でならない。
評論家の鳥越俊太郎氏が毎日新聞に『王様の言いなりに』と題したコラムを書いている。鳥越氏は橋下市長がアンデルセンの童話「裸の王様」に見えたというのである。
鳥越氏は「体罰問題と入試の問題はどう考えてもつながらない」・「入試をやめれば体罰問題が解決するなんてことはあり得ない」という。鳥越氏の意見は至極最も、この問題を論議する上での最大課題はこれにつきると思うのだが、なぜ専門家や識者の中に、こういう提議をする人がいないのも不思議である。
また、「橋下市長の入試中止措置に真っ向から反論したのは桜宮高校の在校生だけでした」と書いてある。これについて教育評論家の尾木氏は「ご遺族の心情考えているの」「命の重みわかっているの」と憤慨したという。が、誰でも自分のことが一番大事であり、遺族の心情を慮る気持ちはあっても、自分たちのいいたい事を我慢するという子どもがいるものか。未熟な子どもに大人の分別を求める方がおかしい。手段はともかく、受験生や在校生の言葉に耳を傾けてやり、その上で、生徒たちの考え方が間違っているなら、それを正してやるのが教育に携わる者の役目であろう。教育評論家ともあろう人が、一方的に子ども達を批判するのは大人気ない。
後に報道されたことだが、市教委が今回の決定をする2日前、橋下市長は市教委が中止しない場合には、予算不執行の是非を争点に民意を問う「出直し市長選」に打って出るとの意向を示し、周囲に止められたという。私の独断と偏見、穿った見方をすれば、橋下市長は次の参院選に出たくてたまらないのだが、中途で市長を辞めるわけにはゆかない。そこで、いい口実が「出直し市長選」である。再選されればそれもよし、彼の権力は絶大なものとなり、やりたい放題できる。また、落選すればそれこそ誰にも文句を言われることなく堂々と参院選に出馬できる。あの前宮崎県知事・東国原氏がそうだったように、政治に首を突っ込んで権力の味を覚えると地方の首長では物足りなくなる。それが野心に燃える男の常道ではないだろうか。
3日、桜宮高校普通科の入試説明会が開かれた。が、校長の更迭だけで、バスケ顧問や見てみぬふりをした教職員、監督責任を怠った市教委員の誰一人として責任を取ったとは聞いていない。それで学校改革ができるのか、受け入れ態勢が整ったといえるか。橋下市長もあれだけ大言壮語したのだから、関わるなら最後まで責任を持つべきだろう。
鳥越氏のコラムは【裸の王様に大人は言いなりになっただけでした。】で終わっている。痛快な表現がおもしろい。が、橋下市長はブログで反論、文面を読むと怒り心頭というのがよく分かる。でも、この人は自分の意見に同調しない人は徹底的にやっつけてやろうという悪い癖があるようで、文章には品性のかけらもない。
「問題の顧問を残してほしい」嘆願書も中止らしいです。
今まで「形骸化した聖域の教育委員会」制度にメスを入れないと・・という思いがあると思います。
柔道界も膿をすべて出し切って再生してほしいです。
今日から中止されていた部活が再開されることになったそうです。部活の教師や顧問は変えたそうですが、ただ体育科を普通科に変えただけで問題は解決したのでしょうか。
橋下市長は鳥越氏に「決定したのは市教委だ」と反論していますが、橋下氏の脅しのような発言がなかったらこうした決定にはならなかったかもしれません。
結局、馬鹿をみたのは受験生だけでした。