私たちが教科書で学んだ中国は、数千年にわたる悠久の歴史を誇る国、孔子や孟子に代表される儒教を尊ぶ国であった。孔子は「仁」を唱え、孟子は、孔子の「仁」を発展させて「仁義」を説いている。ものの書によれば、「仁」とは「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、「義」は「人間として当然踏まなければならない正しい道」をいうとある。孟子は「仁は人の心なり、義は人の道なり」と説いている。が、今の中国には、こうした道徳の基本である論語の精神は、もはやどこにも見られなくなっている。
コピー商品の氾濫、有害物質入りの冷凍食品、尖閣沖で巡視船への体当たりなどなど、過去の事例を見ると、現在の中国は道徳観の欠如が著しい国という印象しかない。
あるサイトに『中国は文化大革命の時期に、中国の古来より伝わる全ての伝統と文化と道徳を破壊しつくしてしまった。だから、現在の中国には古来の伝統と文化、道徳を伝承する人がいない』とあった。が、中国がどんなに傍若無人な国であろうと、世界第2位の経済大国であるという歴然たる事実はどんな批判をも跳ね返であろう。
前置きが長くなったが、今、中国社会で1つの事件が波紋を広げている。22日の記事から。『中国広東省仏山(ぶつさん)市で車にひかれた後、通行人からも放置され、瀕死の状態で病院に搬送された2歳の女児が事故から9日目の21日未明、死亡した』。
詳しくは『2歳児ひき逃げ事件「我関せず」映す 中国社会にはびこる「義を見てせざる勇なき人々』を読んでいただきたい。このひき逃げ事件の一部始終は事故現場の道路に設置されていた監視カメラに録画されていたそうで犯人は間もなく逮捕された。が、テレビで監視カメラの映像が流れ、18人もの通行人がこの女児を無視して通り過ぎたことが判明、大きな反響を呼んだという。
中国には『二人不看深井』ということわざがあるそうで、直訳すると「2人で井戸を覗くな」ということだとか。1人が井戸に転落したときに、もう1人が必ず疑われる。面倒になりそうなことにはかかわるなという意味だそうである。中国では、昔から見て見ぬふりが当たり前という風潮があるそうだが、近年では裁判にまで発展するケースもあるという。
2006年11月、江蘇省南京市で、バス停で転倒して骨折した高齢女性を通りかかった男性が心配し病院へ運んだが、その女性が「骨折したのは男性に突き倒されたからだ」と主張して裁判沙汰に。結果は、なんと男性側の敗訴。約4万5000元(約54万円)の賠償が命じられたという。
さらに2009年11月には、重慶市で中学生の男子が、街で倒れていた高齢者を助けたところ、「お前が倒した」として因縁をつけられた。裁判沙汰になったが、目撃者の証言も多数あって原告側が訴えを取り下げたが、この男子は、両親に「人助けなんてするもんじゃない」と嘆くようになったという。
この2歳児ひき逃げ事件では、救助した19人目の通行者である老婦人の名前が報道されると「売名行為」と誹謗する者が現れ、それがネットで広がり、老婦人は心身ともに疲れ果て故郷に帰っていったという。「見てみぬ振りが当たり前」という風潮も問題ではあるが、こうした心ない卑劣な人間はより責められるべきである。
幸いといおうか、まだ日本人の道徳観はここまで落ちてはいない。それでも「小さな親切 大きなお世話」と言われるように、よかれと思ってやった親切が裏目に出たという話はよく聞く。
おせっかい、大いに結構。人の災難に出遭ったとき、見てみぬふりをしない勇気をもちたい。
中国は道徳心を、日本は強い覚悟(世界平和や国益の為に)を持たねばいけないと記事を読んで感じました。
いつも勉強になります
モラルの低下は日本も同様ですが、中国は特にひどいですね。
私も上海に行ったとき、つくづく中国人には幻滅を感じました。もう中国には旅したくないと思いました。
やはり、その国の人に幻滅すると、その国をたずねようという気にはなれませんね。
最近はコメント欄がなくなりましたが、迷惑なコメントでもありましたか?
個人的にコメントの返信に時間をとられ過ぎてたのです。