過去の首都圏の行動は、飛行機を降りるとビルの外に出ることなくモノレールに直行した。
先年、妹を訪ねたときは妹の次男坊が来るまで出迎えてくれた。
空港ビルを出たとき、その変貌ぶりに驚嘆したものだった。
今日は電車で行くと言ってある。
何時も通りなら、モノレールに乗り、浜松町で降り、山手線で新宿に向かい、中央線のなんとか駅で西武線に乗り換え府中の是政で下車。
何と乗り換えの多いことか。
ネットで調べるが、どれも面倒だ。
「京浜急行は便利だ」「横浜・川崎に行くのは京浜急行に限る」と幾度となく聞いた事がある。。
妹の住所で位置を地図で確認すると南武線の南多摩駅が近い。
最悪タクシーを使えばいいさ、と京浜急行で川崎まで行き、川崎から南武線で南多摩に決めた。
東京の案内看板は実に分かりやすい。
迷うことなく京浜急行乗り場に出た。
相変わらず、東京は人、人。
昼過ぎの平日というのにこの混雑ぶりである。その混雑ぶりに懐かししい安堵感さへ覚えた。
程なく川崎駅に着いた。
川崎駅からはJR川崎駅に行かねばならない。
改札口の駅員に道順を尋ねる。
「そこを左に曲がって真っすぐ行けばすぐJR川崎駅です」
駅を出ると矢印でJR川崎駅と看板があった。
何本もの大通りや小さな通りがある。この辺のはずだがと探すが、駅らしい建物はない。
スクランブル交差点を渡ってきたスーツ姿の似合う初老の男性をつかまえて訪ねた。
「眼の前のビルです。ぐるっと回れば駅の入口に出る」
この辺だと当たりはつけていたが、指差された大きなビルは駅舎らしくない十数階建てのファッショナブルな白いビルだった。
ビルを半分ほど回ると大きな階段がビルの奥に見えた。
これなら駅だ。
ビルの名前はどうみても商業施設らしい名前だった。
このような洒落たビルにJRの駅があるなんて、想像だにしていなかった。
京浜急行の川崎駅に着いたときも、「キュウポラのある町」をイメージしていたのに「工場」の影も、匂いもないのには驚いた。
駅を出た瞬間も、大都会に面食らったものだ。
南武線に乗り混んだ。ここも満員状態である。
ずいぶん立たないとならないかなと思っていたら、斜め前から30過ぎと思われる女性から
「どうぞ」と席を譲られた。
この年になっても、席を譲られると嬉しいより、恥ずかしくなる。
だから、席近くには絶対立たないことにしている。
この日はゆ出してしまった。入口近くのポールに縋っていたのだ。
油断した。
「ありがとうございます」
できるだけ大きく、はっきりとお礼を言って座った。せめてもの、老人の若さのアピールである。
電車が。川崎駅を出て10分ほど経つと尿意を催してきた。
飛行機を降りる前に用足しに行ったきりである。
車両にトイレがあったかどうか確かめてない。
満員状態だから身動きすら容易でない。
考えあぐねた結果、次の駅で降りて、次の電車に乗ろうと決めた。
電車が止まった。人をかき分けて降りる。
改札を出なければならないだろうと急ぎ足でホームを歩いていたら、あった。
「化粧室」のサイン。危機一髪だった。
感謝を込めて一枚撮った。
この一枚が記憶に残すべき一枚になろうとは思いもしなかった。
この駅は、先日通学バス待ちの学童の列に刃物を持って切り込み、20人ほどの人を殺傷したあの忌まわしい事件。
事件ののあった登戸駅のひとつ手前の駅だった。
ホームの行き先案内で見た「登戸」の文字が妙に印象に残ったからでもある。
10分も経たぬ内に次の電車が入ってきた。
降り立った南多摩駅は電車の混雑ぶりとは打って変わって、静かな郊外の駅だった。
ここは府中市の外れである。
予約していたホテルは駅を出た左に見えた。
インターネットで探したけれど、予約のできるホテルはこの一軒だけであった。
駅の周囲を見回しても、他にホテルらしき建物は見当たらなかった。
時計は14時を回っていた。
チェックインを済ませ、妹の住むマンションに向かうことにした。
