大島郡小松村庄屋 明治初期(戸長)である
岡村 浅吉
は 慶応二年(1866年)6月7日から始まる、幕府軍による長州征伐の大島口の
戦いに於て、大島郡小松村畔頭(くろかしら)として、後方支援に当り、兵糧の調達、それらの
炊き出しに顕著であり、よく働いたので褒美を与えられった人達の一人として
記録されています。
前線に出て行ってないので、年を召されていたのかも知れない。
当時の小松村浜の年寄は蔵本清助と記録され、同人とともに小松村妙善寺も
褒美の対象となっています。
浅吉はまだこの時は庄屋ではなく畔頭であり、庄屋は屋代村兼帯庄屋の
永田孝右衛門でした。
岡村 浅吉
は 慶応二年(1866年)6月7日から始まる、幕府軍による長州征伐の大島口の
戦いに於て、大島郡小松村畔頭(くろかしら)として、後方支援に当り、兵糧の調達、それらの
炊き出しに顕著であり、よく働いたので褒美を与えられった人達の一人として
記録されています。
前線に出て行ってないので、年を召されていたのかも知れない。
当時の小松村浜の年寄は蔵本清助と記録され、同人とともに小松村妙善寺も
褒美の対象となっています。
浅吉はまだこの時は庄屋ではなく畔頭であり、庄屋は屋代村兼帯庄屋の
永田孝右衛門でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます