正月5日。
公園で二人の小学生の女の子がノートを広げて書いている。
雨が降っての合間の事。「風邪引くぞ」と気がかりだったがそっとしておいた。
一時間後、勉強でもしているのだろうか。まだ居た。
友達だろうか、姉妹だろうか。家に居辛いのか。
あれこれ考えを巡らすが、肩を叩いてみる勇気はなかった。
去る11月2日のことである。
昼飯も食べ終え、コーヒーを飲みながらのんびりとテレビを観ていた。
尿意を催していたが我慢をし、コマーシャルに変わったところで立った。
戻ってみると画面は真っ暗、音声も消えている。
リモコンであれこれやってみるが反応が全く無い。
tレビ本体のスイッチから操作しても状況は変わらない。
取り敢えず、電源からコードを外し、10数分待って電源を繋ぐ。
スイッチを入れると、画面下部のランプが赤から青に変わり、音が聞こえた。
ホッとしたのも柄の間、10秒後には画面は暗いままスイッチランプは赤に変わって音声も消えた。
何度か同じ操作を繰り返したが、同じことの繰り返しだった。
テレビはPN32型である。
別料金を払って5年間保証を掛けていたので保証書を引っ張り出してみる。
保証期間を観て驚いた。
9月20日で保証期間が切れているのである。1ヶ月半前だ。
購入したのは大手量販店である。保証も切れているのでメーカーに直接電話を入れた。
応対に出た係り員に状況を説明する。
「テレビを観ていたのですが、5分ほど席を立って、戻ってみると画面も音声も消えていた」
状況を出来るだけ具体的に説明した。
「切った後、スイッチを入れたらどうなりました?」
説明したじゃないかとイラッとしたが、語気を荒げることなく丁寧に
「スイッチを入れると音声は出ますが、画面が出ぬまま、10秒くらいで切れます」
「スイッチランプはどうなりますか」
「赤色が青に変わり、音声が切れると同時に赤に変わります」
係り員は徐に、
「画像の部分が故障しています。昔のブラウン管のようなものです。
ここが故障すると音声がしばらく出ますが、画像は出ません。
画像が故障したときに出るサインです。
故障を調べるのに修理できなくても4,800円かかります。
それに修理しても5,6万円は掛かりますよ。
32型なら新しく買われた方がお得でしょう」
説明も流暢で、声色も良い。
5,6万円もかけて修理するくらいなら、量販店の店頭では新品が買える。
電話を切った後、妙にすっきりしない。
仕事もやめて2年余りになる。
やらねばならぬこともなければ、時間はたっぷりある。
ゆっくり考えるかと、テレビの前に座った。
そうか、テレビが壊れたんだ、と思うと全く手持ち無沙汰になる。
テレビがなくてはならぬ訳ではないが、こうした瞬間にも、一呼吸置く時は欲しい。
ダメ元で、購入したK量販店に電話をした。
「どういう状態ですか」
この店は女性社員の応対が実に良い。
概ね、沖縄では女性社員が優秀で、頼りになる。
ひと通り、メーカーに話したとおりに説明する。
「保証はどうなっていますか」
「保証書が見つからないのですが、4,5年前に買って、その時いくらか払って保証に入りました」
惚けてみた。
「当店のカードをお持ちですか。カード番号とお名前をお願いします」
しばらく待たされた。
「お待たせしました。平成28年9月にお買い求めですね。5年間保証に入っていますが、生憎、9月で
保証期間が切れています」
「お伺いした故障状態をメーカーに相談してみますから少しお時間をください」
携帯番号を云って電話を切った。
一時間余りしてK社から電話が入る。
説明の内容は判で押したようにメーカーのそれと全く同じであった。
「今、どのような売出しがありますか」と出かかったがやめた、
「ありがとうございました」
それだけ云って電話を切った。
時計は15時を回っていた。
今夜はテレビ無しで過ごすか、タクシーで量販店に行くか。
思案している時、ふとあるコマーシャルが頭に浮かんだ。
時折、目にするコマーシャルである。
メモしておこうと思ったのだが、メモはしていない。
記憶にあるのは「家電の修理は何でも」という言葉と「屋良電気・・・」というふたつだった。
ネットで調べてみる。
「屋良電化センター」に行き当たる。
営業内容には「家電販売」もあったのが気になったが、取り敢えず、電話を入れてみる。
症状のやり取りがあった後。
「調べてみないと判りませんが、お見積りするには修理をしなくても4,000円かかりますが・・・」
