田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

前回の「わが人生、蹉陀(さだ)たり」の続きです。麻屋与志夫

2024-05-08 11:35:20 | わが家のニーユス
5月8日
前回の徒然草の内容です。孫引きてすが、現代語訳の先生の名前、失念しました。申し訳ありません。
「人間が生きている限りしなくてはならない社交儀礼は、どれもしないわけにはいかない。だからといって、世間のしがらみを捨てきれずに、これらのことを必ずしていると、願望も多く、体も辛く、精神的な余裕もなくなって、肝心の一生が、次から次に押し寄せてくる雑事にさえぎられてしまい、空しく暮れてしまう。もう人生が暮れるような晩年になっても、まだ究めようとする道は遠い。自分の人生は、すでに不遇のうちに終わろうとしている。まさに、白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」という状況だ。もうこうなったら、すべての縁を打ち捨てるべき時である。私は、約束も、もう守るまい。礼儀も、気にしまい。このような決心が出来ない人は、私のことをもの狂いとも言え。しっかりとした現実感がなく、人情がないと思ってもよい。他人がどんなに私のことを非難しても、少しも苦しくはない。逆に、私のことを褒めてくれても、そんな言葉を聞く耳は持たない。」



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わが人生、蹉陀(さだ)たり。 麻屋与志夫

2024-05-08 10:52:59 | わが家のニーユス
5月8日 水曜日
白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」をふまえた徒然草第百十二段をしみじみとGGは感じている。
我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たりというが、気づくのが遅かったわけではない。
それなのに母や父のことを思うと、故郷を、血肉の情をきれいさっぱりすてることはできなかった。
ようやく小説を書くことに一日、フルタイムの作家としての生活に入ることが出来て丸一年。
たいした成果はあがっていない。
まわりを安心させるために、あと二十年は生きているから、と豪語しているものの……
どんなことになるやら。
あせりはある。
健康面での不安とたたかうだけでも、並の男では精神に狂いがしょうじてしまうだろう。
並ではない、はじめから狂っているような生活をきりぬけてきたので、いまが一番幸せな気分だ。
わが家に籠城して世間との交際を断っている。
今朝、四時起き。
執筆に励んでいる。
とはいっても二時間もすると疲れてしまう。
二度寝をして、また執筆続行。
これからどうなるのでしようね。
どんな作品が書けるのかな。


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