啄木鳥の詩

里山の自然と山野草・高山植物、低山歩きと野鳥観察

「聖火が街にやってきた!」

2021-03-31 18:43:52 | その他
 25日に福島県をスタートした聖火リレー。本日は、当市に到着。沿道で、いまか、いまかと待ちわび、刻々とその時が近づくと、日の丸の旗を片手に、皆さんスマホの準備もよろしく、ワクワク感も期待感も最高潮!見たこともない装甲車数台、NTTパフォーマンス、白バイに先導されたパトカー、度肝を抜かれた日本生命の、まるでディズニーランドのパレードのような真っ赤な大きな車体、コカ・コーラなど様々な企業が、リレーを盛り上げる。そりゃ~もう、田舎の街に、盆暮れ正月がいっぺんにやってきた華やかさ。聖火をつなぐだけのことと思い、何も予備知識がなかったので、凄い!の一言。もう二度とこんな経験はないだろうと、思いきって聖火リレーを見に行って、本当に良かった!なんといっても、道幅が狭いので、その迫力を肌で感じ感動した。友人は、日本生命の記念タオルをもらい、大喜び!誰もかれも、笑顔いっぱいの聖火リレー。記念になる、貴重な時間でした。
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「学び」

2021-03-28 16:50:43 | 山野草
「キクザキイチゲ」 キンポウゲ科
 書棚を整理していたら、懐かしい資料。教育研究集会「なんで勉強なんかするの?」。子供の疑問に答えるかたちで、小学校~高校教師、弁護士、教育ジャーナリストおよそ10名の方々が、「なぜ・・・」と問う子供たちに、率直に語っている資料だ。書棚整理の手もつい止まり、おもわず読み入ってしまった。この大問題に誰もが「これが正答」などどいえるものはないと思うが、子供たちは、大人たちがこうした問いに誠実に向き合ってくれ、共に考えて欲しいと願っていたのかもしれない。こうした書物は、年齢を重ね、処分してしまったと思っていたが、心に残っていた一冊ということか。
 イチゲ(一花、一華)とは、1本の茎に花を一つだけつける。雪解けとともに開花、高温に弱く、初夏には地上部は枯れ、一年のほとんどは地下。キクザキイチゲによく似た植物に、アズマイチゲがある。花だけでは区別が難しいが、葉っぱをみれば見分けられる。アップのキクザキイチゲは、菊に似た葉をしている。共に、清楚な印象。
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「五輪桜 満開」

2021-03-25 18:55:45 | その他
 高崎市吉井町に、500年の歴史を持つお寺がある。その名、仁叟寺。ここで今、満開をむかえているのは「五輪桜」。地中から5本の幹が立ち上がっていることからの命名。それぞれが立派な枝ぶりで、訪れている人を圧倒する。樹齢100年、高さ17mとなかなかの見ごたえだ。コヒガンザクラで、濃い小さな紅色の花がまとまって咲く、かわいらしい花姿だ。まさに、春爛漫。
 桜開花情報が連日伝えられているが、桜の開花を、いまかいまかと人々が願うのは、厳しい冬から春へと移り行く季節を愉しむためであろうか。本日は花曇りの空模様であったが、境内にはたくさんの花々が咲いており、のんびりと花のお寺を散歩。くしくも本日、五輪 聖火リレー福島からスタート。121日かけ、1万人が全国を縦断。五輪桜も満面の笑みで、本日を祝っていたのだろう。
 