これは止むを得ないと納得して、頼むことにした。
小一時間ほどで50過ぎの小ざっぱりとした作業着姿の男が現れた。
「持ち帰って検査してみます。きょうは遅いので明日調べることになります。お昼ごろになります」
テレビに齧りついている日常ではないが、「ない」となると生活の大切な一部がなくなったようだ。
この日はやることもないので、馴染みの居酒屋に出かけた。
翌日11月3日、15時になるが連絡がない。
もう少し待とうかと思ったが、5,6万も掛かるなら新品を買いに出かけねばならない。
せっかち過ぎるかと思いつつダイヤルを回した。
「担当が出ていますので連絡してみます」昨日の女性ではないが歯切れのよい応対だった。
10分ほどして電話がかかってきた。
「申し訳ありません。今、◯◯に寄ってお伺いするつもりでしたがちょっと時間がかかってしまって。
一時間以内にはお伺いできると思います」
「それで幾らかかりますか?」
「15,180円です」
「それなら、修理してください。見積書は商品と一緒で結構です」
金額を再確認して完了日を尋ねる。
「3日ほど下さい。7日の午前中にはお届けできると思います」
電話の先の雰囲気ではお客のところのようだ。長話は失礼になる。
「よろしくおねがいします」
3日間はテレビなしか。考えると憂鬱になった。
修理費が15,180円ならと安堵した。
新しく買わなくてすんだな、無駄ではなかったと少し得意な気分になった。
その時、見積もり4,000円は入っているのか。詳細を確認しなかった。
10年くらい前までは、こんなドジな事はやらなかったのにと自嘲した。
翌日、4日の夕方、件の担当者から電話が入った。
「修理が出来ました。明日、午前中にお届けに上がります」
我が耳を疑った。
「あ、そう。いくらでしたっけ」
分かっているのに問う。
「15,180円です」
「それだけ用意しておけばいいですね」
「はい、よろしくおねがいします」
翌日、10時過ぎに届けてくれた。
お釣りが要らぬように用意した。
「ありがとうございました。テレビがないとこんなに寂しいものかと痛感しました。
故障はどこでした?」
一応は聞いてみる。
「画像の何とかする部分がこれこれになっていました」
その時は覚えていたが、今は思い出せない。
「接続しましょう」そういってテレビを持ち上げた。
「いやいや、結構です。特に変わったやり方をしなくてよろしいのでしょう?」
大層なことをすることはなかったのだ。自分で出来る。
「いくらでしょうか」
「15,180円です」
随分と安上がりに終わったものだ。
「見積書をお持ちしました」
「それは結構です」
「え?そうですか?領収書です」
無駄な労力をかけさせたくなかった。
久しぶりに本物の業者と出会った気がした。
何の疑念も抱かずに買い物が出来たのは何十年ぶりだろう。
数年前の「カメラのK」でのことを思い出した。
デジタルカメラの5万円台が出た時、「カメラのK」で買った。
7,8年ほど経っていただろうか。
カメラが動かなくなったので購入した店ではなかったが、近くの「カメラのK」に持っていった。
若い店員が応対に出た。
「ちょっと、調べてみましょう」そういって、故障したカメラを持って店の奥に消えた。
10分ほどで出てくると、
「こちらで調べても判りません。メーカー送りになります。送って検査するだけで15,000円ほど掛かります」
納得いかぬ顔をしていたら、
「ひょっとするとSDカードが壊れているかもしれません」
「えっ!?カードと本体と関係があるの?」
店員はこともなげに
「ええ、一体ですから。今うちに在庫がありません。この型のカメラは古いですからね」
「未だ、10年位だよ。まあ、いいや、SDカードはどこに行けば買えますか」
「先程、云ったようにメーカーに送るしかありません。SDカードが壊れていてもメーカーにも在庫はないかもしれませんよ」
SDカードを調べるためにカメラまで送れるか。これが。今時の専門店のレベルかと思った時、
「お客さん、同じくらいの性能でしたら、もっといい性能のカメラで1万円くらいのが出ていますよ」
こんな奴のいうこと信用できるかと店を出た。
数日後、K店の前を通る機会があったので、店内に入りカメラを見て回った。
中古のカメラもあった。
無愛想だが、何となくメカに詳しそうな痩せ型の30過ぎの店員をつかまえて、
