ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ5回目行:標高1,000mのクラロッジ

2022年05月05日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


マウイ島最高峰ハレアカラ
後に下界へ。3,000mの世界
から降りて来ると雲が目前



徐々に視界が開けて下が見え



雲の下に抜けてきました。

山頂より気温が低くなるのが
実感でき上空の貿易風スゴし


標高1,000mにあるクラロッジ

ここで遅いお昼にすることに


1948年に私邸として建設され
1950年代にロッジが増築され

食事と宿泊ができる商業施設に


見事なテラスは1984年にここ
を購入した現在のオーナーが
さらに増築したものだそう。



この立派なピザ窯も



注文をしてピザが焼けるまで

素晴らしいガーデンを散策


海まで続くハレアカラの山麓



傾斜を利用した独特のテラス



広大な多肉園が広がっていて



今まで見たことがあるものの
中で最高だったと思います。



凝ったディテールも好みで



多肉好きなので見習わなきゃ



ずっといても見飽きないほど
手の込んだ見事な庭園です。



ピザ窯奉行の最高の笑顔

おねえさん、ありがとう


手作り感満載のピザと



オーガニックコスのシーザー

いつも同じ物で済ませる2人


歴史を感じる室内もステキ



暖炉がいるほど寒くなるのも
わかるほどひんやりして、ハ
ワイの貴重な避暑地なのかも



いつか泊れる日があるかな
(👆基本、山好きな2人)



ロッジはとってもいいお値段



部屋数も限られているし~

でも心の隅に留めておこう


敷地内には地元アーティスト
や生産者のモノを売る可愛い
店舗も併設されていました。



庭を見に来るだけでも価値が
あり、ぜひ再訪したい場所



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ハワイ5回目行:別世界ハレアカラ国立公園

2022年05月04日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
コロナ前最後の旅行記もよう
やく佳境に入ってきました。


ハワイ8日目、マウイ6日目
はマウイ観光のハイライト

ハレアカラ国立公園へ
ホテルのあるカフルイからク
ルマで約2時間の距離でした。


ハレアカラはマウイ島最高峰
標高3,055mで、ハワイ語で
「太陽の家」を意味するそう。

国立公園は海岸線から最高地
点まで3,000mの高低差がある
特異な地形で総面積120km²
と島全体の6%に相当します。


ハワイにはハワイ島にある最
高峰マウナケア(標高4,205m)
やマウナロア(同4,169m)など
富士山よりも高い山があるの
がなんとも不思議でしたが、
マウイにも3,000m級の山が


「でもさ、山って標高が100m
上がるごとに気温が1度下が
るって言わない?3,000mだ
と頂上は何度なんだろう❓」

(※木も疎らになっていく💦)


と急に心配し出した私に夫は
「ハワイだから大丈夫だろう」

(※まさかこの人も自転車+
この薄着で頂上を目指す?)


星条旗の翻る入口を通過し

外に出ても寒くないかも
やっぱりハワイはハワイ


いきなり見たこともない陸上
のイソギンチャクのような不
思議な植物が足元に登場

ギンケンソウ(銀剣草)



説明によればギンケンソウの
中でもこの種類(上の写真左)
はハレアカラにしか生育しな
い希少な高山植物で右はハワ
イ島マウナロアにのみ生育。


これはハワイ・フクロウ。ハ
ワイ語でプエオと呼ばれる固
有種。昼夜問わず狩りをする
そうで天敵がいない証拠か。



山頂手前のレレイウィ展望台

ここで海抜2,700mほどですが
海抜0mまで見渡せるせいか、
そんなに高いとは感じない


周囲は歩けるようになってい
て、トレイルの拠点でした。



19世紀に造られた牧場跡の小
さな石垣があり、こんな高地
でも放牧をしていたとは



牧場経営は入植者の生活を支
えた一方で、固有種の動植物
に壊滅的な被害をもたらしま
した。一帯には今もカウボー
イ文化が残り、国立公園とし
ては環境保全に全力で取り組
んでいるのが、21世紀の姿。

ハワイはアメリカで絶滅する
固有種の70%以上を占めてお
り懸命な保全活動が継続中


展望台の目の前はハレアカラ
の火口でまるで月面のよう。



よく見ると火口にも道が



月面は風によるものでした。



海や陸から発生した湿った雲
が上昇してきて火口に滞留。



しかし、より高い所を吹いて
いる高温の貿易風がこれ以上
の雲の上昇を抑え込むため、

山頂エリアは乾燥し砂漠のよ
うな様相を呈しているそう。


この日は雲もなく晴天でした。



クルマでいよいよ山頂へ



標高3,055mとは思えないほど



暖かく風もなく穏やかな天気

みんなの格好もこんなです


この高さでも携帯で話せるし

自転車でも来れます~


周囲は草木もなく一段と殺伐



雲は何層もあり、眼下にも



山頂の醍醐味は別世界のよう
な火口が目前に広がること。

(※アポロ計画前に宇宙飛行士
がここで訓練をしたんだとか)


