田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

友だちはとおきにありて思うもの。 麻屋与志夫

2017-04-01 08:01:08 | ブログ
4月1日 土曜日 Sat.

●27,28日と二日間、故郷鹿沼に滞在してKは横浜に帰っていった。あまりに変わりはてた故郷の懐かしい街、道路や街並みに――唖然としていた。

●とくに、72年ぶりの中央小学校(春休み中だったので校庭まではいって見学させてもらった)には涙目になっていた。校舎は庭のあった場所に新築されている。桜はない。むかしの面影をのこすものはなにものこされていない。

●「改悪として見るの?」
とわたしのことだからずばり訊いてみた。
「いや、屋根の緑色が新鮮な感じだ」
とさすが画家、色彩をほめてくれた。
「かわってしまった……このあたりに桜の木があってそれをスケッチして先生にほめられた。それで絵が好きになって……。先生といえば「小林閣下」というニックネームの先生がいつもハリガネをもっていて、それで生徒の首をしめる。サディストだったのだろうな。怖かったよ」
Kは深い溜息をもらした。小学校の先生の思い出が、トラウマとなる。生徒の一生を支配することを先生はごぞんじだろうか。わたしは北小学校だったのだが、Hという淫猥な先生がいた。でも、絵や音楽にすばらしい才能のあった先生だった。

●御殿山を裏道から上った。ここは木の根が地表に出ていてゴツゴツしている。すこし足の不自由になっているKはこの急な坂道に苦労していた。しかし上りつめた御殿山や、そこからみる街の周囲の展望に「自然はかわらないのだな」とまた吐息をもらしていた。

●二十代の初めに、家業を捨て、上京。画業に精魂こめて精進した。彼の耐え忍んだ苦労をつぶさに知っている。新宿の三越で個展を開くまでになった。その段階で安心してわたしは田舎町から彼の活躍を見守ることにした。交流は途絶え、今日にいたっていた。

●もう二度と会うことは出来ないのではないか。彼は故郷の街に、何人かの友だちに「お別れ」しにきたのではないか、そんなことを思う二日間だった。


  今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
 お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
 皆さんの応援でがんばっています。


にほんブログ村




最新の画像もっと見る

コメントを投稿