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「生命の動き」

2021-03-22 17:03:12 | 庭の花木
「ムスカリ」
 どのような花をアップしようか・・冬の庭は草花が少なく、正直のところ悩みの種だったが、一雨ごと、日ごとに植物は芽吹き、木も草も新しい命を得、正に「待ちわびた春」がやってきた。
 日常見ていない植物は名を忘れてしまうので、大切な花には名札を付けているが、それも大風で吹き飛んだり、名札にかいてあるマジックが消えたりしている。確かこの辺りにあったような・・今頃は芽が出ていなくてはならない植物も、どうしたことか姿を見せてくれない。土が合わなかったのかと悔やむが、人間と同じで相性というのがあるのだろうかと、がっかりする。一方で、若い葉っぱがちょこちょこと土から顔を出している様子に、目がキュンとなる。今年も咲いてくれるであろうと期待に胸を膨らませ、ワクワクしている。変化の激しい時だからこそ、こんな他愛ない日常をのんびり過ごしたい。
 植えた覚えのないあちこちに、鮮やかな青紫色の花をつけているムスカリ。春咲きの球根花。草丈10cmほどで、他の植物との取り合わせがいい。図鑑によると、野生種には特有の香りを持つ種類があり、それが名になったとのことだ。ムスカリはムスク、麝香に由来するという。当家の園芸品種にはその香りはない。
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「春彼岸」

2021-03-19 17:49:13 | 庭の花木
「シュンラン」
 明日、20日は春分の日。太陽が東からあがって真西に沈み、昼と夜の長さが同じになる日。この日を挟んで前後の7日間を彼岸。20日はその彼岸の中日だ。風習としては、墓参の習慣。墓参といえば先ごろ偶然に観かけたTV映像で、最近のお墓事情を伝えていた。あまりにショックだったので、つい見入ってしまった。まず、宅墓。その名のとおり、自宅におけるお墓。自宅でお墓参り、お墓もstayhomeだ。次にデジタル上の”ウエブ墓”。石にQRコードを付け、そこにスマホをかざし、ピッと読み込むと、スマホ上にご本人の写真や人生史などが現れる。これには、さすがに・・。勿論、登録している人だけに限定。諸事情から、最近は墓じまいを耳にするようになった。こうした考え方もあるのだと、改めてその多様性を認識した。
 春一番に咲くランで春蘭。昨年、混雑した株をいくつかの鉢に分けたのだが、何が気に入らなかったのか、一つしか咲かない。これから咲く気配もない。花は淡い黄色で、その姿はなかなかユニーク。
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「まだ蕾」

2021-03-16 15:05:19 | その他
「さくら」
 各所から、さくら開花の便りが届いている。当地でも4月上旬の暖かさとなり、もしかして咲いているかと、地元では、ちょっと名の知れたさくら並木を訪れたが、残念ながら一輪も開花していなかった。けれど、幹や道に張り出した枝をよく見れば、冬とは明らかに違う肌色。ピンク色に染まっている。まだ少しかたい蕾ではあるが、根っこや幹にためていたエネルギーが、ほとばしる日の近さを感じる。さくらは一度に咲いて、サッと散ってしまう。それが、時にあやしさを纏い、その儚く美しさを愛する日本人の琴線に触れる。たとえ、コロナ禍であっても、さくらの美しさは変わらない。



当家のさくらんぼの花。今、満開。淡い色合いがかわいらしい。
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「話せる仲間」

2021-03-13 11:48:18 | その他
「コンボルブルス・クネオルム」 ヒルガオ科
 水泳教室、平泳ぎの一コマ
 手は肩幅よりやや広く開けて、肘と肘を合わせるように腕で水を掻き込んで、突っ込むように前に体重をのせてぇ~、頭は上げない、北島の泳ぎもそうでしょうと先生。・・・おっと、いきなり北島かい、こっちはじじばばだよ~ん。できないね、できないよねっ。プールの中で、立ったままの状態で教えられた動作をするのだが、いざ泳ぎだすと、前になんか突っ込めない。頭では理屈はわかっているが、身体が思いどおりにいかない。むずかしいなぁ、難しいよねっなどど、仲間と愚痴ったり、でもさっ、足のけりは良かったんじゃないの・・と、お互い甘やかしあっている。そして、そうした仲間がいれば、それでいい。それが楽しいのだ。人との出会いは不思議。だから大切にしたい。
 コンボルブルス・クネオルム。口で何度唱えても、ボがポになったりルがロになったり、ましてやクネオルムまで覚えられない。プールで知り合ったNさんご夫妻から頂戴した植物だ。名前を伺うと、横文字でさぁ~、何とか何とかっていう名前なんだよね~。その、何とか何とか、ようやく花が咲いたので、植物アプリで調べた。コンボルブルス・クネオルム、Nさんにおしえてあげよ~と。そうそう、手のひらにカンニングして。花言葉「縁、絆」
 
