田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

ブラッキ―がいなくなったらネズミが現れた。 麻屋与志夫

2018-07-28 11:28:20 | ブログ
7月28日Sat.
ブラッキ―がいなくなったらネズミが現れた。

●今朝、ヨーグルト「恵」にキナコをまぜて食べようとしたところ、アラアラキナコの袋に五百円硬貨ほどの穴が開いていた。キナコがコボレテいる。ネズミのイタズラだ。

●「やっぱりネズミだったでしょう」とカミサンは勝ち誇ったように言い放ちわたしをにらみつけている。

●このところ部屋の隅でカリカリ言う音がしていた。部屋を横切る小さな影をわたしはゴキブリだったと言い張っていた。カミサンは「もっと、大きかった」ネズミだと言われても信じられなかった。立体的には見えなかったし、平べったい、色も茶色でごきぶりだ!! と思いこんでいた。

●歳のせいにしてカミサンの糾弾から逃げた。
「やはり、歳にはかなわないな。動体視力がオチテいるのだ」そしてじぶんのヒを素直にあやまった。

●勝ち誇ったのはいいが、カミサンの方はたいへんなことになった。キッチンのプラ袋いりの、キナコ、スリゴマ、スキムミルク、フリカケなどを引きだしに入れる作業で大わらわだ。

●わたしの書斎のとなりの納戸がわりにつかっている部屋が元凶だということになった。ここに置いた米袋が食い破られたのは数カ月前のことだった。このときは、あきらかにネズミだとわかった。米がこぼれていた。古い布団のワタも食われていた。どこかで巣作りをしていないかアノ時よく調べればよかった。

●断固断シャリ反対。などと言える立場ではなくなってしまった。断捨離、推進派のカミサンとはこのところ、イヤ、結婚してからずっと意見の齟齬をきたしてきた。

●せめて「オイラだけは、捨てないで」とオドケタ。こんなことがなくても、このところ不安はあった。老人性膝関節症でピョコタン、ピョコタンとしか歩けないわたしは、買い物に出かけても、彼女のはるか後塵を拝するようになっている。すたすた歩いて、街角に消えるカミサンを追いかけ、このまま彼女がいなくなったらどうしょうと、老人の目にうすら涙。

●歳をとるとは、こういうことなのですね。ゴールデン街を友だちと飲み歩いたむかしが懐かしいです。



ブログに発表した小説は下記の通り角川の「カクヨム」にまとめてあります。ぜひお読みになってください。

●ムンク「浜辺の少女」は吸血鬼だよ/麻屋与志夫

● 愛猫リリに捧げる哀歌/麻屋与志夫

● 吸血鬼処刑人/麻屋与志夫
あらすじ。 伊賀忍者、百々百子率いるクノイチ48は帝都に暗躍する吸血鬼に果敢な戦いを挑んでいた。百子は帝都東京で起きる「人を殺してみたかった。だれでもよかった」という凶悪犯罪の…の背後に吸血鬼の影が。






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