いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

弁天島から見た日本海

2012年01月03日 | 気になる場所、風景

 弁天島から見た日本海です。かなたに灯台、そしてもっと遠くに起伏のある山々が見え、とても美しい風景です。みすゝ゛さんもこの海を見ていたのでしょうか?さすがに灯台はなかったかな?

 昨年は大好きな海をはじめとし、絵をほとんど描きませんでしたが、今年は復活させたいです。


弁天島

2012年01月03日 | 気になる場所、風景

 金子みすゝ゛さんも大好きで、詩にも書いていた仙崎地区の弁天島です。ごらんのとおりかわいらしい島です。今は人口島にちょっとくっついたかたちになっています。弁天島には「厳島神社」があり、仙崎地区の守り神になっています。

 弁天島の詩ではありませんが、土の詩を掲載します。なんだか元気になれそうです。

こツつんこツつん
打たれる土は
よい畠になつて
よい麥生むよ。

朝から晩まで
踏まれる土は
よい路になつて
車を通すよ。

打たれぬ士は
踏まれぬ土は
要らない土か。

いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。


帰りました

2012年01月03日 | 日記

 横浜に帰ってきました。

 主人の実家から、近いところにあったため、金子みすゝ゛記念館に行くことができました。金子みすゝ゛さんは感性豊かで非常にかしこく、のびやかな人生を送っていました。広い視野を持ちながらも、身近なもの、小さなものへの目配りも細かく、詩によって丁寧に言葉をつむいでいました。しかし彼女は若くして自ら命を落としました。そういう選択はよくない、とはいわれますが、彼女の場合、本当に気の毒すぎる状況でした。詩作よりも商売に熱心だった夫に、詩を作るのをやめるようにと言われました。そして、愛娘を自分の手でのびやかに育てようと考え、理解のない夫と別れたものの、娘の親権を夫に要求され、当時の時代背景からその要求を受け入れざるを得ないような状況でした。その前日の、彼女の愛娘への接し方は、涙をそそらずにはえられないようなものでした。そういうなかでも他の選択肢がなかったのか、と、今なら言えるのかもしれませんが。。。現在金子みすゝ゛さんが生きていたら、ずっと幸せな人生を送れたにちがいありません。実際に彼女へのお手紙コーナーという所には、友達になりたかったということばがたくさんありました。私も友達になりたかったです。

 ちなみに私自身の行動を振り返ってみると。。。反省点ばかりです。今年になってマイナス思考?いや、そういうつもりではないのですが。向上心を持ちながら、がんばっていきたいです。

 一番好きな詩(歌もあります)「星とたんぽぽ」です。

星とたんぽぽ


青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

散つてすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だぁまつて、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。