10月には咲き始め、12月まで花を咲かせ続けるトックリキワタ。
満開の時には桜並木かと見紛うほど薄紫の花が美しい。
このトックリキワタは、昨秋は数える程の花しかつけていなかったはずなのに、4月はじめのある日、ふと見上げた青い空にいくつかの実をつけていた。
Windows98からXPに替えて10年ほどになる。
ウイルス対策がXPにも対応していたので使い続けていた。
ずいぶんガタが来ていた。
CDも使えなくなったのが3年前。USBで何とか凌いで来た。
立ち上げにひと仕事できる程にスピードダウンしていた。
勿論、インターネット接続や様々な作業にも、ずいぶんと時間がかかるようになった。
新幹線で作業が出来ていたのが、特急になり、快速へ。昨年にはローカル線の普通列車並みになった。
これはどうにもならんと覚悟を決めたのが今年のはじめ。
正月明け早々、大手家電量販店に下見に出かけた。
パソコンフロアーには目もくらむような種々の機種が並んでいる。
何がなにやら、どのように機種を選べばいいのか、さっぱり見当もつかない。
Windows10が何やら問題になっていたことを思い出す。
30分余り見て回ったが選択の糸口すらみつからない。
フロアーに屯する店員に恐る恐る問い掛けた。
「パソコンを買い替えたいのですが、どう選べばいいですかね」
「何のために、どう使うのかがわからないと・・・どう言ったらいいのかわかりませんね」
見事な返事が返ってきた。しばらく考え込む。
「そうか、それもそうだ」
その店にいる気も失せてそう言って店を出た。
急ぐこともないし、じっくり考えようと。
帰り道、何かしっくり来ない。
質問した方も無茶だが、整理したところで、こいつ等には相談したくない、信頼出来ないなと思った。
うまく伝えられないから、野暮な質問をしているとは慮ってはくれないのか。
AIロボットの対応と変わりない。これで給料もらっているんだ。
専門家なら客の質問の何たるかを導き出してくれてもいいはずだ。
「何でわからない!何処がわからない!」
学校の先生にもこういう奴がいた。
わからないから答えようがない。頭の悪い先生だなと感じたものだった。
バブルが弾けたといっても、中味はバブルの時、そのままだ。専門家がいない。
半素人がプロのように振る舞っているだけだ。バブルの時代をそのまま引きずっている。
きょう、昼食の後、ぼんやりとみるとはなしに、テレビの前に座っていた。
小学校高学年のクラスの「シャッター商店街を元気づけよう」というドキュメンタリーをやっていた。
ある一場面にハッとした。
シャッター街でも頑張っている店の人に、思いや意見を聞いてみようと子どもたちがインタビューすることになった。
インタビューに答える店主の言葉。ある子供が、
「どうしてお店を閉めないでがんばっているのですか」というようなことを尋ねた。
「新しい商品が出たよとか、この酒もどうですかとか、お客さんと会話が出来るし、絆も生まれる」
と酒屋の店主が応えた。
商店街が繁栄した頃はそうだった。
魚屋は「生きのいい鯵が入ったよ」と声をかけ、捌き方から食べ方まで教えてくれた。
八百屋も「旬の筍が出たよ」「きょうは白菜の大安売りだ」料理法や保存の仕方まで教えてくれた。
洋服屋もこれからの流行の傾向まで情報を提供してくれた。
最近、ブログの投稿が滞りがちになっていた。
この気持を残しておこうと腰を上げた。4月25日の夕方である。
20数年前、ある鮨屋に立ち寄ったことがある。
ひと頃は那覇市の中心的な繁華街だっという前島のバス通りに面した落ち着いた構えの店だった。
はじめての店だった。夕方の客の少ない時間だったので、
「ここに座ってもいいですか」とカウンターの男に声をかけた。
男は料理する手をやすめるでもなく、下を向いたまま、
「どうぞ」と云った
