一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓝ‐14.私の避難生活体験記~東北地方太平洋沖地震時

2023-03-12 07:00:00 | Ⓝ自然界の現象と災害

 2011.3.11、14:46、22,212人の犠牲者(死者+行方不明者)をだした「東北地方太平洋沖地震」が発生し、12年となりました。被災に遭われ、辛い大変な体験・おもいをされた方々に心よりお見舞い申し上げます。報道によりますと、今でも31,000人以上の人たちが避難生活をされているとのことですが、一日も早くお一人お一人が望む安住な地で、少しでも心楽しい日常が戻ることを願っています。


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🌋 このとき、私は、「ハワイ諸島巡りツアー」の参加中にこの大地震の津波に遭遇したのです。コースは、成田➡オアフ島のホノルルに着き、同日乗り継いでハワイ島のカイルア・コナで1泊。翌日、カイルア・コナから「世界遺産キラウエア火山」などを見学し、島の反対側のヒロにあるヒロ・ハワイアンHotel泊の夜のことです。


ホテルは海抜2~3mのところに建っていました。

 夕食が終わり、全員各部屋でくつろいでいた22時頃だったでしょうか、マチはサイレンの音が鳴り響き長く続いていました。何らかの緊急で、非常時を感じてはいました。近くで大きな火事でもあったのか、とも想像していました。なお、宿泊したホテルは海岸にあり、海抜3~4mような場所にありました。🏨


 23時、ドアをノックする音で出てみると、添乗員のGさんです。「日本で地震が発生し、津波がハワイに来るのでホテルのバスで高台のスーパーマーケットまで避難することになったこと。荷物を置いたまま、ロビーに集合するとのこと」です。疑う余地もなく全員集合後スーパーマーケットのロビーに集合。そこで一夜を明かすことになりました。これが私の初めての避難生活に。毛布が配られ硬い椅子やじゅうたんの上でゴロ寝です。


 一夜明け、ホテルに戻ってみると、海岸に面したホテルの桟橋をブラシで清掃する人の姿をみました。どれほど高い津波が届いたのかわかりませんが、確かに日本からはるばる着いたのです。ホテルのロビーに入るとTVがつけられており、津波で船舶や自動車などが陸に向けて流されている映像が何度も繰り返し映し出されていました。これは、日本で起きた最悪な光景なのです。「このことが日本で!?」と、信じたくない出来事でした。


 当日、私たちはマウイ島への飛行機をキャンセルしオアフ島(ホノルル)まで戻ることになりました。緊急なことと人数の関係で、飛行機には一度には乗れません。小グループに分かれて移動しました。夕方の便で全員ホノルルのHOTEL着き一緒に夕食をとることができました。翌日は、ホノルル観光をしましたが、日本での出来事がずっと気になっていました。東北地方には知人・友人もいますので、安否が心配でした。


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ハワイ日  本

 私たちのツアーは成田で解散しました。都心への移動中、コンビニの様子を垣間見ました。ナント、食料品関係のタナが空っぽになっているのです。情報があまり入ってきませんが、流通やインフラのトラブルとのことです。
 帰旭し、日々入ってくる情報から改めて災害の大きさを知り驚愕しました。一日も早い復旧・復興を願いながら、新たな情報に釘付けになりました。
 

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