
新幹線にて
私はハードな出張を終えて新幹線の窓側の席に座った。クライアントの無理な要求にも何とか折衷案を提示することに成功し、ほっとしている。売店で買ったおつまみの封を切り、ビールを開けた。
「おつかれ」口には出さないが、心の中でつぶやいた。さあ、飲むぞ。もう少しで唇に缶が触れようとした瞬間だった。
「そこ私の席です」
男が立っていた。
私はあわててビールをテーブルに置いて、自分のチケットを確認した。車両番号、座席番号、日時を素早く確認した。合っている。
「合ってると思いますが」
私は冷静になって男の風貌を確認した。男は車掌の制服を着ていた。
「あなた車掌さんですよね?」困惑して思わず男に聞いた。
「いえ、違います。趣味で車掌風のつなぎを着ています」
「それつなぎなんですか」
「そうです。スーツ風のつなぎです」
「そうですか」私はいろいろと疑問に感じたが、とりあえずは座席問題を解決しようと思った。
「あなたのチケット見せてもらってもいいですか」
「いいですよ。ちょっと待ってくださいね」
男は懐から端末を取り出してなにやら入力すると、はでな音をたてて、レシートがくるっと丸まって印刷された。男は大きなモーションでレシートを端末から切り取った。
「これです」
「あなた車掌じゃ無いでよろしかったですね」
「はい」
「じゃあ、これはただの印刷物で意味ないですね」
「まあ、そうですね」
「とりあえず他の空いてる席に座ってもらえますか」
「いやです」
「なんで」
「その席の真下にインバーターがあって振動を感じたいのです」
「予約して座席を確保すればよかったでしょう」
「車掌の衣装と、自作発券機の用意に忙しくて予約できなかったのです。どうかその席をゆずってくれ」
「いやです」
「ならそのビールくれ」
「いやですよ。車中で飲むのを楽しみにして一日働いたんです。楽しみを取らないで」
「じゃあ、隣の席に座ります」
「隣の席は私の関知するところではありません」
男は隣の席に座った。男は懐から大振りのタンブラーを取り出した。スクリュー式のふたを開けると中から500ミリリットルの缶ビールを取り出してぐびぐびとうまそうに飲んだ。
(自分のビールあるじゃねえか)私はそう思いながら自分のビールを飲んだ。うまい
その時、連結部分の自動扉が開いた。
「ご乗車ありがとうございます。切符の拝見をいたします」本物の車掌が現れた。男は車掌の姿を確認すると帽子を裏返した。帽子は一瞬でハンチングに変化した。つなぎの前チャックを開け、上着部分を腰に巻いた。下からポロシャツが現れた。
「切符を拝見します」車掌は男だけにそう言った。
「切符ありません」
(結局、切符持ってないんかい!)私はずっこけながら、さらにビールを飲んだ。
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