いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

魔の小節

2012年03月13日 | ピアノ・音楽

前の前の日記での愚痴にはわけがあった。愚痴はあまり書かないほうがいいのかもしれないが、愚痴の存在を否定することはないと思った。魔の小節というのが曲のなかに点在していて、必ず間違えるのだ。部分練習してもだめ。ちょっとやそっとではうまくいかない魔の箇所。
もうこうなったら観念。急がば回れで片手2音のみ百発百中作戦の道しか残されていないとさとり、もっとも魔だと思っているところをやってみた。
そうしたら、魔の度合いが、すこし、薄れてきた。今までは頑固として魔だったのに。取り上げたときは、そっぽを向いていたのに。これは貴重だ。うれしい。続けてやったら、もっと慣れて、魔の度合いも薄れるかも。そしてなくなるかも。マイペースでその日がやってくるのを信じよう。


ただ今日は時間と心の余裕があって週末までに弾けるようになっておこうというせっぱつまった思いがあったからできたのだよ。そうでない状況においても(そしてそちらがほとんど)短時間にピアノモード、耳も体もセンサーバリバリ、魔の箇所百発百中克服にまっすぐ立ち向かおうとする方向に持っていけるかが最大の課題だったりする。


『4大ピアノ・トリオを聴く 』 より第2夜

2012年03月13日 | ピアノ・音楽

 今日は社宅の空調の整備があり、昼過ぎまで台所にこもり、本を3冊持ち込んでいました。こういうのも久しぶりだなあ。担当のお兄さんたちがしっかりと交換してくれました。さすがプロです。

 ところで昨晩聴きに行ったトリオは、『4大ピアノ・トリオを聴く』という企画の後半、第2夜でした。4大ピアノ・トリオというものがあることも今回初めて知りました。第1夜には、ベートーヴェンの「大公」とメンデルスゾーンの二短調、そして今回聴いたのは、後半の第2夜、以下の熱きスラヴ系の曲でした。

ドヴォルジャーク:ピアノ・トリオ第4番 ホ短調 op.90
チャイコフスキー:ピアノ・トリオ イ短調 op.50 「偉大な芸術家の思い出」

アンコール

ドヴォルジャーク:ピアノ・トリオ第4番 ホ短調 op.90より第5楽章

 演奏は堤 剛氏(チェロ)というベテランと、佐藤俊介氏(ヴァイオリン)、河村尚子さん(ピアノ)という若手。3人とも名前の通った実力派とのことで楽しみにしていました。 

 ドヴォルザークのピアノトリオは初めて聴く曲。はじめは音がホールになじんでないような気もし、硬いような気がしたのですが、だんだん入ってくるようになりました。かっちりとした形式はなく、ゆったりとした部分と快活な部分とが組み合わさったような感じでした。その流れに乗るのがちょっと私には難しかったです。(ちょっと疲れていたのもありました、すみません)しかしもっと私自身よきコンディションでしかもこの曲を聴いてなじんでいたら違っていたと思います。しかし第5楽章、第6楽章になると華やかになり分かりやすくなりました。みなさんの芯の太い迫力のある演奏にひっぱられました。

 後半のチャイコフスキーのピアノトリオイ短調「偉大な芸術家の思い出」は、3年ぐらい前に第1楽章を初めて聴き、感銘を受けた曲でもあります。この曲の全曲を、あの豪華メンバーが演奏するのだからぜひ行かなくては、と思いました。そして予想通り、いや、予想をはるかに超えた熱い出だし。ピアノの河村さんの存在感大きかったです。そこにはいりこんできた堤さんのチェロの見事なこと。さすがベテランの貫禄たっぷりといった感じでした。ヴァイオリンの佐藤さんも美しい旋律を豊かに歌っていました。感動的な部分でぐいと心をつかみました。

 第2楽章は初めて聴きました。多種多様な変奏がでてきて、飽きることがまったくありませんでした。変奏が終わった後のピアノの悲しみのアルペジオの壮絶なこと。友であるニコライ・ルビンシテインの死を深く悲しんでいるのがダイレクトに伝わってきました。河村さん、この難所を堂々と風格を持って弾かれていました。素早いところもかっちりはめるだけではなく、音やフレーズの特徴もつかんでいて、訴える力もあってすごいなあと思いました。その後第1楽章のテーマが堤さんのチェロで再現されたのですが、悲痛な思いが音全体からダイレクトに伝わってきました。室内楽というよりも、あの線の太さは、オケに近かったような気がしました。