なんとも不思議な色と形状

映画「2001年宇宙の旅」にも
ここで撮影されたシーンがあ
るそうで、宇宙空間的な場所


そしてハワイ島が見えること

お互い高い山があるからか
100km以上離れた島が見える
というのは感動的でした


クルマで簡単に来られる別世界

ぜひ、またいつか


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ハワイ5回目行:カラフル、パイア

2022年05月03日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


5日目のマウイはイアオ渓谷
を出た後、ガラリと違う場所
海沿いの小さな町パイアへ。

かつてはパイナップル農園で
栄えた現在人口2,500人の町


「ここでご飯を食べよう
とフラりと立ち寄りました。

パイア・フィッシュマーケット


この店はあちこちに支店あり

@ラハイナ


@ワイキキ



せっかくなので本店訪問

ハズした時間でも激混み💦


このメニューを読んで理解して

やっと注文
魚だけでなく調理方法も選ぶ


マヒマヒバーガーとキハダ
マグロのグリル・オン・ザ

スゴ~くボリューミーです


店のロゴのキハダマグロが描
かれた大テーブルにいた人が
詰めてくれて席を確保

みんなお互いさまな感じ
ワイワイガヤガヤ楽しい店


歩き始めたパイアはとにかく







英語のカラフルには色の多彩
さだけでなく、個性の多彩さ
という意味もありますが、



この町はそのどちらもある



ヒッピー、アーティスト、サ
ーファー、スピリチュアル系
よりちょっと前のニューエイ
ジ系らしき人たち、レインボ
ー、外国人そしてローカルが

(※素晴らしいハンドメイド)


互いを尊重して仲良くやって
いるような町に見えました。



その象徴がカラフルさ





(※チベット仏教寺院)


誰にでも居場所とお気に入り
が見つかりそうな場所かも



カラフルさの中にも町がしっ
かりとここに根付いている、



歴史と落ち着きが気に入りま
した。観光客を必要としてい
ても媚がない気がしました。

みんな好き勝手にやってる


ここは元教会なのかな。

ピケフェンスがステキです。


ファサードと後ろの建物が合
っていないハワイのあるある



フランス語の名前のカフェ



期待どおり大正解のコーヒー



なによりもバナナの数にバナ
ナ好きおサル夫婦はアガる

これぐらいが一番食べ頃


このカフェ隣がレストラン



地中海料理とインド料理

というこの町らしいコラボ(笑)


ビーチも地元の人が多そう



キミはまちがいなくロコだね。



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ハワイ5回目行:鎮魂の谷イアオ渓谷

2022年05月02日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ7日目、マウイ5日目
毎日毎日快晴が続きます。


ホテル近くで発見したカフェ
すでにクリスマス仕様です

カフルイ滞在中は毎朝ここの
お世話になりましたが、この
話はまた別の機会にします


雄大な自然美を堪能できる場
所に恵まれている、西マウイ

朝食後まっすぐやって来た
イアオ渓谷州立公園


渓谷のイアオニードル(海抜
680m、谷からの標高360m)

