ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

サンシャインコースト・ブリスベン行:ノースキー

2017年04月12日 | オーストラリア:ブリスベン

ブリスベン博物館の入った市庁舎(シティーホール)の外は

まさに21世紀を謳歌している場所


19世紀の建国の礎からなんと遠いことか。



その間の変遷を黙ってじっと見つめてきた、いにしえの建物群



沈黙の生き証人なのかと思うと

無言のビルがふと有機物のように感じられました。


とまれ、ブランチ

全体に大きめなのでこれで2人分
旅行中の食事量はホントに気をつけないと~


ミート&イートという店

オフィス街なのでランチタイムは混み合いそう。


さて、どこに行くか?

ブッシュハットがオージーっぽい清掃員


重厚にして壮麗なこの建物は1880年に完成した
元財務省(トレジャリー)

建物も名前もそのまま活かして
トレジャリー・ブリスベン
という一大カジノになっているんだからビックリ


ホテルやレストラン・バーもあり、食べて+飲んで+遊んでという
大人の遊び場

「カネを動かす場所っていう意味じゃ、昔も今も一緒だね!」
という夫
確かにそーかも


この一帯ノースキーはまさに1825年に流刑植民地の中心として
モートンベイ囚人施設が建設された場所。

1842年にブリスベンが一般入植者に開放され、流刑植民地の
役目を終えるや、この周辺は公的機関の中心地となりました。


トレジャリーの前の地下部分は一大バスターミナルのようで

バスがひっきりなしに吸い込まれては


走り出していきます!

日中でこうなのだから、通勤時間の数たるやいかばかりか


バスの出入り口脇には無料の自転車

確か登録制だそうで、登録さえしてあれば無料で利用でき


指定された駐輪場なら乗り捨て自由

「数が偏ったりしないのかな?」
と思ったものの、どの場所にも数台停まっていました。


自転車専用道路もオークランドとは比較にならない充実度

都市計画の緻密さに圧倒されます


市が運行する無料のフェリーもありました

シティーホッパー
香港のスターフェリーを小さくしたような感じ。


ブリスベン川の両岸を行ったり来たり(赤線)

これが無料だなんて


こちらも市が運行する有料のシティーキャット

高速艇で運行距離も長いです(上の青線)
フェリーは通勤通学だけでなく市民の重要な足になっているよう。
確かにこのおかげでクルマなしでも相当の距離を移動できます。


両方がご対面~(笑)



今のノースキーは海岸線にそって高速道路が幾重にも走る場所



そのほとんどが水上道路



高速の下にフェリー乗り場

本当によくできています。


フェリーではなく橋で川を渡ってみることに。

ビクトリア・ブリッジ
1874年に建設され1893年の洪水で流され、1897年に再建。


現在のものは1969年に再々建されたもの。

捜せばかつての橋台が見られるそう。


歩道がしっかり整備されていて歩きやすい



対岸から見たノースキー

都市計画だけでなく交通インフラの充実も圧倒的で
オークランドもいつの日かこんな風になるんだろうか
と、ちょっと遠い目になってしまいました。

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サンシャインコースト・ブリスベン行:流刑植民地として

2017年04月11日 | オーストラリア:ブリスベン

ブリスベンで一番古いカフェ、シングル・インを出たあとは、



同じくブリスベン市庁舎(シティーホール)内の

ブリスベン博物館へ。
ブリスベンの来し方を知るには絶好の場所


ブリスベンは、1770年にオーストラリアに到達して英領化した
ジェームス・クックにより、モートンスベイ(Morton's Bay)と
名づけられたものの、後の誤植でモートンベイ(Moreton Bay)
となったそう。
(※日本語表記はどちらもモートンですが後者はモアトンでは?)


