田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

野良猫が消え、昭和の風景も消える――。 麻屋与志夫

2016-11-14 05:39:08 | ブログ
11月14日 Mon.

●鹿沼の街では、ほとんどのひとは、車で移動する。歩いて五分とかからない場所で外食するにも、くるまででかける。

●わたしたち夫婦のように、ふたりで街をあるいているものは、ほとんど見かけない。三十分もかけてベニマルまで歩いていく間、猫の子一匹歩いてはいない。これは比喩ではなく、街から猫が消えてしまった。ネコ族の滅亡。猫がいなくなった街がどんなに寂しいか。それは考え方次第なのだろう。完全に、野良猫がいなくなった訳ではないが、猫との遭遇を期待して二時間も街を歩き回っても一匹も見当たらないことがある。

●飼い猫もすくない。ペットショップでは売れない猫がどんどんおおきくなっていく。行きつく先は、……。

●どうしてこれほど猫を虐待するのだろうか。わからない。でも、猫がいなくなって清潔な街になったかというとそうでもない。

●街から昭和の風景が壊されていく。昭和の風情をのこした木造平屋建ての民家が消えた。昭和一ケタ台の生き残りとしては、家具から、そこに住む人間まで、そのままで生活している。衣食住。すべてこのままでいいのだ。お酒だって、もちろん洋酒は飲まない。菊水のドブロク仕立て「五郎八」をゴロハチ茶碗でのむ。――とまではいかない。お猪口でのむが、おつまみもすべて妻の心づくしの和風。

●考え方から、立ち居振る舞いまで昭和をそのまま残して暮らしている。

●訪れるひとは、ナツカシそうにわが家の風景のなかに佇み「すごくおちつきますね」といってくれる。

●「ひとついただいていいですか」
カラス瓜の実、タネが恵比寿様に見えるというので、娘が探しているので。といっている。

●いまどき、街中の生活で庭にカラス瓜がなっている家はめずらしいのだろう。喜んで妻がパチパチ、ハサミでカラス瓜の収獲? をしている音がホリゴタツのわたしのところまで聞こえてきた。

●わたしは、唐紙に張った愛猫三毛猫のリリに話しかけるように、小説を書きつづけた。

●「リリ。リリのことを日本一有名な三毛猫にしてあげられる日がくるといいな」


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