フィリップ・ボール著、夏目大訳の『音楽の科学~音楽の何に魅せられるのか』という本の「音楽はなぜ人を感動させるのか」から引用です。
音楽が私たちに何らかの感情を起こさせることは確かだ。喜びや悲しみなど、わかりやすい名前のついた感情ではないが、とにかく、感情は起きるのだ。経験した人なら、その感情がどういうものだか自分ではわかるはずである。あえて言葉で表現するとすれば、興奮、高揚感、あるいは驚嘆、そういう言葉を使うしかないような感情である。別の言い方をすれば「その音楽を聴けることに対する喜び」ということになるかもしれない。
(中略)
「悲しい音楽」や「怒りに満ちた音楽」というのはあるが、私たちはそういう音楽を聴いて、日常生活と同じ意味で悲しんだり、怒ったりするわけではない。それは考えてみれば不思議なことだが、音楽によって生じる感情が、先に述べたような言葉で表現しにくい類のものだとすれば、その謎は少しは解けるだろう。(中略)音楽によって感じる「悲しみ」は、実は「悲しみについて深く考えること」に近いのだ。キヴィによれば、たとえ悲しみが表現されている音楽であっても、それを聴いて私たちが抱く感情は、高揚感や喜びに近いものであるという。
(ここまで)
音楽を聴いて生じる感情は「その音楽を聴けることに対する喜び」かもしれないという指摘と、後半部分の感じかたに対する指摘の鋭さと的確さに心動かされ、引用した次第です。音楽を聴くと気持ちよくなったり、なんだか哲学的になってしまうことがあるのはそういうことなのかもしれないな。音楽について言葉にしようとするのは感情について言葉にしようとしているような気がして難しいのもそこからきているのかもしれない。
著者のフィリップ・ボールさんは学生時代に音楽の演奏に没頭していたサイエンスライターで、「ネイチャー」誌の編集顧問です。分厚くて難しいところもあるのですが面白い本です。
「白鳥の歌」と呼ばれているマズルカで、ショパンが最後に作曲した曲です。松本さんのリサイタルで初めてちゃんと聴きました。かつてなら物足りないと感じていたかもしれないこの曲、とても美しく濃厚な曲だと感じました。
ルービンシュタインの演奏です。
ルービンシュタインの他のマズルカもたくさんアップされていました。CDで何度も聴いていた曲もあります。それにしてもYoutubeが出来て、端末さえあれば多くの演奏がすぐに聴けるようになりました。まことにありがたい話なのですが、カセットやCDを聴いていた時期がなつかしくも感じられます。技術の進歩へのありがたみとともに、演奏家や芸術へのありがたみの感覚が薄れないように、大切に、と思います。
先週末にピアノリサイタルに行ったのですが、またリサイタルに行ってきました。こういう日が続くといいですね(殴)。
今日は松本和将さんのリサイタルでした。昨年のリサイタルは、演奏の合間合間に趣旨や選曲のきっかけを丁寧に話されていて、親しみやすかったうえに、ソナタをはじめとして演奏も素晴らしかったのです。選曲から今年も期待できそうな気がしていました。松本さんの演奏に最初に出会ったのは学生さんの時に日本音楽コンクールでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で情熱的な演奏をして優勝した時でした。演奏前の準備段階から演奏そのものまで印象深く、将来大物になりそうな人だと感じていたところ、たちまちCDも出され、さすがだと感じた記憶があります。ものすごい集中力を持った方だという印象もあります。
今日のリサイタルは3年がかりでショパンと向き合ってきた松本さんのショパンシリーズの最終章「苦悩から昇華へ」でした。繊細で感じやすい内面の葛藤や苦悩にまっすぐに向き合い表現してきたショパンが、最後に向かおうとしたところは、自分の人生を顧みながら見つけた、誰にも打ち明けられなかった心のうちを音楽でそっと打ち明けることだったのではないだろうか、ということでした。前半は、彼の内面の葛藤や苦悩をえぐりだした大曲、後半はそれらの過程を経て至った人生の晩年の作品群でした。松本さんは今回も演奏曲やショパンの人生に対して熱く語られており、選曲への真摯な姿勢が感じられ勉強にもなりました。
