山口県周防大島物語

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Re: 字高須賀

2022年07月25日 17時25分35秒 | 南北朝時代の人々とその系図研究
友近さん頑張ってますね。

「予州 一色右馬三郎」の記事は私の投稿をもとに一色さんがコメントしています。
 投稿名は変えてありますが。

確かに高須賀は地名であろうと思っています。
問題はどこの地名であったか?ということですね。
高須賀というのは地理的な表現では、川の中州が盛り上がった所という意味のようですから、所謂、
デルタ地帯全体になりますので全国の大きな川全部に発生しています。
関東地方も高須賀の中に東京があります。
名古屋地方も大きな川の間の高須賀の間で発達した町となります。
広島市は川の間の高須賀の所に住居がありますので、橋を通らないと隣町に行けません。
もう少し小規模なものが「州浜」と呼ばれるようです。
伊予河野家旧紋の一つに「州浜紋」がありますが、河野家先祖は州浜に住んでいたのでしょう。

伊予高須賀家は伊勢から高須賀と名乗っている感じがしますので、伊勢の高須賀が源泉と思われます。
伊予では
高須賀義詮
紀伊那智城主

高須賀野中義員?
【上州 新田雑記(東大)】



高須賀次郎作(衛)堯寧
弘安年中(1278~1288)
住久米郡川上野口郷
久米郡余戸郷野々口邑?
延暦23年川之内と野々口に分離

に二つの伝承がありますので、温泉郡とするには早計と思いますが(笑)

ただどれが史実かは不明なのでなんとも言えませんが・・・・・。

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