ハワイ語正式名はクカエモク
ハワイの海神カナロアの男根
石として知られるそうです。


千年前の古代ハワイではハワ
イ正月マカヒキに人々が集ま
り、農業神ロノの恵みに感謝
と祈りを捧げた場所だそう。



4本の川がこの谷に注ぎ、肥
沃な土壌と豊かな水で広大な
タロ畑が広がっていたそう。

今は観光用にこれだけ


カメハメハ大王がマウイ島に
攻め入った1790年にはマウ
イ軍はこの狭い谷へと撤退を
余儀なくされ、クカエモクは
見張り台に利用されたそう。


近代は景勝地として観光地に

1890年代


1919年



なんとも美しい山肌です。



岩が剥き出しになった殺伐と
した光景とは異なり、低いブ
ッシュで覆われた緑の姿は、

なんとも優しく、豊かです。


ここがパワースポットに数え
られるのが納得できるような
静謐な感じさえ覚えます。



谷という地形が水を呼び込み
風を遮っているからなのか。



遊歩道は舗装されて歩きやす
く、展望台までは30分ほど

だいぶ上がって来ました。


展望台からさらに山道に入れ
てちょっと登ってみました。



さらに眼前に絶景が広がって



岩山が目の前に迫るようです。

隣り合わせの縦横の模様


縦の引っかき傷のような岩壁

流れ落ちる水による造形か


こちらはよくある段々の地層



湿った粘土質で滑りやすく、

ハイカーが造った獣道的な道
谷ではヌーディストが沐浴中


見る位置が変わるとニードル
の形もずい分と変わります。



谷間から臨むカフルイの街

プライドオブアメリカ


誰かが立てたハワイ州旗

この谷はハワイの古戦場


カメハメハ大王がイアオ渓谷
に攻め入った1790年の戦いは
ハワイ史上最も過酷な戦いと
して知られ、ケパニワイの戦
いと名付けられているそう。


ケパニ(堰き止め)+ワイ(水)で

兵士の遺体で川が堰き止めら
れるほど、双方の軍に多大な
犠牲者が出たのだそうです。


鎮魂の谷でもありました。



すべてを目にし静かにたたずむ

クカエモク
またいつか


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ハワイ5回目行:ハリイマイレ・ゼネラルストア

2022年05月01日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


西マウイのラハイナに3泊し
た後にやって来た東マウイの
カフルイ。島内最大の街で、
最大の空港と港があります。

マウイビーチホテルに宿泊


観光の拠点に便利な立地

ホテルの部屋にプレステ


岩場のビーチに面していて、



ものすごく風が強い浜です。



曇空にあっというに間に青
空が広がって行く上空の風



ホテルのサイトの動画でも
ヤシが揺れに揺れていて、

いつもこんな天気なのかな


自然のアート。流木と藻



ハワイ4島周遊クルーズの



プライドオブアメリカ
がすぐそばに停泊中でした。

「いつか乗ることがある?」


クルマがあるので夕食は遠出

ハリイマイレ・ゼネラルストア
ハリイ(覆う)マイレ(甘い香り)
という意味だそうでハワイ語
だと『芳香ヶ原』とでも。ブ
ッシュだった一帯はパイナッ
プルプランテーションとなり


1925年に農園労働者のために
雑貨店ができ、青果・精肉・
鮮魚から郵便局、衣類や日用
品まで何でも揃い、人々の社
交の場でもある典型的なゼネ
ラルストアだったそうです。


店はさまざまな経緯をたどり
ながらも1987年まで継続し、
1988年以降は今のオーナー
夫婦ビバリーとジョーがレス
トランを開業し現在に至る


すでに開業30年以上の老舗

店に入るや地元民で賑わって
いるのがすぐに判りました。


開業した時には雑貨屋も兼ね
ていて5、6席しかないところ
に100人以上が押しかけ、レ
ストランに全面改装したそう。

写真が撮れない混み具合


地元客観光客の分け隔てない
自然なサービスも素晴らしく

最初から寛げた店でした。


お冷もステキなジャーで



吹きガラスが素晴らしい



広い店に合う大き目のアート



こここそ元祖「農園から食卓
へ」
だったというシェフの主
張どおり、見るからに新鮮で



豊富な地元の食材がふんだん

(※夫は珍しくステーキ)


量も手頃で助かった(笑)

美味しく食べ終える条件


でもさすがにデザートは1個



ここはぜひ再訪したい店



旅先でこの寛ぎは貴重です。



他にもギャノンズとレッドバ
という姉妹店があるそう。


「いつか乗ることがある?」
という自問への答えは、

「やっぱり自分たちで動き回っ
てお気に入りを見つけたい

(※以前にはこんな記事も)


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ハワイ5回目行:名無しという名の猫

2022年04月29日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き残しておきたいもう
ひとつの話はこの猫のこと😼



