昨日お昼のワイドショーで、懐かしい映画の「典子は、今」という題名を耳にした。20年以上も前だが、私もテレビで見て感動したことを思い出した。
この映画は、1981年に松山善三監督、サリドマイド児の辻典子さん本人が主演して、典子さんの日常を描いたドキュメンタリー映画である。サリドマイド児は、サリドマイド製剤の睡眠薬や胃腸薬を服用した母親の胎内で薬の影響を受け、四肢や耳に先天的な障害を受けて生まれた子どもである。1962年に薬の販売は停止されたが、回収が徹底しなかったため、1959年から1969年の間に全国で309人の男女が出生した。辻典子さんは1961年1月、両腕が退化したサリドマイド児として誕生した。「人間には手と足が二本ずつあるのだと私がはじめて気がついたのは五歳の時でした」と、彼女は言った。
レポーターの山本晋也監督の前で、彼女が足で名前を書いて見せたが、私たち健常者でもかなわないくらいのきれいな字を書くのにはビックリした。彼女は手の代わりに上手に足を使って、器用に日常生活をこなす。「わたし、やってみる! 恥ずかしくなんかない。やってみる!」という映画のセリフのとおり、どれだけの努力の積み重ねをしてきたのであろうか。だが、ただ一つできないことがあった。それはトイレ使用で、母親が16年間学校へ付いて行き世話をしたという。そんな典子さんも中学校で初恋を体験した。教科書をカバンに収めるのに手間取っていたとき、黙って近付いてきて手伝ってくれた彼で、「名前は秘密」となつかしそうに笑顔で話す。
やがて高校を卒業して熊本市役所へ就職し、サリドマイド被害者として全国で初めて公務員となった。1982年には運転免許を取り、1983年に障害者のサークルでボランティアをしていた現在のご主人と結婚、翌年に長女を出産した。
それからは一切の取材を断ってきたが、子育てが一段落した40歳過ぎから心境に変化が現れた。自分を客観的に見つめられる余裕ができ、「映画を見てくれた人たちの感想を素直に受け入れられるようになった」という。3月に約25年間勤めた熊本市役所を退職したのをきっかけに、障害者の力になりたいと講演活動を続けている。支援してくれる仲間に励まされて、生き生きと活動する彼女のどこにも障害者というイメージは感じられない。
インタビューの中で、彼女は、普通の学校へ行けたこと、働く場所を与えられたことがとてもうれしかったという。そして、「もし今腕があったら」という質問に、そばにいる長男の亮平君(11歳)を見て、「抱きしめたいですね」と言った。この言葉は、子どもへの愛情いっぱいのあふれる気持ちを表しており、また、かなわぬ母の切ない願いでもあろう。この長男の亮平君はよくできた子で、買い物の手伝いなど、母の両腕となって助けているという。長女は21歳、現在イラストアニメ専門学校生である。
最近「典子44歳 今伝えたいこと」という本を出版したそうであるが、昔の辻典子さんから白井典子さんになって、一段と魅力的な凛とした姿が見られたことは、昼間のワイドショーもまんざらでもないと思った。
この映画は、1981年に松山善三監督、サリドマイド児の辻典子さん本人が主演して、典子さんの日常を描いたドキュメンタリー映画である。サリドマイド児は、サリドマイド製剤の睡眠薬や胃腸薬を服用した母親の胎内で薬の影響を受け、四肢や耳に先天的な障害を受けて生まれた子どもである。1962年に薬の販売は停止されたが、回収が徹底しなかったため、1959年から1969年の間に全国で309人の男女が出生した。辻典子さんは1961年1月、両腕が退化したサリドマイド児として誕生した。「人間には手と足が二本ずつあるのだと私がはじめて気がついたのは五歳の時でした」と、彼女は言った。
レポーターの山本晋也監督の前で、彼女が足で名前を書いて見せたが、私たち健常者でもかなわないくらいのきれいな字を書くのにはビックリした。彼女は手の代わりに上手に足を使って、器用に日常生活をこなす。「わたし、やってみる! 恥ずかしくなんかない。やってみる!」という映画のセリフのとおり、どれだけの努力の積み重ねをしてきたのであろうか。だが、ただ一つできないことがあった。それはトイレ使用で、母親が16年間学校へ付いて行き世話をしたという。そんな典子さんも中学校で初恋を体験した。教科書をカバンに収めるのに手間取っていたとき、黙って近付いてきて手伝ってくれた彼で、「名前は秘密」となつかしそうに笑顔で話す。
やがて高校を卒業して熊本市役所へ就職し、サリドマイド被害者として全国で初めて公務員となった。1982年には運転免許を取り、1983年に障害者のサークルでボランティアをしていた現在のご主人と結婚、翌年に長女を出産した。
それからは一切の取材を断ってきたが、子育てが一段落した40歳過ぎから心境に変化が現れた。自分を客観的に見つめられる余裕ができ、「映画を見てくれた人たちの感想を素直に受け入れられるようになった」という。3月に約25年間勤めた熊本市役所を退職したのをきっかけに、障害者の力になりたいと講演活動を続けている。支援してくれる仲間に励まされて、生き生きと活動する彼女のどこにも障害者というイメージは感じられない。
インタビューの中で、彼女は、普通の学校へ行けたこと、働く場所を与えられたことがとてもうれしかったという。そして、「もし今腕があったら」という質問に、そばにいる長男の亮平君(11歳)を見て、「抱きしめたいですね」と言った。この言葉は、子どもへの愛情いっぱいのあふれる気持ちを表しており、また、かなわぬ母の切ない願いでもあろう。この長男の亮平君はよくできた子で、買い物の手伝いなど、母の両腕となって助けているという。長女は21歳、現在イラストアニメ専門学校生である。
最近「典子44歳 今伝えたいこと」という本を出版したそうであるが、昔の辻典子さんから白井典子さんになって、一段と魅力的な凛とした姿が見られたことは、昼間のワイドショーもまんざらでもないと思った。
文章から、貴女も典子さんと同じように前向きに生きておられるステキな女性の印象を感じました。
典子さん負けない素敵な人生を生きてくださいね。
貴女のブログにアクセスしたいのでのですが、TBしてくださるか、URLを教えてくださいませんか。これからも色々お話してみたいと思います。よろしくね。
典子さんのことを知っているならわかると思うんですが、典子さんは本当はこういう風に障害のことを取り上げてほしくないんですよ。
僕も障害を持っているのでわかるんですが、できれば周りには隠しておきたいと思うものです。
日本人は、集団と違うものを排除したり、後期の目に晒したりするのが大好きですから。
だれでも障害者なんかには好きでなりたくはないし、ただ、平穏無事にささやかに幸せに暮らしたいと思っているものです。
わかりませんか?そのくらいのこと・・。
おっしゃることはよくわかりますが、典子さんは1人の人間として立派に生きていらっしゃいます。
決してご自分を人目にさらしたくないなんて思ってはいないと思いますよ。
そんな心の狭い方ではないと思いますし、同じように障害を持った方たちのために活動していらっしゃることを私は尊敬しています。
興味本位で取り上げたつもりではないのですが、あなたの気持ちを傷つけたのならお詫びいたします。ごめんなさいね。
ホーキング青山氏を見習ったら?
私の場合は手がある
10年も昔の古いブログを読んでくださってありがとうございます。
障害者の方のことを良く知らないのに生意気なことを書いてご気分を悪くしたならごめんなさいね。
でも、健常者も及ばない典子さんの凛とした生き方には感動を覚えます。