7月23日 金曜日
58年前。10月1日。1964年(S39年)。早朝。東武新鹿沼駅前。
朝焼けの空をわたしはみとれていた。薄紅色の空がしだいに秋の青空に刻々とかわっていく。わたしは、こんなに早く朝の大気をすったことはなかつた。
県のオリンピック通訳として勤務するために日光行の電車を待っていた。
あれから、58年。ふたたびオリンピックを観戦できるとはおもわなかった。
「むかしはよかった」などとは、いくら老人になってもおもわない。
ただ、あまりの、世相のかわりようにはあぜんとしている。
外食産業などということばはなかった。
イセロブスターを食べたいといわれて、困惑した。イセエビをたべさせる店もホテルもなかった。
テレビは小型。カラーテレビがようやくでまわってきた。
パソコンもスマホもなかった。
小説の原稿は手書き。わたしは「抒情文芸」に小説を書きだしていた。
塾で英語を教えはじめた。長女のSがうまれた。
未来が輝いていた。
「世の中かわったなぁ」と嘆息。
「そうよ。だってSの子ども、わたしたちの孫が、英語圏のロンドンで勤務しているなんて夢のようよ」
次女のところの孫、ふたりとも大学をでて勤務している。
長男のところの孫たちはまだ幼いが、健康にすくすくとそだっている。
わが家系の孫たちがどんな活躍をしていくかたのしみだ。
ともかく、生きつづけること。
わたしは、お座敷のかからない小説をかきつづけている。
いつの日か、カムバックできることを夢見ている。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
カクヨムサイトはこちら
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県のオリンピック通訳として勤務するために日光行の電車を待っていた。
あれから、58年。ふたたびオリンピックを観戦できるとはおもわなかった。
「むかしはよかった」などとは、いくら老人になってもおもわない。
ただ、あまりの、世相のかわりようにはあぜんとしている。
外食産業などということばはなかった。
イセロブスターを食べたいといわれて、困惑した。イセエビをたべさせる店もホテルもなかった。
テレビは小型。カラーテレビがようやくでまわってきた。
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小説の原稿は手書き。わたしは「抒情文芸」に小説を書きだしていた。
塾で英語を教えはじめた。長女のSがうまれた。
未来が輝いていた。
「世の中かわったなぁ」と嘆息。
「そうよ。だってSの子ども、わたしたちの孫が、英語圏のロンドンで勤務しているなんて夢のようよ」
次女のところの孫、ふたりとも大学をでて勤務している。
長男のところの孫たちはまだ幼いが、健康にすくすくとそだっている。
わが家系の孫たちがどんな活躍をしていくかたのしみだ。
ともかく、生きつづけること。
わたしは、お座敷のかからない小説をかきつづけている。
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