 私のつたない思いなのですが、もっと近く、同じ高さのところで、演奏者たちの息遣いがじかに感じられるところで聴きたかったというのが心残りです(奏者の方たちに対しては本当にどうしようもなく図々しい思いなのですが)ちゃんとしたホールでしかもかなり後ろのほうの席だったので、ちょっと遠かったし、音が耳になじむのに時間がかかったように思えたのがちょっと残念。私が室内楽にあまり慣れていなかったからというのもあるのですが。それでもプロの貴重な演奏を聴けて良かったです。また室内楽のコンサートに足を運びたいです。そして河村さんのピアノも、さらに聴きたくなりました。


ピアノは運動神経かも

2012年03月12日 | ピアノ・音楽

携帯からの投稿です。先程までトリオを聴いてきた。主にピアニストさんと曲狙いだったのだが、すごかった。線が太くてしかもしなやか。音もものすごく出ていた。瞬間的にあれだけのスピードで、あれだけの厚みのある音楽を奏でるのだから、ものすごい運動神経が必要だろう。見事な音楽性もだが、素早く的確な瞬間移動にため息がでた。(実際彼女は卓越した運動神経の持ち主だという)普段から合わせているわけではないだろうに、すごいなあ。

ちなみに私の目下の課題は、正確ですばやい瞬間移動。手も足も。手の場合は離れた音程や和音のとき。つなげたいときもあるなあ。間違えないという目標だけでは、あまりにもさみしいと言われるけど、音が飛んでもぴたっと瞬間的にはまるようになれたら、どんなにいいだろうと思う。そういえばピアノもチェンバロ(例えばスコット・ロスもそう)も瞬間移動がうまくて身体に心地よい演奏をする演奏者に非常に弱いのも、そういうところにもあるような気がした。私の場合、遅いし外すし、なかなかはまらないし、なんとかならないだろうか、と思う。音楽性も大事だけど、音を出す準備のために、実は不可欠な瞬間移動。ゆっくり練習だけでは感じる限界。
いけない、愚痴になってしまった。演奏会の感想は明日書きます。ブラボーでした!


なつかしのベートーヴェンのソナタ

2012年03月11日 | ピアノ・音楽

 先週末、朝のクラシック番組で放送されていた、ジョン・リル演奏のベートーヴェンソナタを聴き、久しぶりにベートーヴェンが聴きたくなりました。(ジョン・リルはこの番組で初めて知ったのですが、丁寧で説得力のある演奏をしていると思いました。)そしてブレンデルの演奏した後期ソナタを集めたCDを聴きました。入っていた曲は、27番から32番までの全曲。本当に素晴らしいです。心に染み入ります。祈りが感じられます。特に今回は28番全曲と、29番の第3楽章にあらたに心惹かれました。(もちろん他の曲も大好きです。むしろ、今までは、他の曲に心奪われていたのですが)28番は今まで意識していなかったのですが、本当にいい曲ですね。29番ことハンマークラヴィアの第3楽章、初めて聴いたときはとにかく長ったらしくて退屈な曲という印象しかなかったのに、今回はゆっくりの中での濃厚さとやさしさが貴重に感じられました。これはまたじっくりと聴いてみなくては。


 古典派からは最近離れているのですが、懐かしさを感じます。そしてこの時期になるとベートーヴェンのソナタを聴きたくなります。また弾く機会がやってきますように。


昨年の今日

2012年03月11日 | 日記

 ついにあの日から1年になろうとしている。昨日(正確にはおととい)からいくつかテレビの特集番組を見ている。原発にもっとも近い地域となったところに住んでいる人たちを採りあげた番組では、人々のやりきれない思いが多く語られていた。自然が非常に美しいところだった。たまらない気持ちになった。

 今の横浜は、エスカレーターも電灯も、震災前と一緒。生活用品店の一角には防災グッズコーナーがあるものの、計画停電もはるか昔のような感覚になっている。このままだと風化してしまいそう。いけない、風化させてしまってはいけない。

 しかし私たちのまわりはあの日からあきらかに変わった。世界も変わった。あのときの恐ろしい記憶は今も生々しくよみがえってくる。

 今日はしっかり黙とうしよう。亡くなった方たちのご冥福をお祈りします。そして道のりはけわしいと思いますが、確実な復興をお祈りします。


レッスン

2012年03月09日 | ピアノ・音楽

 仕事昨日で無理やり仕上げ、今日は代休をいただき、レッスンを受けてきました(^^)

 案の定、いろいろとごまかしていたところがありました。オクターブをつなげるのに、ペダルと音の強弱の調整(?)でつなげたつもりになっていたのですが、まったくつながっているように聴こえなかったらしく。。。親指が大切なのですね。親指ははうように、そして手をふわりふわりと浮かしてしまわずに、同じ形のまま移動。腕を浮かせてしまうのは癖だと。かといって、硬くなって力を入れすぎてはいけないのですよね。昔言われたことがあったような気がしたのですが、すっぽりと抜けていました。ちなみにオクターブ以外のところも、音のバランスへの配慮が必要だと痛感。