1788年にシドニーを中心とするニューサウスウェールズ州が、
イギリスの流刑植民地となり、総督はじめ役人と囚人が定住開始。


1822年にはシドニーから遠く離れた場所に、重犯者向けの
新たな流刑地の建設が計画され、モートンベイが候補に。


一方で1823年にシドニーで刑期を終えた元囚人が乗った舟が座礁し
元囚人はブリスベン沖のモートン島でアボリジニと暮らし始める。


その年、測量監督ジョン・オクスレイが元囚人の助けを得て
一帯を探索し、中央を貫く川をブリスベン川と命名。



ブリスベンとは当時のニューサウスウェールズ州総督だった
トーマス・ブリスベンの名を冠したもので、地名ともなる。

(※ブリスベン建設の祖ともいえますが1825年には帰任)


1824年には流刑植民地(Penal Colony)の建設が始まり

1825年にはその中心が今の市中心部に移されたそうです。


流刑植民地を造ったのは当然ながら囚人本人で、当初は29名。
ブリスベンは「柵のない檻」だったと言われています。

今も残る1828年に囚人たちが建設したウィッカムテラスの風車


風車はトウモロコシや小麦の製粉のために建設されたものの
ついぞ作動することなく、羽根は取り除かれ
風車を回すための踏み台は囚人への懲罰に利用されたそう
(※罰でも粉を挽くためでも、どっちであっても囚人は踏み台を
踏み続けるしかなかったんでしょうけれど)


そうそう、この銅像にまでなっている流刑囚以外で初めて入植した

ブリスベンのパイオニアとされるアンドリュー・ピートリーの
最初の仕事は風車を回すことだった


でも、一度も風車として使われなかったところをみると
建築士でもあったパイオニアでも直せなかったんですね


ブリスベンに送られた囚人は、流刑後シドニーで再犯を犯した者で
足かせをはめられ、日の出から日没まで重労働を強いられ
塩漬け肉と小麦だけを与えられていたそう。


そもそもジェームス・クックはアメリカに代わるべき広大な土地を
探しあてる命を帯びて航海に出て1770年にオーストラリアに到達、
1776年にはアメリカ独立が実現。


イギリスは新たな植民地建設を急いだものの、時は19世紀。
奴隷制の終焉で新たな労働力として、囚人を送り込みます。


この足かせに、囚人たちが19世紀の新奴隷だったことを実感。

労働力不足を補うには、殺人犯など重罪犯だけでは足りなくなり、
馬車の荷物を狙った強盗ぐらいでも送り込まれたそうです。


1825年以降17年間、足かせをされた2,400人以上の囚人により
道が築かれ、市は1842年に一般の入植者に開放されて、
(※ワイタンギ条約の2年後)
流刑植民地の歴史が幕を閉じました。


1843年:ブリスベン川のフェリーが運航開始
1864年:ブリスベン大火



1865年:ブリスベン川に跨る初の橋が完成
(※1867年には壊れてしまったそうですが

1866年頃のウィッカムテラス


1868年:ブリスベン・タウンホール完成



1890年:路面電車開通



1895年:洪水で流されたアルバード・ブリッジの再建



1900年頃:ローマストリート市場



1939年:ストーリー・ブリッジの建設



こうしたブリスベンの輝かしい発展の原点に

囚われの身とはいえ、奴隷同然に扱われた人々がいたことを
忘れまいと思いました。


ブリスベンで刑期を終えたジャッキー・ウィリアムズ

足かせの跡が生々しいです。


博物館から出たとたん、この明るさと繁栄。

史実の重みとの対比で一瞬クラっとしそうでした。


ブリスベン散策はまだまだ続きます



やったー
やっとこの段を書き終えました
歴女として、ブリスベン博物館での悲喜交々は残しておきたかった
ものの、史実を確認しながら書くのは時間がかかるので
延び延びになって4月に入ってしまいました


なんとか今月中に終えたい
・・・・と先月も言っていたような

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サンシャインコースト・ブリスベン行:ブリスベン市庁舎まで

2017年03月24日 | オーストラリア:ブリスベン

ブリスベンに夕方が来て



夜が来て



朝が来た

ホテルの部屋の真下だったこの道ウィッカムテラス


朝カーテンを開けたときには上りのクルマがギッシリ

写真を撮ったときにはラッシュアワーは終わっていましたが
上りと下りのこの交通量の差


明るいときにみると緑が多くて

その比率がかなりオークランドっぽい?


街の中に川があるって絶対いい

治水には苦難の歴史があったのでしょうが。


高層ビルの数はオークランドとは比べものにならず

まだまだクレーンがたくさん立っていました。
今の経済状況を考えるとちょっとドキっとする数?


