わが購読紙に、毎週日曜日掲載の、エッセイスト・飛鳥圭介氏の『おじさん図鑑』というコラムがある。私が初めて読んだのは2007年の初め頃だったと思うが、それが同年10月に一冊の本になって出版され、好評だったと聞いている。
ネットに、「内容を要約すると、おじさんたちの妄想、夢、希望、失望、怒りなどを織り交ぜて現実の生活の中での喜怒哀楽を描いたものである。時にはしんみりとした哀愁を誘い、時には抱腹絶倒、人生の微妙な機微をしっかり掴んでいて、これが何とも人間味に富んでいて、週一の連載が待たれる読物である」とあったが、まさにその通り、私も大のファンで、毎週日曜日を楽しみにしている一人である。
今月6日の『おじさん図鑑』の見出しは【年齢】、「無理やり若く、は気味悪い」であった。原文どおり紹介しよう。
【若さはそれだけで大きな価値だ。無限の可能性と希望にあふれている。若い、というだけで誰もが輝かしく魅力的である。しかし、若さの真っただ中にいる人は、その価値にほとんど気がつかない。若い人に若さの価値を大切にしろといったところで、相手にされないだろう。昔のわしらもそうだったように。
ただ、いくら価値があるからといっても、一度通り過ぎた若さは取り戻ることはできない。若々しくあることはできても、若くはなれないのだ。
「美魔女」とかいう女性がマスコミに取り上げられる。いつまでも若く、美しくありたいと願う女性が、さまざまな手を尽くして若さと美貌を保持し続けているらしい。しかし、そういう女性がほんとうに魅力的なのだろうか。なぜ年相応の美しさではいけないのか。中年には中年の、高年には高年の価値があり、それで輝くことはいくらでも可能なはず。実際はいい年なのだから、無理やり若く見せるのは不自然ではないか。気味が悪い。
80歳で世界一の高山などに登らなくてもいいのと同じ、とおじさんは考える。年齢不相応の無理を見せ付けられると、ただただ痛ましい。】
頭をガーンと一発殴られたような気持ちだった。「若々しくあることはできても、若くはなれない」、ほんとうに“おじさん”のおっしゃるとおりである。でも、ババも含めてだが、多分、女性は若々しくすることで若くなったような気でいるのだと思う。
今どき、年相応に地味な格好をする女性は珍しい。年を追うごとに派手な服装や髪型をするのは、女としての最後の“あがき”なのかもしれない。ババも若いときには、黒かグレー、ベージュなどブラウン系統の服しか着なかったが、今頃になって明るい色の洋服を着たいと思うことがある。だが、いざ着てみると、着たことがないからまるで似合わないから悲しくなる。それでも、流行語の「今でしょ!」とばかりに、少々無理してでも着ているババ、お願いだから気味が悪いなんていわないで! 水の中に入れば分かりはしないと、水着なんて、若い娘さんに負けない派手な色柄の水着を着ている。だが、これは私だけではなく、往々にしてみんな水着は派手である。
「年相応の美しさがある」。たしかにそうだが、楚々とした色白の美人ならまだしも、「年相応の美しさ」を出そうとするのは意外と難しい。「人生の年輪」といえば聞こえはいいが、シワだらけで色黒の顔、おまけに白髪頭ときては、とても「年相応の美しさ」などほど遠い。
「実際はいい年なのだから、無理やり若く見せるのは不自然ではないか。気味が悪い」といわれれば、穴がなければ掘ってでも入りたいくらいである。でも、男性はいいよね。「男の顔は履歴書」で、深いシワも「人生の年輪」として評価される。ついでに言えば「女の顔は請求書」という言葉もあるそうで、男からみた女は美人か否かという判別だけでそれ以外のものはないと。そりゃあ、あんまりだろ!
さらに、“おじさん”は「年齢不相応の無理を見せ付けられると、ただただ痛ましい」とおっしゃる。だが、昔から「誰に見しょとて紅かねつけて」と、女性は殿方のためにひたすら涙ぐましい努力をしてきたのである。どんなに年を重ねても若々しくありたいと、痛ましいほどの無理をするのも殿方のため、そんな女性を気味が悪いってあんまりですよ。
きっと“おじさん”の奥方は、年齢不相応の無理などしなくてもいい美人なんでしょうね。
誰でも、年齢より少しでも若く見られたい!と願うのが正直な想いでしょう。
おじさん図鑑」の筆者に質問したいです。若返る男性用ハウツウ本の出版も続々の現象は?
“おじさん”は大胆な発言をして、女性を敵に回してしまったのでは、と心配してあげています。
真実であるだけに、本気で怒ることもできませんしね。
私など気持ちの上ではまだ40歳くらい? が、自分の顔を鏡で見て72歳の現実を思い知らされています。
まあ、人から見て気味が悪いというのよほどのことでしょうが、大目に見ていただきたいですね。