 自分では分かっていても分かっているように聴こえていなかった、というジレンマは相変わらずなのですが、聴こえるようにちゃんと努力してきたかと言えば、全然あてにならず。原点に戻って、部分練習をしっかりやろう、という結論に。

 このところ、心そこにあらずみたいに浮ついていて、ピアノに対しても、練習への集中力が欠けていたのですが、お灸をすえてもらったような気がします。マニアックな曲の紹介もいいけれど(そして多分またやると思うのですが)足元を見つめ、ちゃんと練習しましょうね~。


メシアン 『鳥のカタログ』より

2012年03月09日 | ピアノ・音楽

 古い曲とともに、親近感の持ちにくかったクラシック音楽と言えば、新しい曲。どうも苦手意識があるのですが、そういう曲も聴いてみたくなっているこのごろ。ちなみに私が一番親近感が持って聴ける時代のクラシックの曲はバロック、古典派、ロマン派です(それらの曲についても、知らないことが多いのですが)。印象派になると微妙になってきます。そして、その「微妙」の根源は和声にありそうな気がしています。古い曲への苦手意識もなんとなく同じ理由のような気がします。しかし今年は印象派の代名詞であるドビュッシーの生誕150周年。自分の幅を広げるのによきチャンスかもしれない、と思いました。(ちなみに、「弾く」というほうは、今は対象には入れていません。その前にやっぱり「聴く」というほうがあると思うから。)


 メシアンの『鳥のカタログ』は、先日の三浦友里恵さんのリサイタルでも抜粋が演奏され、非常にインパクトが強いピアノ独奏曲でした。ちょっとおどろおどろしいところがあったものの、鳥の鳴き声を非常にリアルに描写していて、夜の森の自然を描写したような曲だと感銘を受けました。メシアンはオルガンでも有名。でも調性にしばられないといわれる独特の旋法というのが原因でしょうか、苦手な作曲家でした。いかに自分の感覚が、調に頼っているかということが分かります。しかし、自然を愛するメシアンが、実際に鳥の鳴き声を描写して作った『鳥のカタログ』はユニークな発想だと思ったし、そういう曲を作ったメシアンは面白い人だと思いました。日本の鳥も登場しています。また、新しいとはいえ、時代を飛び越えバロックより前の古い曲ともつながっているような気がするところも、面白いと思いました。そういえばほとんど古い曲に使われているオルガンの曲もたくさん作ったしなあ。


 鳥の鳴き声とメシアンの『鳥のカタログ』とを対比させて紹介した動画があったので載せておきます。何の鳥か、よく分からないのですが、鳴き声をよく真似ているというのがよく伝わってきて、素敵な動画だと思いました。




オルド・ヴィルトゥトゥム

2012年03月08日 | ピアノ・音楽

 昔の音楽が聴きたくなってきました。そして、調べてみたところ、ヨーロッパ中世において、女性の作曲家が登場していたことを知りました。筆頭にあげられるのが、ドイツのヒルデガルド・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen)という方(1098-1179)。Wikiを見てあまりの多彩さにびっくり。ベネディクト会系の女子修道院長で自ら修道院を作られ、作曲以外にも幅広い活動をされたようです。キリスト教と関連した幻視体験もされたそうです。歴史的背景もかねて、興味が湧いてきました。

 彼女の作った音楽は歌のみで単旋律ですが、とても幻想的です。バロック時代以前の音楽は苦手でしたが、彼女の曲は聴きやすく感じました。Youtubeにもたくさん入っています。実はグレゴリア聖歌と同じく、ヒーリングミュージックの一種として、かなりポピュラーになっているような気がしました。ファンタジー映画の妖精たちの歌に出てきそうです。いや、すでに出てきているでしょうか。

 彼女が自分の修道院のために残した曲の一種である宗教音楽劇《道徳の諸秩序 Ordo virtutum [オルド・ヴィルトゥトゥム]》から一曲。リズムも入っているのですが、当時からあったのでしょうか。リズムはあとでつけられたのにせよ、当時にしては新しい感じがします。人為を超越した自然とのつながりが感じられます。

 


上を向いて歩こう

2012年03月06日 | ピアノ・音楽

 大ヒットしたこの歌ですが、今日まで歌ったことがありませんでした。実際歌うと、弱拍で入るところから始まり、リズムが複雑で難しいです。しかし、改めていい歌だと思いました。「幸せは雲の上に 幸せは空の上に」の、「幸せは空の上に」のほのかに短調になったところをどのようにしようか想像をめぐらすのもたのしいかも。