プランテーションインにチェ
ックインして、「さあ出かけ
よう」と外に出たらとたん



待っていたようにクルマの下
から、にゅ~っと出て来た



なんとも風格のある大きな😼



うーんと伸びをしていたので
相当長い間そこにいたのか



のっしのっしとこっちに来て



毛はボサボサ、おまけに足を
引きずってヨロヨロなのに、

スゴい気迫


「これ絶対『世界ネコ歩き』
やった方がいいよね~(笑)岩
合さん好みの猫じゃない
と、猫バカ夫婦は大喜び



ラハイナ滞在の最初から一緒
だったホテルの茶白の高齢猫



ホテルに戻るたびに会えて、
まるで駐車場の管理ニャン😼



ノラ猫以上飼い猫未満の地域猫

ホテルの敷地は自由に出入り
できプールで水を飲んでいる
のを見かけたりもしました。


ボロボロだけど誰かにごはん
をもらっているんだろうな~



と思ったら、ある夜駐車場の
裏通りを10ぴきほどの猫が走
り回っていて、何ごとかと思
ったら、ごはんを持った猫お
ばさんと思しき女性が登場



毎日会っていた猫の名前は、

『名無し』でした。
No Name(名無し)をつなげて
Noname(ノナミ)とはナイス


以来、ノナミ、ノナミと呼ぶと



そばに来ていつでもナデナデ



ある日、プールサイドで朝食
中植え込みに入るノナミ発見



ナゼかピンと来て見に行くと

疲れ切ったように隠れてる
私たちとわかり出てきました。


ひょいっと飛び降りた姿に、



ケガしてる

とすぐにわかりました。


肉球か爪が痛んでいるよう。



重心が掛けられずに腹ばい



猫おばさんによると、ノナミ
は一帯のボスで若いオス猫と
激しく対立してケンカが絶え
ないとか。初めて会った時は
後足を引きずり今後は前足。
顔も傷だらけでした💦

去勢猫なのに満身創痍で闘う
ノナミ


確かこれが若いオス猫



いつまでも元気でね

またラハイナで会おう


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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ペギーの足たち

2022年04月28日 | ハワイ:マウイ島

ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンは、常に
全力で、自由で、大きな心を
持った人でした。新しい友だ
ちを作りながらも旧友を大切
にし、パーティーを企画して
はみんなをもてなしました。


朗らかで分け隔てなく、誰も
が認めるカリスマだったペギ
ー。彼女が2002年に筋萎縮性
側索硬化症(ALS)と宣告され
人工呼吸器装着を決めるのと
同時に、自発的に発足したの
が彼女を24時間体制で支える
有志の輪「ペグズレッグズ」
(ペギーの足たち)でした。


数人で始まったぺグズレッグ
ズは晩年には100人にもなり
まさにペギーの手となり足と
なって彼女を支援し続けまし
た。電気で作動する人工呼吸
器を使っている以上停電は命
取りで、ぺグズレッグズは急
な停電にさえ対応しました。


ペギーがホノルルのあるオア
フ島からマウイ島に行くスー
パーフェリー(現在操業停止)
に乗りたがっていたのを思い
出したぺグズレッグズの有志
で、ポータブル人工呼吸器を
持ちマウイまで行ったことが
あったそうです。ペギー以外
全員が船酔いしたそうです。


ペギーの周りには愛と笑いが
溢れ、ぺグズレッグズは彼女
を助けることを誇りに思い、
「ペギーが私たちを導いてく
れ、いつも楽しみがあった」

と、異口同音に証言します。


人工呼吸器、ペグズレッグズ
そして何よりも本人の意思で
ペギーは息子が結婚し、孫が
生まれるのを見届け、別れた
夫エルロイと再婚しました。


しかし、2008年の夏にはペギ
ーがずっと恐れていた、意識
があっても目を動かすことが
できなくなる状態にたびたび
陥りました。目は人とのつな
がり、コミュニケーションを
可能にする最終手段でした。


この病を深く知る彼女はこの
状態を「ロックイン」(閉じ込
め)と呼び、意思の疎通を図れ
ないまま自分の身体に閉じ込
められ、生命維持装置で命だ
けを長らえると恐れました。


2008年11月、発症から6年以
上が経過した日曜日、繰り上
げ感謝祭と称してペギーの最
期のパーティー、アロハパー
ティーが催されました。多く
の人が集まり、笑いと涙の中
で感謝と別れを告げました。


そしてペギーはロックインを
解かれ、愛と栄光に包まれつ
つこの世を去り、彼女が信じ
続けた神のみ元へと戻ってい
きました。享年62歳でした。



今度ハワイに行ったらペギー
の絵を探してみましょう。



そして彼女の黒猫の絵本も。



次回のマウイもペギーの絵が
かかるプランテーションイン
で過ごしたいと思います。



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ハワイ5回目行:ペギー・チュン 心で描く

2022年04月27日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


西マウイ編を終える前に、
心に残ったことを綴ります。


ハワイで最も愛される画家の
1人ペギー・チュンが患った
筋萎縮性側索硬化症(ALS)と
は、手足や喉・舌などの筋肉
が徐々に痩せて機能が失われ
ていく病気です。問題は脳か
ら筋肉への指令が伝達されな
くなることで、筋肉自体は病
んでいないのに動けなくなる
ことで機能しなくなるそう。
そして治療薬がありません。


「車いすの天才科学者」とい
われた宇宙物理学者の故ステ
ィーブン・ホーキング博士が
この病と長年闘い続けていた
ので、発症から死に至るまで
通常数年とは知りませんでし
た。博士は享年76歳でした。


ALSは10万人に1.5~3人が発
症するといわれる非常に稀な
難病で、まず遺伝しないと言
われています。しかし、ペギ
ーは2002年に56歳でALSと診
断されるまでに、祖父、母、
双子のボビーをALSで失って
おり、自分が今後どうなって
いくのかが判っていました。