人気ブログランキングに参加しています。
先年、妹を訪ねたときは妹の次男坊が来るまで出迎えてくれた。
空港ビルを出たとき、その変貌ぶりに驚嘆したものだった。
今日は電車で行くと言ってある。
何時も通りなら、モノレールに乗り、浜松町で降り、山手線で新宿に向かい、中央線のなんとか駅で西武線に乗り換え府中の是政で下車。
何と乗り換えの多いことか。
ネットで調べるが、どれも面倒だ。
「京浜急行は便利だ」「横浜・川崎に行くのは京浜急行に限る」と幾度となく聞いた事がある。。
妹の住所で位置を地図で確認すると南武線の南多摩駅が近い。
最悪タクシーを使えばいいさ、と京浜急行で川崎まで行き、川崎から南武線で南多摩に決めた。
東京の案内看板は実に分かりやすい。
迷うことなく京浜急行乗り場に出た。
相変わらず、東京は人、人。
昼過ぎの平日というのにこの混雑ぶりである。その混雑ぶりに懐かししい安堵感さへ覚えた。
程なく川崎駅に着いた。
川崎駅からはJR川崎駅に行かねばならない。
改札口の駅員に道順を尋ねる。
「そこを左に曲がって真っすぐ行けばすぐJR川崎駅です」
駅を出ると矢印でJR川崎駅と看板があった。
何本もの大通りや小さな通りがある。この辺のはずだがと探すが、駅らしい建物はない。
スクランブル交差点を渡ってきたスーツ姿の似合う初老の男性をつかまえて訪ねた。
「眼の前のビルです。ぐるっと回れば駅の入口に出る」
この辺だと当たりはつけていたが、指差された大きなビルは駅舎らしくない十数階建てのファッショナブルな白いビルだった。
ビルを半分ほど回ると大きな階段がビルの奥に見えた。
これなら駅だ。
ビルの名前はどうみても商業施設らしい名前だった。
このような洒落たビルにJRの駅があるなんて、想像だにしていなかった。
京浜急行の川崎駅に着いたときも、「キュウポラのある町」をイメージしていたのに「工場」の影も、匂いもないのには驚いた。
駅を出た瞬間も、大都会に面食らったものだ。
南武線に乗り混んだ。ここも満員状態である。
ずいぶん立たないとならないかなと思っていたら、斜め前から30過ぎと思われる女性から
「どうぞ」と席を譲られた。
この年になっても、席を譲られると嬉しいより、恥ずかしくなる。
だから、席近くには絶対立たないことにしている。
この日はゆ出してしまった。入口近くのポールに縋っていたのだ。
油断した。
「ありがとうございます」
できるだけ大きく、はっきりとお礼を言って座った。せめてもの、老人の若さのアピールである。
電車が。川崎駅を出て10分ほど経つと尿意を催してきた。
飛行機を降りる前に用足しに行ったきりである。
車両にトイレがあったかどうか確かめてない。
満員状態だから身動きすら容易でない。
考えあぐねた結果、次の駅で降りて、次の電車に乗ろうと決めた。
電車が止まった。人をかき分けて降りる。
改札を出なければならないだろうと急ぎ足でホームを歩いていたら、あった。
「化粧室」のサイン。危機一髪だった。
感謝を込めて一枚撮った。
この一枚が記憶に残すべき一枚になろうとは思いもしなかった。
この駅は、先日通学バス待ちの学童の列に刃物を持って切り込み、20人ほどの人を殺傷したあの忌まわしい事件。
事件ののあった登戸駅のひとつ手前の駅だった。
ホームの行き先案内で見た「登戸」の文字が妙に印象に残ったからでもある。
10分も経たぬ内に次の電車が入ってきた。
降り立った南多摩駅は電車の混雑ぶりとは打って変わって、静かな郊外の駅だった。
ここは府中市の外れである。
予約していたホテルは駅を出た左に見えた。
インターネットで探したけれど、予約のできるホテルはこの一軒だけであった。
駅の周囲を見回しても、他にホテルらしき建物は見当たらなかった。
時計は14時を回っていた。
チェックインを済ませ、妹の住むマンションに向かうことにした。
人気ブログランキングに参加しています。