色付き始めたシークワーサー。
12月2日に浦添市内の民家の塀越しに見つけた。
青く酸っぱい時期は11月まで。
青い時期がビタミンCや成分が豊富というけれど、熟れたシークワーサーは甘い。
シークワサーが黄色になる頃、沖縄は冬全っ只中である。
温州みかんより少し小さめのカワブチという小みかんがある。
シークワサーと区別できない県内の人も多い。
きょうは真冬日である。最低14℃、最高が17℃。セーターやジャンバー姿が行き交う季節になった。
福岡は降雪予報。間違いなく雪は降っているであろうが、この寒さでは大したことはないかもしれない。
先日から沖縄の人々の平和に対することに少し触れたので、ついでにもう少し触れてみたい。
本土、所謂、県外人を「ヤマトンチュウ」と呼ぶことはずっと以前に触れた。
特に太平洋戦争を語るとき、沖縄の人々は決して「ナイチヤー」と云わない。「ヤマトンチュウ」という。
終戦真近かの沖縄では筆舌に尽くし難い悲惨な出来事が無数にあった。
米軍の無差別艦砲射撃、逃げ惑う住民、子供たち。
上陸後の地上戦にみる惨劇はひめゆりの悲劇だけではない。
これが戦争だというあらゆる事柄を具現化して見せた観がある。
しかし、沖縄の人々から米軍に対するこうした戦時下の恨み辛みは聞いたことがない。これが戦争だと理解している風がある。
しかし、渦巻く基地反対運動は想像を絶する。
心もとない新聞が
「地主は殆どが反対ではない」
と報じる。県民は土地の権利を守るために反対運動をやっているのではない。根源的な平和を希求しているのである。
一方、日本兵に関しては批判は凄ましい。
新聞をにぎわしている集団自決の軍関与に至っては、日本軍が関与してなかったと否定する者に出会ったことがない。
日本軍は守るべき同じ国民を、守るのではなく、壕から追い出し、スパイ扱いし、壕の中で乳飲み子が泣くと敵に知れると扼殺したり、壕から追い出したりと枚挙に暇がない。
沖縄に来た当初は、
「日本人だけではない。戦争というのは人間を変える。負け戦になった側は正常な神経ではおれない」
と先述の戦地帰りの先輩諸氏の体験談を話したものだった。
そんな理屈では納得させ得ないことを知ったのは、沖縄に住み着いて15年も過ぎた頃だった。
原爆の事だって、われわれはどれくらい判っているのか。肌で感じられるのか。
重病人に対して
「がんばってね」
という言葉ほど病人にとって、これほど、残酷で、腹が立つ言葉はないという。
言った健常者にしてみれば、気持ちをわかってほしい、いうだろうが、それは理屈で、決して病人のためになっていないということはわかっていない。
何のために見舞い、言葉をかけるのか、そう考えることができないないのであろうか。
「やさしさ」「おもいやり」に欠けているとはおもわないのだろうか。
「平和」に対する沖縄県人の思いは、戦場を逃げ回った人間にしかわからない。
ナイチヤーだって、東京の空襲、原爆、焼け野原になった地方の中小都市と経験はあるだろうけれど、それとの比較だけで沖縄県人の戦争、平和、基地観を見るべきではない。
沖縄の人たちも原爆だけでなく、焦土化した本土の中小都市があることも知って欲しい。
誰が正しい、悪いのではなく、戦争はやっちゃいけないということだ。
そのためにどうしようか。
口だけでは何とでも言える。
何ができるかが問題だ。
12月2日に浦添市内の民家の塀越しに見つけた。
青く酸っぱい時期は11月まで。
青い時期がビタミンCや成分が豊富というけれど、熟れたシークワーサーは甘い。
シークワサーが黄色になる頃、沖縄は冬全っ只中である。
温州みかんより少し小さめのカワブチという小みかんがある。
シークワサーと区別できない県内の人も多い。
きょうは真冬日である。最低14℃、最高が17℃。セーターやジャンバー姿が行き交う季節になった。
福岡は降雪予報。間違いなく雪は降っているであろうが、この寒さでは大したことはないかもしれない。
先日から沖縄の人々の平和に対することに少し触れたので、ついでにもう少し触れてみたい。
本土、所謂、県外人を「ヤマトンチュウ」と呼ぶことはずっと以前に触れた。
特に太平洋戦争を語るとき、沖縄の人々は決して「ナイチヤー」と云わない。「ヤマトンチュウ」という。
終戦真近かの沖縄では筆舌に尽くし難い悲惨な出来事が無数にあった。
米軍の無差別艦砲射撃、逃げ惑う住民、子供たち。
上陸後の地上戦にみる惨劇はひめゆりの悲劇だけではない。
これが戦争だというあらゆる事柄を具現化して見せた観がある。
しかし、沖縄の人々から米軍に対するこうした戦時下の恨み辛みは聞いたことがない。これが戦争だと理解している風がある。
しかし、渦巻く基地反対運動は想像を絶する。
心もとない新聞が
「地主は殆どが反対ではない」
と報じる。県民は土地の権利を守るために反対運動をやっているのではない。根源的な平和を希求しているのである。
一方、日本兵に関しては批判は凄ましい。
新聞をにぎわしている集団自決の軍関与に至っては、日本軍が関与してなかったと否定する者に出会ったことがない。
日本軍は守るべき同じ国民を、守るのではなく、壕から追い出し、スパイ扱いし、壕の中で乳飲み子が泣くと敵に知れると扼殺したり、壕から追い出したりと枚挙に暇がない。
沖縄に来た当初は、
「日本人だけではない。戦争というのは人間を変える。負け戦になった側は正常な神経ではおれない」
と先述の戦地帰りの先輩諸氏の体験談を話したものだった。
そんな理屈では納得させ得ないことを知ったのは、沖縄に住み着いて15年も過ぎた頃だった。
原爆の事だって、われわれはどれくらい判っているのか。肌で感じられるのか。
重病人に対して
「がんばってね」
という言葉ほど病人にとって、これほど、残酷で、腹が立つ言葉はないという。
言った健常者にしてみれば、気持ちをわかってほしい、いうだろうが、それは理屈で、決して病人のためになっていないということはわかっていない。
何のために見舞い、言葉をかけるのか、そう考えることができないないのであろうか。
「やさしさ」「おもいやり」に欠けているとはおもわないのだろうか。
「平和」に対する沖縄県人の思いは、戦場を逃げ回った人間にしかわからない。
ナイチヤーだって、東京の空襲、原爆、焼け野原になった地方の中小都市と経験はあるだろうけれど、それとの比較だけで沖縄県人の戦争、平和、基地観を見るべきではない。
沖縄の人たちも原爆だけでなく、焦土化した本土の中小都市があることも知って欲しい。
誰が正しい、悪いのではなく、戦争はやっちゃいけないということだ。
そのためにどうしようか。
口だけでは何とでも言える。
何ができるかが問題だ。