金曜日から、一言も発声していない。そろそろ、急に話そうとしてもうっかり声が裏返ってしまったりする頃合いですな。でも、それはまあいいのです。よくあることだ。
私はひとりでいるのが少しも気にならないほうだし、むしろそのほうが物事が捗るし、カーテンももうすぐ縫い終わりそうだし、筋トレした筋肉痛も乗り越えられそうだし、なにも問題はないのです。
しかし、ときどき、「ここにあの人がいてくれたら」と思うこともあるのです。
たとえば、こんな時。
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帰省した際に姉と立ち寄ったスーパーで、ウィルキンソンのコーラが売られているのを見て、私は大阪へ帰るなり近所のスーパーでも探してみたのですが見つけられないでいました。しかし、昨日ドラッグストアの店先の自動販売機で見つけました!
【WILKINSON】DRY COLA
「辛口ジンジャー」だそうです。ぴりっとくるらしい。早速購入してみました。私は普段はあまり冷たい飲み物を、まして炭酸飲料などは刺激が強過ぎるので飲まないのですが、たまーにコーラやサイダーが飲みたくなります。暑いとなおさらですね。
で、買ってきたわけですが、500mlサイズはちと大きい。K氏と分け合いたいところですが、あいにくと彼はまだ留守なのであった。帰るまで待とうかとも思いましたが、いつ帰るのか分からないので、やっぱり先に飲んでしまうことに。
ビールグラスに注いでみた。
何も混ぜるべきものは入れてありませんが、氷をかきまぜることにして、黒猫のマドラーを挿してみる。うふふ。
さて、ウィルキンソンのコーラは、氷を入れたせいもあるのかもしれませんが、スッキリとした味わいでなかなかいい感じです。
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もうひとつわかちあいたいのは、たとえばこんな時。
このあいだ、午後3時か4時頃、北側の空が暗く曇ってきていて、小雨がパラパラと降り出していた。けれども、それ以上大降りになることはなく、私は傘も持たずに家の近くをふらふらと、ひとりで帰るところであった。
すると、建物と建物の隙き間から、曇り空の薄い灰色を背景に、その手前には大きな入道雲がふた山もくもくと湧いていて、午後の光に少しだけ照らされたそれが驚くほど明るく白く輝いていたのだった。白い、山のようだった。
あまりの美しさに、私はぽかんと口を開けて道端でしばらく立ち止まって眺めていました。ああ、こんなときにあの人がいてくれたなら……。
「あの人」というのは、私の好きな人たちの、その誰でもいいからそこにいてくれたらよかった。あの人なら、これを見てなんと言うだろう、またあの人ならば何を? そんなことを想像して、私はその時そこにひとりでいるのがちょっと残念だった。もし誰かがいてくれたら、「ねえ、ほら、雲が美しいね」と伝えられたのになあ。
あのときの雲の美しさが、何日も経った今も忘れられないので、ここに書いておくことにしますかね。
「あの、その、こないだの雲が美しかったのですよ。とても」
というわけで、順調に快復しているようで、私は気分がいいです。楽しいものや美しいものをわかちあいたい。けっきょくはどの感激もひとりっきりでただボソボソ呟いているだけだとしても、それはまったく構わないし、まずそんなことにもならずきっと誰かがなにかしら受けとってくれているという確信が私にはある。言葉は時間と空間をこえる、放たれさえすれば、いつかどこかへ着地する種子だ。ああ、この正しい感覚は久しぶりだ。正しい、なんて正しさだろう。
目が覚めてきた。コーラがうまいぜ!