「やることはごまんとあるわ」
と、ペギーはすぐに人工呼吸
器の装着を決めました。装着
は寿命を延ばす可能性がある
一方で、辛い闘病も長引くこ
とになり、装着を選ぶか選ば
ないかは需要な選択でした。


ALSは筋肉が失われる反面、
感覚、視力、聴力、内臓など
の機能は保たれることが一般
的なんだそうで、ペギーは持
てる時間を精いっぱい創作
に充てることを選びました。


1年後の2003年、ペギーは右
手の自由を失うと、すぐに左
手で描くことを習得します。
しかし、それさえ2004年まで
で、その後は筆をくわえて描
きました。筆をくわえた満面
の笑顔のポートレートはその
頃に撮影されたのでしょう。

(※写真はコチラより)


懸命に生き、創作を続けるペ
ギーを病魔は容赦なく襲いま
す。全身が麻痺して筆が使え
なくなるとコンピューターの
視線入力で描き続けました。


それもできなくなると、板に
描かれたコマンドに視線を送
り、画学生がコマンド通りに
「右上から左下」といった具
合に代筆を行い、共同作業で
創作を続けていったのです。


同じ方法でペギーはアルファ
ベットをひとつひとつ目で追
いながら意思を伝えました。


最後は彼女の鼻に絵具を載せ
ケアギバーたちが紙を動かし
て描くというノーズペインテ
ィングまで試されました。


「結局のところ、絵は手で描
くものではなく心で描くもの」

ペギーは自分の言葉どおり心
で描くことを実践しました。


(つづく)

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ハワイ5回目行:ペギー・チュン ホテルでの出会い

2022年04月26日 | ハワイ:マウイ島

ラハイナの話を終える前に、
ぜひ書き留めておきたいこと
があり、もう数本続けます


宿泊したプランテーションイ
の部屋には素晴らしい絵
の複製が何枚もありました。



思わず見入ってしまったベッ
ドの上のハワイのコテージ

鮮やかさの中に気品があり、
思いもよらない色から植物の
瑞々しさが伝わってきます。


コテージが中央に描かれてい
ても、絵には主役も脇役もな
く、すべてのディテールが均
等に、美しく、丁寧に、心を
込めて描かれているようにみ
え、見入ってしまいました。


たわわに実る南洋のフルーツ

マンゴーでしょうか?


皇帝シダ(オキナワウラボシ)



葉の表面の星が特徴的なシダ



ホテルの庭にもありました。
 


画家の名前はペギー・チュン



このホテルかオーナーの故Sir
ランラン・ショウにゆかりあ
る中華系の画家なんだろうと
思いながらも、Chunという
スペルが北京語でも広東語で
もなく、19世紀早々に国を出
た華僑の子孫、華裔かもしれ
ないと思いました。当時は英
語表記が統一されていなかっ
たので、漢字は同じでもさま
ざまな表記方法があります。


検索して驚いたことに、ペギ
ーは白人のアメリカ人女性で
チュンはご主人の姓でした。
(※写真はコチラより)

絵筆をくわえた最高の笑顔に
は長く深い物語があります。



ペギーは1946年にオクラホ
マで双子姉妹の1人として生
まれ、1968年にハワイに移り
住みました。その後、ハワイ
モチーフのクリスマスデコレ
ーション事業で成功を収めま
したが、1987年に画家だった
双子のボビーが筋萎縮性側索
硬化症(ALS)で亡くなるのを
機に彼女も絵筆をとります。


才能はすぐに開花し、鮮やか
ながら柔らかで明るい水彩画
は、ハワイだけでなくアメリ
カ本土や世界からも認められ
ペギーはハワイで最も愛され
る画家の1人となりました。


画家としても順風満帆にみえ
たペギーですが、彼女は自分
にも病魔が迫ってきているの
を人知れず感じていました。


2002年56歳の時に、ペギー
もまたALSと診断されます。


(つづく)

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ハワイ5回目行:19世紀と21世紀の共存

2022年04月25日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


3泊したラハイナ最終日。グル
グル回ってやって来たのが、

ボールドウィン家博物館


最初の夜に高校生がパフォー
マンスをしていた場所です。




1834年に完成した宣教師の家

本や木綿の服と引き換えに地
元の人が石、珊瑚、木材など
で造った時代を反映した家。


ボールドウィンの家と呼ばれ
マウイに現存する最古の住居
今は博物館になっています。

ボールドウィン夫妻は1835年
にアメリカからここに移り住
み、キリスト教布教に励むか
たわら6人の子を育てました。


ボールドウィンは牧師である
とともに医師でもあり、天然
痘が流行したときは患者を収
容し、島民に読み書きを教え
るなど夫婦で地域に貢献し、
ハワイ王族や外国船の船長ら
とも交友を深めたそうです。