「10万位までのカメラを買おうと思っているんだけど、新品がいいか、中古がいいか迷っているんだけど」
と尋ねると
「お使いになる目的は何ですか」
返答は意外にもしっかりしていた。
「日記のつもりでブログをやっているんだけど、それに添える写真を撮りたいんだ」
「ブログなら1万円くらいのカメラで十分と思います。今、そこに出ているキャンペーンの8,980円で十分と思います」
「そう?」
納得いかぬ生返事をすると、
「性能的には十分だと思います。撮影が目的じゃないんですよね」
と念を押される。
「ええ」
「今はちょっと故障するだけで、メーカーに送らないと故障のチエックができません。修理してもしなくても最低の料金が掛かります。
そのキャンペーン商品金額以上のものが掛かります。それに修理代はカメラ代金に比例して高くなります」
先日の若い店員の話がなんとなく理解できた。
「そう。今持っているカメラが動かなくなったのでどうしようかと思っていたんだ。SDカードかもしれないと言われたけど、お宅にはないらしい」
「SDカードは3,000円くらいですよ。メーカーにあれば一度試す価値はありますね。電話してみましょうか」
親切は身に沁みた。
「いや、今の間には合わないから、きょうは、そのキャンペーンのカメラを買っていきましょう」
きょうは見てみるだけと店に入ったが、結局、買うことになった。
半年後、メーカーに問い合せてSDカードを買った。三千数百円だった。
カードを買えるとカメラは正常に動いた。
報告のために、「カメラK」を数度訪ねたが彼の姿を見ることはなかった。
今、2台のカメラは動かなくなったがそのままにしている。
携帯はガラケイで終生過ごすつもりだったが、カメラの性能がいいということでスマートフォンに一昨年買い替えた。
ひと頃、「勿体ない」という言葉が流行った。
我々昭和時代の人間には、「勿体ない」は日常に溢れていた言葉だった。
今なら疾うに捨てられていた自転車も、サドルが朽ちてもお尻が載せられれば使い、タイヤが継ぎ接ぎだらけになっても使った。
どうにもならなくなったら、チューブでゴム銃を作って鳥捕りに使ったし、車輪はホークとタイヤを外して車輪だけにして転がして遊んだ。
大東亜戦争後であったからでもあるだろうが、捨てる前に他に使える道を考えた。
物を大切にする文化は日本の文化でもある。
日本の着物だってそうだ。
汚れれば、糸を解き、分解して洗張にして縫い直した。
使えなくなれば、普段着や作業着や、果てはおしめや雑巾にしたものだ。
品定めをするときには金目は最初に問わない。
「一生もの」かどうか考えた。
今はどうだろう。
あの大戦後、日本人が培ってきた社会や文化を否定する事ばかりが進歩的であり、建設的だと考えられてはいないだろうか。
ITは日毎に進歩してゆく。「機器は3年も経ったら過去の遺物だ」という言葉が流行った時期もあった。
今では、そういうことは当たり前で、「未だ使っているのか?」とバカにされる。
電化製品に始まって、あらゆるものが修理できなくなった。
その中で、「家電の修理専門店」でテレビ宣伝をする店が出現したのだ。
驚きだった。だから、記憶に残っていたのだ。
靴だって、時計だって、洋服だって、傘も布団も修理や手直しを頼もうと思ってもそうした店を探すことさへ難しい。
漸く、探し当てても予想を遥かに超えて高い。
「新しいものが出ています。修理するより買った方がお得ですよ」となる。
消費型資本主義である。
終戦後、長くアメリカ施政下にあった沖縄で「再生ビジネス」の芽が出たのに驚いた。
戦時中、ほとんど消失した三線も空き缶を胴にして復活したと聴く。
アメリカ施政下で、県民の風習や、年中行事も、そして旧暦と共に生き生きと息づいている。
長い歴史の中で培ってきた文化や風習が廃れていくのは悲しいことだ。
グロバリゼーションという言葉だけで全てを許容していないか。是としていないか。
意味が不明瞭でも、カタカナで表現されれば、反論しなくなってはいないか。
使っている方も、聞いている方も理解しているとは思われない。
私はカタカナ語の多い説明や議論は、決して鵜呑みにはしないようにしている。
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公園で二人の小学生の女の子がノートを広げて書いている。
雨が降っての合間の事。「風邪引くぞ」と気がかりだったがそっとしておいた。
一時間後、勉強でもしているのだろうか。まだ居た。