目の前の男は「板長」と呼ばれていた。
「きょうは何がある」と声をかけると、「馴染みでも奴が何を言っているのか」みたいにちらっと顔を上げた。
その時、お茶を運んできた清楚な感じの中年の女性が、
「きょうはキハダが入っていますよ」と明るく会釈してきた。
「そうですか、きょうは白身かイカをたべたいなあ」というと
「久し振りにヤリイカのいいのが入りましたよ」と即座に返ってきた。
「そのイカにしましょう。短冊にしてください。それと熱燗一本」
「お酒の銘柄はどれにしましょう。ここは沖縄ですから、お酒の種類はたくさんないのですけど」
「一番良く出ている銘柄がいいです。冷酒なら冷酒でも構いません」
沖縄は泡盛かビール。日本酒を飲む客は少ない。
現在では、松山や久茂地あたりでは日本酒を置いてある店は増えたが、当時は鮨屋くらいであった。
封を切って10日以上も常温で保管しているから、燗冷ましの酒の味そのものであった。
イカも酒も美味しかった。
イカの新鮮な鮨屋は物がいい、という自分なりの評価をしている。余談だが、この基準は今も変わらない。
彼女に勧められるまま、2,3品を追加し、酒も2合ほど飲んで店を出た。
思った以上に勘定も安かった。
その女性はこの店の女将で、板長と呼ばれていた男は店主であることを、後日知った。
それ以来、少しばかり遠かったけれど、刺身を食べたいときはこの店の暖簾を潜った。
1年ほど経ったある日、女将のいない日があった。最初に座ったカウンターの位置に座った。
「きょうは何がいいかな?」と陳列棚をみながらつぶやくと、
「お客さん、ここに入っているものはどれもいいですよ」と板長が切口上に言った。
「それもそうだろうね」と半ば白け気分で2品ほど食して、早々に引き上げた。
それから10日ほどして立ち寄ったが女将がいない。
この日も早々に引き上げた。
それ以来、この店に足を向けることはなかった。
数カ月後、とある馴染みの小料理屋の若女将から、夫婦別れして女将が出て行ったことを知った。
「きょうはイカはお勧めできませんね。これこれは嫌いですか?」
と穏やかに笑みを浮かべて、勧めてくれた女将のように心遣いの出来るプロに出会うことはなかった。
今では、顔も忘れ、出合ってもわからないだろうが、心地よく頂いたことだけはよく覚えている。
バブルの時代、金が社会に溢れるほどあると皆錯覚した。
金さへ出せば何でも買える。品物さへ並べれば何でも売れる。
大した説明も必要なかった。
大型店は方々に出現した。
豊富な品揃えをし、車社会に対応する駐車場を確保すれば、一箇所で全て欲しいものが手に入る便利さに客は集まってきた。
何も説明する必要はなくなった。
売りたいものをチラシや陳列で一方的に情報提供すればよかった。
多種多様に並べられた商品の説明など必要ないし、又、そんなことは出来もしなかった。
バブルが弾けても、そうした供給側(売り手側)の変質した社会の本質は変わっていない。
バブルの前、ひとりひとりが売るために商品知識のみならずあらゆることを吸収しようと必死に努力をした。
そうでない者は社会の隅に押しやられた。
「お前らを育てるために、会社は最低3年間は給料払って育てている」と新入社員当時、先輩からよく言われたものだった。
「給料並みに仕事が出来るのは5年先だ」とも言われた。
バブル期に入ると、社員教育は軽んじられ、代わりに「マニュアル」が大切にされ始めた。
時と共に、マニュアルはいよいよ重要視されるようになった。
そうしてロボットが登場する。
AIロボットに至っては万能近くまで発達した。
「必要は発明の母」ともいわれていたが、その通りになった。
少々疲れたので、近くの公園に出かけた。
62段の階段を上る。
晴れた空が心地よい。
NHK大河ドラマ「西郷どん」ではないが、「きょうはここまででよかろうかい」