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『サマーウォーズ』2度目!

2010年08月07日 | 映像(アニメーション)







『サマーウォーズ』を観ました。2度目!
しかし、金曜ロードショーで放送されたものは、時間の制約上いくつかの場面がばっさりとカットされてしまっていたのが残念でしたねー。高校野球の中継の部分がなかったのはさみしい! ほかにもいろいろ。でもやっぱりこの映画は面白いし、楽しいですね。明るい。優しい。たくましい。



最初に観た時も強く感じ、2度目に観た時もやっぱり強く感じられたことには、この映画には「人間関係」に対する強烈な肯定があるということです。ものすごく肯定的です。また、「人間の生み出す技術」に対する肯定ということもあります。ものすごく肯定的なんです。そこが爽快です。


「人間関係」と「技術」のふたつのことは、どちらも古いものと新しいものとを対比させて描かれているようです。

まず、人間関係について。
ここには、大おばあちゃんの誕生会のために集合した長野の旧家の大家族が登場します。大おばあちゃんを中心に固く結びつき、家族の一員でありながらその中になじみきれない者(カズマや侘助)を抱え込みながらも確固として存在している大家族という、特に田舎ではよく見られるような(少なくともかつては見られたような)古くからの人間関係が示されます。

それに対比されるものとして、夏希の偽装恋人として連れられて初めて陣内家の面々と出会う者(健二くん)が登場します。健二くんは都会に生まれ育ち、父は単身赴任、母も留守がちというちょっと孤独な少年として描かれています。帰省するべき田舎もなければ、大人数でご飯を食べたこともないという。

彼らは大おばあちゃんの栄さんをきっかけとしてまず出会い、栄さんの死を通して新しく繋がり直さなければならない局面に立たされることになります。


また一方で、社会の中でそれぞれの人がどのように繋がっていけばよいのかという問題にも直面させられます。それが新しい技術がもたらした、新しい社会であるところの【OZ(オズ)】。

この物語の社会では、【OZ】と呼ばれるインターネット上の仮想空間で、アバターという実名と実体を持たない仮の人格によって、世界中の人と交流を持とうとする新しい社会が構築されつつある様子も描かれています。【OZ】は社会活動を非常に円滑にしてくれる便利なサービスでもあるために、栄さんのようなお年寄りに至るまで何かしらそのテクノロジーの恩恵を受けていて、人々は一種の依存状態におかれています。

この新しい技術に対比されるのが、栄さんの手元にある膨大な手紙、固定電話などの通信手段です。【OZ】の暴走で社会が麻痺状態に陥ったときに、栄さんが生涯かけて積み上げてきた肉筆の手紙による繋がり、電話による声の力が生きてきます。
しかし、だからといって新しい技術の方が否定されるわけではありません。肉筆の手紙も、分厚い電話帳も栄さん世代の古いものではあっても、かつては新しい技術として登場したものであり、栄さんの活躍はその世代の人々が長い年月をかけてそれを使いこなしてきたことを思わせます。




古いものから新しいものへ。
古い人間関係から新しい人間関係へ。
古い技術から新しい技術へ。

そのたびごとに、人はどうやって移行してきたのか、どうやって対応してきたのかということを考えさせられます。健二と夏希にしろ、侘助と栄さんにしろ、血の繋がりによって保証されていない人と人が、はじめは小指一本をおそるおそる握ろうとするところから始まって、誤解したり失敗したりしながら、それでもちゃんと手を繋いでみようとする。最初に一人を好きになって、そのうちその人の向こう側にいる大勢の人々とも繋がっていこうとする。

あるいは、【OZ】という空間で、小指という実体を持たないままで、どうやって他人と接触していったらいいのか。

それを可能にしようとして、もっと速くもっと便利にもっと遠くの人と人の間を行き来しようとして生み出される技術は、時にはその力のあまりの強大さに恐怖を感じたりもするけれど、やっぱり人間に多大な可能性をもたらしてくれそうなことには変わりはないのだから、恐れるだけでなく信じようじゃないか、もっとうまく使えるようになろうじゃないかという。そういう意思の美しさに、私はどうしようもなく打たれてしまうのでした。


夏の明け方、栄さんは静かに息を引き取ります。今日もいつもと変わらないような青い空と入道雲。朝顔。ほんとうは常に変わりつづけているのだということを知ってちょっとうなだれてしまう、広い広い陣内家の縁側に、ぽつんぽつんと佇む一家の姿が映し出されます。青い空も、雲も、朝顔も毎年のようにそこにあるから、ただ繰り返されているだけで、同じ空もなく、同じ雲もなく、同じ朝顔は来年は咲かないんだということも、つい忘れてしまう。そのことを思い出した時の、少しの寂しさがここの場面にはあります。

しかし、その気づきと同時に、栄さんの死はごく自然に受け入れられていくようです。長く生きた人がその生涯を終え、また新しい人が生まれてこようとしている。栄さんを中心に繋がっていた関係が一度ほどけ、また新しく別な風に繋がろうとしはじめている。そのちょうど境界にある情景を、静かな画面でとても美しく表現してあります。私はこの場面が好きだなぁ。

あと、最後で栄さんの写真が朝顔で囲まれているところもよいです。長い年月をかけて積み上げられてきた栄さんという人間の美しさと、毎年新しく芽を吹いては夏に変わらぬ美しい花をつける朝顔と。


古いものから新しいものへ移ろうとするときに持っていくものを。変わり続けるもののなかで変わらずに繰り返されるものを。暖かくて優しいもののことを。そういうことをつくづくと考えさせられる映画です。実に、実に美しい物語。



と、今回はやや真剣に考察してしまいましたが、本当は愛情や愛着ということについてももうちょっと考えたかった。愛情はどういうときに発生するのか、そしてそれはどういうものをもたらしてくれるのかとか、そういうことを考えたかったです。特に、栄さんと侘助の関係性については一考の価値があると思います。栄さんと陣内家の面々の間、栄さんの夫の妾の子である侘助と陣内家の面々との間には、血の繋がりがあります。ところが、栄さんと侘助の間にはそれがない。それなのに、二人の間には、たしかな家族の絆があるのです。ここについてもうちょっと考えてみたかった。でも暑くてなぁ……



まあ、この映画は、あれこれ考えなくても、もう無茶なくらいに盛り上がって笑えて面白い作品です。イカ釣り漁船が池に! 鯉が!! の場面には今回も爆笑させられました。あと隣の部屋から熱風! とか。

登場人物が多いので、ひとりひとりについてそれほど深く掘り下げてはありませんが、誰がどういうアバターを使っているのかなどの細かい点に着目していくと、かなり愛着が湧きますね。私はとくに、イカのおじさんと、自衛隊のリイチさんが好きです。リイチさんはクールで謎めいていて、いちいち格好よくて素敵なんです。でも、なんすか、あのアバターは!(緑の、直立したアザラシみたいな;頭にはアンテナ…;^_^)

というわけで、『サマーウォーズ』は、私のものすごく好きな映画のひとつなのでありました。
2度目もやっぱり、おーもーしーろいーーー!!



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