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「今を生きよう」

2021-03-10 17:02:11 | 庭の花木
「クロッカス」 アヤメ科
 あれから10年。某新聞で「うつりゆく記憶、東日本大震災10年」という記事が連載されている。石巻市、陸前高田市、浪江町、気仙沼市などに住んでいる方々の「いま」が、当時の記憶とともに語られている。家族のこと、原発事故等々により、避難生活を強いられている人、つらい悲しみ、さまざまな人々の心のさけびを聞いているようで、その一言ひとことが、自身の胸に突きさって離れない。癒えない悲しみ、変わってしまった街並み、積み重なりうつりゆく記憶、愛する人や大切な思いをいま少しでも分かち合いたい、と記事は結んでいた。さらに「いま伝えたい千人の声」も同時掲載。その言葉には、やりきれない切ない気持ちが、ひしひしと語られている。悲しみを乗り越えるのではなく、悲しみとともに生き、自分の心に折り合いをつけている・・そんなふうに感じた。また同時に、一歩また一歩と前向きな、希望ある心意気も感じた。
 草丈はほんの10cm程度のクロッカス。球根なので、路地に植えっぱなしの手間いらず。ほおっておいても、この時季には、約束したかのように花を咲かせてくれる。紫色のほかに、黄色もあり、可憐な春の花。
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「積ん読書」

2021-03-07 13:29:33 | 山野草
「オオイヌノフグリ」 ゴマノハグサ科
 テーブルの端には、読みかけの本、これから読みたい本、自分の意志とは関係なく、業者から送られてくる、いわゆる雑誌の数々、気になる新聞記事のストック等々が、いつの間にか積まれている。❝いつか読むから、とっとこう~❞的な考えで、なかなか処分できず、後生大事に、一枚また一枚と、たとえ薄い新聞紙でも枚数が重なると、かなりの厚さになる。あっちの本のこの部分、こっちの本のこの箇所と、最後まで読まない本がいくつかある。これって、読んだことにならないですね。まさに、積ん読でしょうか。以前は読了しないと、次の本に進めなかったが、最近は必要なところを必要に応じて、ちょこちょこ読みしている。
 ブルーの花色が春を告げる、早春のオオイヌノフグリ。日本全国どこでも生えている。ブルーの色に、さらに濃い色の青いすじが入っている。群生して咲いているさまは、「大地は春」を思わせる。
 
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「春の届け物」

2021-03-04 10:25:34 | その他
「セリ」
 水田のいつものあぜ道に、いつものセリ。柔らかな茎と葉。それらが、人目に付きにくいように、枯れ葉が覆いかぶさっている。枯れ葉をかき分け、根っこをなるべく切らないよう注意して、ほんの一掴みほど頂く。栽培物も、それなりに味わいがあるが、やはり自生しているセリは、苦みが強く、香りも歯触りも良い。長期間地中でためていたエネルギーが、ほとばしっているような気がする。そのエネルギーを食するのだから、身体にいいこと間違いがない。冬にため込んだものを、苦み成分が浄化してくれるのだろうか。せりに混ざって、ツクシが1本顔を出していた。ツクシは食べた記憶がないが、今年こそは試食してみようかしら。
 春先は、ふきのとう、たけのこ、その他山菜のおいしい季節。食物の若芽をたくさんいただいて、一歩前へ。
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