山口県周防大島物語

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屋代島友澤家

2022年07月24日 10時30分39秒 | 屋代島友澤家
勝山様

昭和に石崎、友澤家合同で系図を復元されたとか?
一度拝見してみたいと思っています。

ただ全体を通じて友澤家に於いては武士身分の方と百姓身分の方の
名が混在しているようです。別に不思議ではないのですが、復元系図だと混乱を起こす可能性があります。

近世に於ける庄屋帳(蔵入庄屋)に出てくる、西方村、友澤半三郎 由良村三地所、友澤半左衛門(後改名喜作)
沖家室、友澤彦七、が出てきますが、いづれも沖屋室が住居のようです。
これらの方は庄屋ですので身分は百姓となります。

これらに対し、石崎勘左衛門惟昭の嫡男石崎惣右衛門徳昭(後友澤と改名)正保年中藩主毛利秀就に仕官、
元禄八年十二月十日卒、
その子、友澤四郎左衛門重昭、貞享三年六月二十五日卒、
その子、友澤惣右衛門政昭、実父重昭嫡子之内病死ニ付、祖父徳昭ヨリ家督相続、
    後妻村上図書元敬家臣俊成二郎左衛門女
    享保十八年六月二十五日卒、寿六十四歳
その養子、友澤四郎左衛門貞昭、実林久右衛門貞重三男、妻浦上八右衛門宗房女

の系列は身分は武士となります。
通字は「昭」のようですね。

貴殿の系統はどちらになるのでしょうか?

また、沖屋室宮本家は友澤家の分家(若しくは改名)となっていますのので、沖屋室に於いては石崎、友澤、宮本は一門となるようです。

沖家室洲崎の御番所近くに狭い沖屋室では珍しい800坪近い屋敷を構えていました。山側に友澤屋敷、海側に二宮屋敷で隣接しています。
屋敷の背後に友澤家の墓があることになっていますね。
庄屋としての友澤家と同格の二宮家も庄屋を輩出しています。
二宮兵左衛門、二宮兵左衛門(後改名三郎右衛門)、がそれです。二宮兵左衛門(三郎右衛門)は小都合庄屋を兼ねたこともあるよう
ですので相当の実力者であったのでしょうね。

野口家は外入村に住み、同じく庄屋格ですね。
野口傳七、野口七右衛門、野口三右衛門、の名が見えます。
友澤、二宮、野口で交代で庄屋を勤めた時期もあるようですから、ツーカーの中でしょう。

確かに、友澤家は武家家、庄屋家等で屋代島島末地区では有力者でありましたが、退転したのか
現在、大島郡で友澤姓を名乗るのは油宇に一軒、伊保田に二軒程度となっているようですね。


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