絵にもあるブドウ棚も健在🍇



ボールドウィンがやって来た
頃にはまだパンノキがあり、
ハワイの朝食にはしばしば焼
いたパンノキが供されたと彼
の手紙に記されていたそう。



隣の石造りの建物も1834年完成



こちらは石がそのままの状態



ここは船長の読書室と呼ばれ



捕鯨船の船長や職員(オフィサ
ー)のために新聞や本、筆記具
が用意されており、当時とし
ては非常に珍しい施設でした。



ラハイナは1820年代に捕鯨船



と宣教師がやってきました。



命がけで漁に出る捕鯨船の船
員たちは陸での狼藉で知られ
ハワイだけでなくNZやオース
トラリアでも地元民との小競
り合いが絶えませんでした。
(※NZでもそっくりな話)


行く先々で酒・女・喧嘩、時
には殺傷沙汰となる中、ラハ
イナでは宣教師たちとの対立
も先鋭化したたため、両者の
関係改善に向けて、船員たち
に休息と娯楽を提供するため
読書室の建設に至ったそう。


今回は時間の関係で中までは
ゆっくり見学できませんでし
たが、再訪した時にでも



ラハイナには他にもいくつも
博物館があり周ってみたい



パイオニアミルのサトウキビ
列車にも乗ってみたいし🚂



19世紀が深く息づいていなが
ら、しっかりと21世紀を生き
つつ、両者が共存している町



それを矛盾なく保っているの
は、ゆったりと流れる時間



それをともに楽しむ地元民と
観光客の思惑が合ってこそな
んだろうか、と思いました。



歩いてよし



学んでよし



買ってよし



食べてよし



本当に充実したラハイナ滞在



そして西マウイ観光でした。

ぜひ次回を楽しみに


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ハワイ5回目行:ラハイナの木

2022年04月24日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目
コロナ前最後の旅行記です。


ラハイナ歴史博物館を出た後
旧裁判所の裏庭の、この町で
一番有名な樹ラハイナバニヤ
ンツリーを見に行きました。



そこには今まで見たことがな
い、生き物のような巨木が



たこ足のようになったここか
ら始まっているのが判っても
その大きさに圧倒され、どこ
までも広がる巨大なアーチは
1本の木とは信じがたい光景



カーテンのように下がって来
る無数の気根は地面に到達す
ると幹のようになっていく



ケアンズでさんざん見てきた
イチジクと同じ展開なのは、
この木もイチジク属だから



幹のように育った部分から、
また気根が垂れてきて、同じ
事を繰り返えして永遠の命を
手に入れるかのよう。一部を
切ったぐらいでは死にも倒れ
もしない不老長寿のような木



この木は1873年にキリスト教
布教50周年を記念してウィリ
アム・オーエン・スミスとい
う弁護士が植えたものでした。
だから裁判所の裏庭なのか

ウィリアム・オーエン・スミス
(※写真はウィキペディアより)


スミスは宣教師の子としてハ
ワイで生まれたアメリカ人。


50年前の1823年はカメハメ
ハ大王の妻にしてカメハメハ
2世と3世の母ケオプオラニ女
が、ハワイ王族として初め
てキリスト教に改宗✟した年

(※ケオプオラニ女王)


樹齢150年近いラハイナバニ
ヤンツリーは、米国で最大、
ハワイ最古のバニヤンツリー

(※1908年のメーデーの様子)


高さは20メートル近くあり



木が覆う面積は約1,800平米



バニヤンツリーパークとして
人々に巨大な木陰を提供し、
憩いの場となってきました。

(※2008年)


しかし、まさにここで今まで
ハワイで見かけた中では最も
悲惨な状況のホームレスを見
かけ、木陰とベンチがかろう
じて彼らを守っていました。

胸にバッジをつけた宗教関係
者と思しき人が彼らに話しか
けている姿も見かけ、木の来
歴を知ると一段と複雑な思い
で、早々に立ち去りました。


歩いているうちに気づいた、
この実



今しがた博物館で見てきた

パンノキ(パンの木)


15世紀のマウイのカカアラネ
オ王はラハイナにパンノキの
果樹園を築いたことで知られ
当時はタロ、バナナ、サトウ
キビ、サツマイモに並ぶ重要
な栽培作物だったそうです。

熟した実を調理するとパンの
ような食感があるそうです


しかし、今は食料としては廃れ



木に解説がついているほど、
珍しい木になっているよう。



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ハワイ5回目行:ラハイナ歴史博物館

2022年04月23日 | ハワイ:マウイ島

2019年の11月のハワイ5回目


目に留まった建物は1859年に
完成した裁判所兼税関で政府
機関が入居していたことも。
1925年に大改装が行われギリ
シャ復興様式を取り入れエン
タシスある壮麗な姿となり、
それからもかれこれ100年

