茂木家の家紋の件は、大変興味深いお話ですね。私自身は、土岐氏に詳しくないので自説すら浮かびません。茂木家の先祖、つまりは真木頼徳が大坂の陣に参加したことは、茂木家の家伝の他に、書物に名前が出てくるなど何か証左があるのでしょうか?。
当家は、岩名村開墾の家の一つとされますが、他の開墾の家である逆井、戸邉、宮田、須田、坂斎、間中なども、同様に大坂より同道した家ではないかと考えています。茂木家も含め、大坂より同道した可能性のある家の歴史を調査してみたいと思います。
菩提寺の慈光山金乗院と、一族が歴代住職に名前を連ねる香取山真光寺の関係が少しずつ分かってきました。真光寺は、もともと金乗院の住職の隠居寺としての位置付けがあったようです。
また、当家の土着後に遅れて土着し、当家と直接親戚としての交際はないものの、同じ名字でもともとは一族とされる家が地先祖と呼んでいる者について、その者の「弘治元年十月十五日 開山仙深法師」の刻印の供養塔又は墓石が、岩名村の廃寺跡にあったらしいことが分かりました。弘治元年十月ですと、西国では厳島合戦が終わった頃でしょうか。
当家は、岩名村開墾の家の一つとされますが、他の開墾の家である逆井、戸邉、宮田、須田、坂斎、間中なども、同様に大坂より同道した家ではないかと考えています。茂木家も含め、大坂より同道した可能性のある家の歴史を調査してみたいと思います。
菩提寺の慈光山金乗院と、一族が歴代住職に名前を連ねる香取山真光寺の関係が少しずつ分かってきました。真光寺は、もともと金乗院の住職の隠居寺としての位置付けがあったようです。
また、当家の土着後に遅れて土着し、当家と直接親戚としての交際はないものの、同じ名字でもともとは一族とされる家が地先祖と呼んでいる者について、その者の「弘治元年十月十五日 開山仙深法師」の刻印の供養塔又は墓石が、岩名村の廃寺跡にあったらしいことが分かりました。弘治元年十月ですと、西国では厳島合戦が終わった頃でしょうか。
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