こちらも私個人の感想だということをお断りしておきます。誤解を生じさせるところがあったら申し訳ありません。
プログラムは以下の通りです。
バラード第1番 ト短調 Op.23
バラード第3番 変イ長調 Op.47
ノクターン第13番 ハ短調 Op.48-1
バラード第4番 ヘ短調 Op.52
休憩
幻想曲 ヘ短調 Op.49
ワルツ第6番 変二長調 Op64-1 「子犬のワルツ」
ワルツ第7番 嬰ハ短調 OP.64-2
マズルカ ト短調 Op.67-2
マズルカ ヘ短調 Op.68-4
ノクターン第18番 ホ長調 Op62-2
ポロネーズ第7番変イ長調 Op.61「幻想」
アンコール
ワルツ第9番変イ長調Op69-1「別れのワルツ」
前半は大曲がごっそり。しかしそれぞれの曲の特徴をしっかりつかんでいました。嵐のように激しい箇所の盛り上がりは言うまでもなかったのですが、その合間にさしている光の部分の表現が素敵でした。盛り上がるところがはっきりとさせていて、それ以前の部分は微妙に波打たせながらも歌いすぎずうまく抑えていたところも見事だと思いました。実はこれは私自身の課題なのです。どこもかしこも歌いすぎて却って何が言いたいのか分からない、ということになりがちだと、よくレッスンでいわれているので(汗)
後半、幻想曲からやられました。この曲、今まではどちらかといえば激しく盛り上がる部分のみに注目していたのですが、今日は新たな魅力発見。情熱的な嵐の合間にある抒情的な部分の美しさ、ショパンの心にすっかり寄り添って語りかけているようで素晴らしかったです。一方情熱的な部分はテンポが遅くなったり揺らいだりすることがまったくなくインテンポ、あふれるような勢いで演奏されていました。
その後は晩年に作られたワルツである子犬に嬰ハ短調。懐かしい曲が続きました。ピアノ再開直後にレッスンで習った一連の曲でした。レース編みのように細やかに、しかし嬰ハ短調では切ない思いを大げさになりすぎないようにほのかに込めながら弾かれていました。力いっぱいではなくてほのかに、というのが却って難しそうに感じました。これらの曲、晩年に作られていたんですね。
そして晩年のマズルカ2曲、最後に作曲されたノクターンと続きました。晩年のマズルカ2曲はちゃんと聴いたことがなかったような気がします。体を病み、それまでの人生を振り返りながら語られた独り言。間に転調あり和声のずれあり、短いからこそ密度が濃くなっていた2曲でした。最後のOp.67-2は「白鳥の歌」と言われていて、甘い旋律で聴き手を陶然とさせると解説書にありましたが、まさにそう。間に入る虹色のような和声が印象的でした。最後に作られたノクターンOp62-2は好きな曲でありながら、CDでしか聴いたことがありませんでした。今まで盛り上がるところが好きだったのですが、今日は盛り上がった後の余韻が好きになりました。子守唄のように感じました。
最後の幻想ポロネーズ。天への扉が開かれそうな出だしからはじまり、ひんぱんに表情を変えては新しい展開を見せるこの曲。無秩序のような心の動きに寄り添いながら丁寧に演奏されていました。こちらも抒情的な部分が素晴らしかったです。ゆっくりさせるところはかなりゆっくりさせ、濃厚な音が出ていました。この部分がお好きなのだろうな、と伝わってくるようでした。一方光が差してくるコーダの部分は大胆でエネルギッシュ、幻想曲と同様あふれる思いを今この場でしっかり出すのだといわんばかりにインテンポで勢いよく演奏されていました。そして最後の音がまたまた練られた濃厚な音ですごかったです。
その後拍手が鳴りやまず、ワルツ第9番変イ長調Op69-1「別れのワルツ」がアンコールで演奏されました。心地よい余韻が残りました。
演奏そのものが難しい上に、ポピュラーでもあるためにあらも見つけやすいようなショパンの曲を説得力を持って弾かれていてすごいと思いました。それでありながら、オールショパンプログラムであったため、聴いたことのある曲、中にはピアノ再開時に弾いたことのある曲など、身近に感じられる選曲だった上に、最近はまったくご無沙汰している曲ばかりだったので、懐かしい気持ちにもなれました。心地よいひと時が過ごせてよかったです。