友達だろうか、姉妹だろうか。家に居辛いのか。
あれこれ考えを巡らすが、肩を叩いてみる勇気はなかった。
去る11月2日のことである。
昼飯も食べ終え、コーヒーを飲みながらのんびりとテレビを観ていた。
尿意を催していたが我慢をし、コマーシャルに変わったところで立った。
戻ってみると画面は真っ暗、音声も消えている。
リモコンであれこれやってみるが反応が全く無い。
tレビ本体のスイッチから操作しても状況は変わらない。
取り敢えず、電源からコードを外し、10数分待って電源を繋ぐ。
スイッチを入れると、画面下部のランプが赤から青に変わり、音が聞こえた。
ホッとしたのも柄の間、10秒後には画面は暗いままスイッチランプは赤に変わって音声も消えた。
何度か同じ操作を繰り返したが、同じことの繰り返しだった。
テレビはPN32型である。
別料金を払って5年間保証を掛けていたので保証書を引っ張り出してみる。
保証期間を観て驚いた。
9月20日で保証期間が切れているのである。1ヶ月半前だ。
購入したのは大手量販店である。保証も切れているのでメーカーに直接電話を入れた。
応対に出た係り員に状況を説明する。
「テレビを観ていたのですが、5分ほど席を立って、戻ってみると画面も音声も消えていた」
状況を出来るだけ具体的に説明した。
「切った後、スイッチを入れたらどうなりました?」
説明したじゃないかとイラッとしたが、語気を荒げることなく丁寧に
「スイッチを入れると音声は出ますが、画面が出ぬまま、10秒くらいで切れます」
「スイッチランプはどうなりますか」
「赤色が青に変わり、音声が切れると同時に赤に変わります」
係り員は徐に、
「画像の部分が故障しています。昔のブラウン管のようなものです。
ここが故障すると音声がしばらく出ますが、画像は出ません。
画像が故障したときに出るサインです。
故障を調べるのに修理できなくても4,800円かかります。
それに修理しても5,6万円は掛かりますよ。
32型なら新しく買われた方がお得でしょう」
説明も流暢で、声色も良い。
5,6万円もかけて修理するくらいなら、量販店の店頭では新品が買える。
電話を切った後、妙にすっきりしない。
仕事もやめて2年余りになる。
やらねばならぬこともなければ、時間はたっぷりある。
ゆっくり考えるかと、テレビの前に座った。
そうか、テレビが壊れたんだ、と思うと全く手持ち無沙汰になる。
テレビがなくてはならぬ訳ではないが、こうした瞬間にも、一呼吸置く時は欲しい。
ダメ元で、購入したK量販店に電話をした。
「どういう状態ですか」
この店は女性社員の応対が実に良い。
概ね、沖縄では女性社員が優秀で、頼りになる。
ひと通り、メーカーに話したとおりに説明する。
「保証はどうなっていますか」
「保証書が見つからないのですが、4,5年前に買って、その時いくらか払って保証に入りました」
惚けてみた。
「当店のカードをお持ちですか。カード番号とお名前をお願いします」
しばらく待たされた。
「お待たせしました。平成28年9月にお買い求めですね。5年間保証に入っていますが、生憎、9月で
保証期間が切れています」
「お伺いした故障状態をメーカーに相談してみますから少しお時間をください」
携帯番号を云って電話を切った。
一時間余りしてK社から電話が入る。
説明の内容は判で押したようにメーカーのそれと全く同じであった。
「今、どのような売出しがありますか」と出かかったがやめた、
「ありがとうございました」
それだけ云って電話を切った。
時計は15時を回っていた。
今夜はテレビ無しで過ごすか、タクシーで量販店に行くか。
思案している時、ふとあるコマーシャルが頭に浮かんだ。
時折、目にするコマーシャルである。
メモしておこうと思ったのだが、メモはしていない。
記憶にあるのは「家電の修理は何でも」という言葉と「屋良電気・・・」というふたつだった。
ネットで調べてみる。
「屋良電化センター」に行き当たる。
営業内容には「家電販売」もあったのが気になったが、取り敢えず、電話を入れてみる。
症状のやり取りがあった後。
「調べてみないと判りませんが、お見積りするには修理をしなくても4,000円かかりますが・・・」
これは止むを得ないと納得して、頼むことにした。
小一時間ほどで50過ぎの小ざっぱりとした作業着姿の男が現れた。
「持ち帰って検査してみます。きょうは遅いので明日調べることになります。お昼ごろになります」