とにかく出かけよう

初めての街なので歩こう
ということで、クルマを置いて出かけました。


この時点で10時間も歩くことになるとは
全く考えていませんでした
万事アバウトな私たち

ローマストリート駅


通勤時間を過ぎてもひっきりなしに電車の出入りがあります。
オークランドから来るとそんな眺めが珍らしい(笑)



これもオークランドにない光景

将来的にもムリなのか?


CBDまでは下りで、けっこうすぐでした。



高層ビルの間に挟まれるように建っていた

アルバートストリート教会


こういうオールド&ニューな眺めは都会的で好き



ピートリー像

ブリスベンの初期入植者と市の開拓者精神を讃える像で
この地に流刑囚以外で初めて上陸した人だったそう。


「パイオニア精神かぁ
原住民の立場を考えるとびみょ~なものの
NZでこの手のものを見たことがないことに小さくホッとしました。
(※元総督だの公的立場だった人の像はありますが)


まぁ、NZにこんなの建てたら、マオ(リ)ちゃんたち

フツーに壊すよね(笑)



ライオンがちんまーと迎えてくれたのは



ブリスベン市庁舎

多目的ビルにもなっていてブリスベン博物館も入居してます。


1920~1930年にかけて建設されたそうで

1929年の大恐慌までのバブル期をひた走ったんでしょうね。


そんな時代の空気感を彷彿とさせる

カネに物言わした造り(笑)
それも100年近くも経つと古色蒼然でいい塩梅


鉄は熱いうちに打て
カネはあるうちに遣え

というまつがったメッセージを勝手に受け取ってきましたよ


市庁舎をあしらったポップな市のロゴ

これもまた今の空気感が出ているような。


とりあえずここへ。

入り口右手奥


1936年創業のブリスベンで一番古いカフェ

シングル・イン


コメダのような

ボックス席


調度品もアンティーク調なら



コーヒーも期待を裏切らない昔風
(※薄いともいう・・・笑)

しかし、なんでシングル
複数形のシングルスはあの痛くて苦しい帯状疱疹のこと
と思っていたら、


この「屋根葺きをした軒」からついたあだ名なんだそう

屋根を葺くことをシングルっていうんですねー。
勉強になりました


この店は元々エドワード・ストリートの254番地にあったそうで

今でも番地が残っています。
(※広東語では「簡単にはくたばらない」と読める縁起のいい番号)


のんびりゆっくりブリスベンの長い長い1日が始まりました



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サンシャインコースト・ブリスベン行:ブリスベン着

2017年03月18日 | オーストラリア:ブリスベン

は~るばる来たぜ、大都会












オーストラリア第3の都市のはずなんですが、なんだか長閑?
この手が好きなので、ウレシい誤算


確かにこーゆービルもありますが。
これって81階建て賃貸マンションなんですって

住みたくな~い(笑)


まずはホテルにチェックイン

グランド・チャンセラー・ブリスベン
高台の便利なロケーションで部屋も広い!
最近リノベしたようで、キレイにまとまってました。
ベッドが固めなのも


まずは最寄りのカフェというかバーで1杯



この上もマンション兼宿泊施設のようで

オーストラリアってエアビーアンドビー的なものがたくさんある


すぐ下は郊外列車の終着駅ローマストリート駅

「わぁ~品川みたい」
(by私)
「まるで上野
(by夫)
という感想の違いは育った場所の違いゆえ


中央駅



ライトアップが美しいものの

駅周辺のせいか路上生活者が多く、いきなり街の明暗に直面


エドワード・ストリート

ここで偶然日本のラーメン屋を見つけたものの
とんこつラーメンしかないということで


クイーン・ストリートの支店を紹介されました。

新規オープンしたばかりだったようです。


ここは醤油味がありました。

スープが甘くて驚き
「これってオージー好みなの?」
と思っていたら、先日名古屋で食べたラーメンも醤油味が甘く
店内にみりんの瓶が林立してましたっけ?
醤油でもいろいろあるんですね。


ブリスベン初日は

まさかの日本食になりました


街を代表するストーリー・ブリッジ

なんちゅー色
まさにショキングピンク


ブリスベン川も夜目にはよく見えず



翌日からのお楽しみに。



CBDのせいか夜は人影もまばらで

クルマで来ていてよかったかも。


人口200万人都市はどんな街なのか?



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