ラハイナ歴史博物館(無料)
が併設されていたので見学へ


入ると外の明るさが際立ち、



裏には巨大なバニヤンツリー




200~130万年前
西マウイの海底火山が海面に
隆起🌋して島となりました。



西暦250~400年頃
ポリネシア民族が南太平洋か
らラハイナに到達。ここをレ
レと名付け、タロを植えて定
住。移住は数百年間も継続



400~1778年
人口が増え、灌漑によって食
料供給も安定し、古代ハワイ
の大酋長(アリイヌイ)の下、
平和と調和の時代が続きます。

ポリネシア人らしいタトゥー


マウイ島はラナイやモロカイ
など周辺の島も含めマウイヌ
イ(グレートマウイ)と呼ばれ
12カ所のモクに区切られて、



各モクは山から海へと通じる
地形で、農業と漁業ができる
ように配慮されていました。

大酋長ピイラニの偉業です。


ピイラニはレレを拠点に西マ
ウイを統治していました。



しかし、1700年代に入ると島
の支配を巡って他の酋長とた
びたび戦闘が繰り広げられ、



1778年にはキャプテン・クッ
クがやってきて、ハワイは初
めて西洋社会と接触します。

NZでもオーストラリアでも
ハワイでも、行く先々にこの
方あり。翌年ハワイで死去。


1802~03年
カメハメハ大王はラハイナで
戦闘用カヌー戦隊を造り上げ



1810年
カメハメハ大王がマウイを支配



1819年
大王没後カメハメハ2世即位



1920年
キリスト教伝道師がハワイに
プロテスタントの布教開始



同時に捕鯨船のラハイナ入港
が相次ぎ、貿易と混沌の開始



1824~1845年
2世の没後カメハメハ3世即位

(※みんな短命すぎ)


ラハイナはハワイ王朝の首都
となったものの、21年後の45
年にはホノルルへの遷都実施


ラハイナ



ホノルル

発展の差が歴然


1859年
ラハイナ裁判所完成

当初はラナイ(バルコニー)が大
きくパイオニアインに似てる


(※パイオニアインは1901年創業)



1893年
ハワイ王朝の崩壊

(※最後の様子はコチラでも)


1898~1959年
アメリカの支配下に入り1959
年より、アメリカの50州目に



1960年代
西マウイはサトウキビ栽培と
観光開発で今日の繁栄が開始



1999年
1860年創業のサトウキビ農園
パイオニアミルが操業停止。
西マウイ産業は観光業に特化

(※今も残るパイオニアミルの
煙突はかつての繁栄の象徴)


過去を大切に今を、未来を、
生きていくであろうラハイナ
ぜひ、また来ます

(※2階のラナイからの眺め)


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ハワイ5回目行:ラハイナ散策

2022年04月22日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ6日目、マウイ4日目


プランテーションイン最後の
朝食



一度も泳がなかったけれどプ
ールサイドはよかったです。



最後は私が挟みモノ系で(笑)

クロックムッシュ


夫はエッグベネではなく、ク
ラシックなポーチドエッグ
グラタン皿もフレンチです。

でも3個は多いよ、3個は(笑)