テレビに齧りついている日常ではないが、「ない」となると生活の大切な一部がなくなったようだ。
この日はやることもないので、馴染みの居酒屋に出かけた。
翌日11月3日、15時になるが連絡がない。
もう少し待とうかと思ったが、5,6万も掛かるなら新品を買いに出かけねばならない。
せっかち過ぎるかと思いつつダイヤルを回した。
「担当が出ていますので連絡してみます」昨日の女性ではないが歯切れのよい応対だった。
10分ほどして電話がかかってきた。
「申し訳ありません。今、◯◯に寄ってお伺いするつもりでしたがちょっと時間がかかってしまって。
一時間以内にはお伺いできると思います」
「それで幾らかかりますか?」
「15,180円です」
「それなら、修理してください。見積書は商品と一緒で結構です」
金額を再確認して完了日を尋ねる。
「3日ほど下さい。7日の午前中にはお届けできると思います」
電話の先の雰囲気ではお客のところのようだ。長話は失礼になる。
「よろしくおねがいします」
3日間はテレビなしか。考えると憂鬱になった。
修理費が15,180円ならと安堵した。
新しく買わなくてすんだな、無駄ではなかったと少し得意な気分になった。
その時、見積もり4,000円は入っているのか。詳細を確認しなかった。
10年くらい前までは、こんなドジな事はやらなかったのにと自嘲した。
翌日、4日の夕方、件の担当者から電話が入った。
「修理が出来ました。明日、午前中にお届けに上がります」
我が耳を疑った。
「あ、そう。いくらでしたっけ」
分かっているのに問う。
「15,180円です」
「それだけ用意しておけばいいですね」
「はい、よろしくおねがいします」
翌日、10時過ぎに届けてくれた。
お釣りが要らぬように用意した。
「ありがとうございました。テレビがないとこんなに寂しいものかと痛感しました。
故障はどこでした?」
一応は聞いてみる。
「画像の何とかする部分がこれこれになっていました」
その時は覚えていたが、今は思い出せない。
「接続しましょう」そういってテレビを持ち上げた。
「いやいや、結構です。特に変わったやり方をしなくてよろしいのでしょう?」
大層なことをすることはなかったのだ。自分で出来る。
「いくらでしょうか」
「15,180円です」
随分と安上がりに終わったものだ。
「見積書をお持ちしました」
「それは結構です」
「え?そうですか?領収書です」
無駄な労力をかけさせたくなかった。
久しぶりに本物の業者と出会った気がした。
何の疑念も抱かずに買い物が出来たのは何十年ぶりだろう。
数年前の「カメラのK」でのことを思い出した。
デジタルカメラの5万円台が出た時、「カメラのK」で買った。
7,8年ほど経っていただろうか。
カメラが動かなくなったので購入した店ではなかったが、近くの「カメラのK」に持っていった。
若い店員が応対に出た。
「ちょっと、調べてみましょう」そういって、故障したカメラを持って店の奥に消えた。
10分ほどで出てくると、
「こちらで調べても判りません。メーカー送りになります。送って検査するだけで15,000円ほど掛かります」
納得いかぬ顔をしていたら、
「ひょっとするとSDカードが壊れているかもしれません」
「えっ!?カードと本体と関係があるの?」
店員はこともなげに
「ええ、一体ですから。今うちに在庫がありません。この型のカメラは古いですからね」
「未だ、10年位だよ。まあ、いいや、SDカードはどこに行けば買えますか」
「先程、云ったようにメーカーに送るしかありません。SDカードが壊れていてもメーカーにも在庫はないかもしれませんよ」
SDカードを調べるためにカメラまで送れるか。これが。今時の専門店のレベルかと思った時、
「お客さん、同じくらいの性能でしたら、もっといい性能のカメラで1万円くらいのが出ていますよ」
こんな奴のいうこと信用できるかと店を出た。
数日後、K店の前を通る機会があったので、店内に入りカメラを見て回った。
中古のカメラもあった。
無愛想だが、何となくメカに詳しそうな痩せ型の30過ぎの店員をつかまえて、
「10万位までのカメラを買おうと思っているんだけど、新品がいいか、中古がいいか迷っているんだけど」
と尋ねると
「お使いになる目的は何ですか」
返答は意外にもしっかりしていた。
「日記のつもりでブログをやっているんだけど、それに添える写真を撮りたいんだ」
