あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の風景~日の丸が揚がらない正月・日の丸の旗が希望だった~愛国心とは生まれてくるもの

2010年01月05日 11時37分35秒 | Weblog
 今年正月2日初詣の波の上宮。
いつもの年なら、これから奥武山公園の護国神社、出雲大社の分社にお詣りするのだが、奥武山公園は野球場工事で駐車場が塞がっていて大混雑中だった。
東海岸の成田山までの40分あまりのドライブとなった。

 祭日は勿論のこと、正月でも国旗を揚げているのを全く見なくなった。
9時過ぎに自宅を出て、波の上宮、護国神社、成田山の行程で一本の国旗も見なかった。
 九州でも国旗を掲揚している場面を見ることが皆無になった。
他の地方ではどうだろうか。

 先日、沖縄の友人が復帰前後の話をしてくれた。
「家々は日の丸を掲げ、日本復帰に沖縄は燃えていた。」
「復帰しても何も変わらない。特に、基地の大半が沖縄に残った」
「県民は完全に日本政府に裏切られたと感じた。あれほど日の丸を振って騒いでいたのに、復帰の日から国旗を掲揚することすらなくなってきた」

 県外の人間が、所謂、沖縄県民と同じはずの同胞が
「戦争に負けたんだからしかたないさ、負けた国が何を云える」
「ペルーは浦賀の来る前に沖縄に来て開港を迫った。それくらいアメリカは沖縄をアジアにおける戦略的な重要な拠点と位置づけていたんだ」
 無機質な、血の温かさを感じないこんな残酷な言い方があるだろうか。
「敗戦国だし、アメリカが欲しがってるんだから仕方ないさ」
 歴史観や外交や論評などを訊いているのではない。
普天間や嘉手納の爆音の猛烈さだけでも体験してみればいい。
先ず、現実を見、聞くことがたいせつだ。
 理詰めでねじ伏せたって人は納得しない。
理屈を言うう奴ほど自分勝手な奴はいない。

 「国旗」は「国」のシンボルである。
「国民」の生命と財産を守ってくれるものこそ「国」である。
 その国が守ってくれない、わかってくれない。
庶民はそう感じている。
そんな国の国旗など揚げないだろう。

 沖縄だけでなく、日本中で国旗を揚げなくなったのではないか。
北朝鮮拉致問題だって国は何もしない。
家族の人たちは義務である税金は払っているだろう。
義務を果たしているなら、果たしてきたなら、
当然、国から守ってもらえる権利はあるはずだ。

 われわれ国民のほとんどは日本以外で生きるすべはない。
だから、税金も随分と納めてきた。
愛国心など教えなくてもいい。
母が、父が、
「母国っていいだろう、私たちの国がやっているんだよ」
折りに触れ、子供たちにひとこと語ればいい。
親が子に語れるものを国は作り出せばいい。

 愛国心はそこから生まれ、そうして育つもの。
国と国民、親と子。
強いものが弱いものを慈しむからこそ慕い、尊敬もしよう。