いいホテルでした。立地の良
さだけでなく、香港つながり
や他にも心に残ることがあり

次回のマウイでもぜひまた


朝のフロント通りはさすがに
人影もまばらで静かです。



滞在中ずっと海は穏やかで、



これだけ近いとラナイ島にも
ますます行ってみたくなる



最終日になってラハイナ散策

1916年完成のラハイナストアー


一段と古そうな木造3階建て



1903年完成のキシ・ビル

日系人所有だったんでしょう。


1919年完成のイチキ・ビル

ファサードは洋風でも後ろは
三角屋根で和風だったりして


これも1919年完成でエンタシ
スが特徴的。元銀行なのかな



高校生たちがパフォーマンス
やっていたのはここでした



ひと際古い石造りの2階建て



樹の下にすっぽり収まった家

屋根の真上の枝がギリギリ


やって来たのはラハイナ埠頭

その昔は鯨漁の荒くれ男が集
まり、その後は農作物の輸出
基地という、NZやオーストラ
リアによくある港町と同じよ
うな経緯を辿って来たよう。


今は観光船の桟橋がズラ~り

時代とともに用途は違っても
海は永遠に人を惹きつける


海辺に建つパイオニアイン



1901年創業。100年以上の歴
史があるホテル。乗下船する
人々を見続けてきた宿です。



プランテーションインの部屋
にあった1915年当時の写真

外観はほとんど同じに見える。


この灯台の初代はカメカメハ
3世が1840年に捕鯨船の航行
のために建てた太平洋初の灯
台だったそうです。灯火の燃
料は鯨油で、高さは3m弱。

現在のものは1916年に米国沿
岸警備隊から贈られたもの。


ひと際大きな建物に人が出入
りしており、さっそくGO



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ハワイ5回目行:マウイのメリマンズ

2022年04月21日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ


ハワイ5日目、マウイ3日目
の夜は前から予約していた

カパルアのメリマンズ


アメリカ本土や海外からの物
こそ本物、高級品と目されて
いたかつてのハワイの食
地産地消へのこだわりという
新しいコンセプトを吹き込み
「農園から食卓へ」のパイオ
ニアと目されている、ピータ
ー・メリマンの店メリマンズ



ハワイ島ワイメア

(※2017年)


カウアイ島ポイプ

(※2018年)


に続く、3回目3店目の訪問



前の2店とは比較にならない
大きさと、そこを埋める客席
にマウイの需要をみる思い。

こんな写真がやっとなぐらい
の混み方でここもいっぱいに


一番窓際の席でラッキー



と思いきや外席も延々とあり



みんな思い思いの場所に座り

みんな外れがなくラッキー


白シャツの親子は結婚式関係
者かな?でもジャンダル
なのがとってもハワイです。

キウイかオージーかも
NZでもオーストラリアでも
結婚式はこんなものです


テーブルには小さな虹



窓ガラスがプリズムになって
いるのかこういう演出なのか

どちらでもアガります


スマートカジュアルな雰囲気

ビールでも十分イケる店(笑)


旅先で気軽に楽しめる洗練



なにはともあれのシーザー
ピーター氏オリジナル



アペタイザーやサイドディッ
シュからあれこれ見繕って。



食材の90%が地元産だそうで



鮮度の良さが光ります



メインは2人ともシーフード



私たちにもちょうどいい量

適量はいい食事の条件


徐々に暮れなずんで行き



西海岸ならではの夕暮れ



パタヤかペナンか漁火か

潮風に揺れる裸電球がいい味


こんなムーディーな演出も。

ないと食事には暗いかも。


ここは結婚式の貸し切り👰



さすがにデザートはパスして

コーヒーで〆


これだけ大勢が一堂に会して
も、食事だけでなくこの場所
を思い思いに楽しめるという
のは、この店が培った長い経
験と客をもてなす引き出しの
多彩さなのだと感じました。

マウイだけでなくメリマンズ
はどの島でも再訪したい店


なぜかオアフ島は未デビュー
ぜひ、いつかの次回にでも


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ハワイ5回目行:南へのドライブ

2022年04月20日 | ハワイ:マウイ島

2019年11月の5回目のハワイ
ハワイ5日目、マウイ3日目


この日も快晴。ホテルのプー
ルサイドの朝食からスタート



夫はやっぱり挟みモノ系(笑)



私はミューズリーに



この日もドライブへ。ハワイ
の島巡りはクルマが前提なの
で、夫の運転に頼りっきり



この日は南へ



どこも絵になる景色ばかり。



空港からラハイナへの途中で
も見た風力発電のタービン



ひょうたん型のマウイ島の小
さい方の西マウイと大きい方
の東マウイの南境のキヘイ着

ケアリア池国立野生動物保護
区といういかにも私が好きそ
うな場所にやって来ました。


マウイ最大の池というか湖で
こんな場所を歩けるの~

と思ったのですが、何かの事
情で(←2年半前で思い出せず)
歩けませんでした(工事中)
ぜひ次回に


さらに南下してやってきたの
は南端に近いマケナ州立公園

フードトラックが来ていても


山火事注意の看板がある程度



の素朴な海水浴場という感じ

週末だったので子どもが大勢


地元の人が多そうな場所です。



みんな大荷物で1日いる構え



沖合の島はモロキ二島という
三日月型の無人島だそう。



ビーチの裏手には広大なブッ
シュが広がっていました。



確かに森林火災が起きやすそ
うな乾燥度で、オーストラリ
アのブッシュに似ています。



鹿もいるんだそうです



コーヒーを求めてやって来た

ザ・ショップス・アット・ワイレア
(👆非常にまんまの名前)


周囲に高級ホテルが建ち並び

こういう店が入居していて、


ここがマウイの最高級リゾー
トだというのがよくわかる



カフルイ空港にたくさん駐機
していたプライベートジェッ
トのお客がたくさんいそう



私たちはホノルルコーヒーで
飲みたかっただけなのですが



ルルレモンのアロハはげっと
しておくべきだったかな~と

杢グレーなんて一番好みだし、
夫も大の白好きだったのに(笑)


また虹が出て気分がアガる~



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