「ブログなら1万円くらいのカメラで十分と思います。今、そこに出ているキャンペーンの8,980円で十分と思います」
「そう?」
納得いかぬ生返事をすると、
「性能的には十分だと思います。撮影が目的じゃないんですよね」
と念を押される。
「ええ」
「今はちょっと故障するだけで、メーカーに送らないと故障のチエックができません。修理してもしなくても最低の料金が掛かります。
そのキャンペーン商品金額以上のものが掛かります。それに修理代はカメラ代金に比例して高くなります」
先日の若い店員の話がなんとなく理解できた。
「そう。今持っているカメラが動かなくなったのでどうしようかと思っていたんだ。SDカードかもしれないと言われたけど、お宅にはないらしい」
「SDカードは3,000円くらいですよ。メーカーにあれば一度試す価値はありますね。電話してみましょうか」
親切は身に沁みた。
「いや、今の間には合わないから、きょうは、そのキャンペーンのカメラを買っていきましょう」
きょうは見てみるだけと店に入ったが、結局、買うことになった。
半年後、メーカーに問い合せてSDカードを買った。三千数百円だった。
カードを買えるとカメラは正常に動いた。
報告のために、「カメラK」を数度訪ねたが彼の姿を見ることはなかった。
今、2台のカメラは動かなくなったがそのままにしている。
携帯はガラケイで終生過ごすつもりだったが、カメラの性能がいいということでスマートフォンに一昨年買い替えた。
ひと頃、「勿体ない」という言葉が流行った。
我々昭和時代の人間には、「勿体ない」は日常に溢れていた言葉だった。
今なら疾うに捨てられていた自転車も、サドルが朽ちてもお尻が載せられれば使い、タイヤが継ぎ接ぎだらけになっても使った。
どうにもならなくなったら、チューブでゴム銃を作って鳥捕りに使ったし、車輪はホークとタイヤを外して車輪だけにして転がして遊んだ。
大東亜戦争後であったからでもあるだろうが、捨てる前に他に使える道を考えた。
物を大切にする文化は日本の文化でもある。
日本の着物だってそうだ。
汚れれば、糸を解き、分解して洗張にして縫い直した。
使えなくなれば、普段着や作業着や、果てはおしめや雑巾にしたものだ。
品定めをするときには金目は最初に問わない。
「一生もの」かどうか考えた。
今はどうだろう。
あの大戦後、日本人が培ってきた社会や文化を否定する事ばかりが進歩的であり、建設的だと考えられてはいないだろうか。
ITは日毎に進歩してゆく。「機器は3年も経ったら過去の遺物だ」という言葉が流行った時期もあった。
今では、そういうことは当たり前で、「未だ使っているのか?」とバカにされる。
電化製品に始まって、あらゆるものが修理できなくなった。
その中で、「家電の修理専門店」でテレビ宣伝をする店が出現したのだ。
驚きだった。だから、記憶に残っていたのだ。
靴だって、時計だって、洋服だって、傘も布団も修理や手直しを頼もうと思ってもそうした店を探すことさへ難しい。
漸く、探し当てても予想を遥かに超えて高い。
「新しいものが出ています。修理するより買った方がお得ですよ」となる。
消費型資本主義である。
終戦後、長くアメリカ施政下にあった沖縄で「再生ビジネス」の芽が出たのに驚いた。
戦時中、ほとんど消失した三線も空き缶を胴にして復活したと聴く。
アメリカ施政下で、県民の風習や、年中行事も、そして旧暦と共に生き生きと息づいている。
長い歴史の中で培ってきた文化や風習が廃れていくのは悲しいことだ。
グロバリゼーションという言葉だけで全てを許容していないか。是としていないか。
意味が不明瞭でも、カタカナで表現されれば、反論しなくなってはいないか。
使っている方も、聞いている方も理解しているとは思われない。
私はカタカナ語の多い説明や議論は、決して鵜呑みにはしないようにしている。
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新型コロナウィルスの感染予防、日々、大切ですね。
密閉、密集、密接をしっかり避けて、予防しましょうね。
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今回のコロナはSF映画のように不気味に感じ始めました。
新型コロナウィルスの感染予防、日々、大切ですね。
密閉、密集、密接をしっかり避けて、予防しましょうね。
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コロナの終わりが見えませんね。
ご紹介、ありがとうございました。
新型コロナウィルスの感染予防、日々、大切ですね。
密閉、密集、密接をしっかり避けて、予防しましょうね。
応援ポチ(全)。
このブログ、12月10日に書き始めたのですよ
何度か加筆していました。
これでも途中だったのですが、気がついたらえらく長いので早々に終わりにしました
三十数年前、沖縄に来た時、「沖縄はシャープだよ」と時の知人に奨められ、掃除機とテレビ、冷蔵庫をシャープを初めて買いました。
6年後、転勤で福岡に行く時、知人に譲りました。その間、一度も故障することはありませんでしたから。
3年後、再び沖縄に参りました。
その時買った掃除機はシャープで、今も現役で働いてくれています
テレビもシャープで、地上波に替わるときまで使っていました。
その時、件のテレビに買い替えたのです。
これがN社製です
そんな事もあって、カメラやテレビなどが、パソコンと同じ状況だったので憤懣やるかたない心境になったのです
”歳はとりたくないものですねえ”
日本という国の姿が霞んでいくように思われます。
日本の自然、資源などあらゆるところから先人の知恵で成り立ち、ここまで来たと思うのです。
家電で言えば、販売店が修理し、そこで客のニーズも捉え、
メーカーはそれを集約して次の製品改良や開発に役立てて来たと思うのです。
あらゆる職種でそのシステムが壊れてしまった。
いえ、システムじゃなく、それらを支えてきたその心や精神が消えてしまったのかと思う時があるのです。
そんな時、このような修理屋さんが現れると、妙に興奮してしまうのです。
こんな事で落ち込んだり、考え込んだり、憤るのは歳の所為でしょうか
半導体やらの出現で修繕も部品を替えるだけという話も聞いていました。
hiroさんはメーカーにいたから釈迦に説法でしょう
先祖伝来の墓も家も捨てる時代になりました
中学2年の時、国語の河野先生が授業中に「これからの資本主義は」という趣旨で話してくれました。
それは「アメリカ型の消費資本主義」と黒板に書き、幾つもの実例を挙げ話してくれました。
その通りに世の中がなっていると、今更ながら驚き、感服しています。
ヨーロッパと完全に分けていました。
今、午前6時17分、毎朝この時間帯に
訪問するのですがいつのまにか更新しているので
たまげましたよ!
いつものように下までスクロールしてポチだけしようと思ったのですがコメント欄が2しかないので
アレっと思いました。
それでやっと更新したのがわかりましたよ。
アホな蛍です。
テレビが一日もないと寂しいですよねぇ~
朝ドラを録画していますからねぇ~
noratanさんの言いたいことはわかりますが、
だんだんと修理するより新しく購入したほうが
良い時代になっていますね。
そのテレビ、長生きしてくれるといいですね!
早く春の便りを待っています。
まだ6年ぐらいでしたが、丁度国から10万円を貰った時でしたから、
ちょっと足りなかったけど、買い替えました。
症状は、画面がダブって見え難いので目に悪いと思い、
その日の内に購入しました、予備のTVも有ったのですが、
それももう古かったので、思い切って購入しました。
修理代に5~6万も払えませんからね(ー。ー)
おかげでTVに録画してたものは、全部パァ~になりました(泣)
今回のものは、内蔵録画システムがないので、外付けHDDが必要になり、
それも合わせて購入しました(^^ゞ
昔のように、町の電気屋さん(技術屋さん)が居なくなったので、
パーツの交換の修理が殆んどなので、修理代が高くなるようですね。
うちの亡くなった義父は、町の電気屋さんしてましたが、
自分が見て、修理が不可能なものだけを、メーカーに出してましたよ。
それが良き日本の、本来有るべき商売の、基本でしたけどね。
今回はブログの間隔が速いですね( ^ω^)・・・
良いことです。
テレビとカメラの故障の件、今の時代新しいのを買う方が良いですよ・・・ということが多いいです。
テレビの件は、良く辛抱しましたね・・・
私は我慢できないと思います。
カメラも今はお金をとることばかり考えて、修理代も高くなっています。
このような時代になってしまいました。
仕方ないかもしれません。
次のブログも期待します。