他人が気になって仕方のない男
湖のある公園の前に研究所はあった。博士が一人でにやけている。
「ワシはまたすごい発明品を作ってしまった」
テーブルの上に置かれた機械はみかん箱ぐらいの大きさがあった。博士は完成した機械のスイッチをオンにする。機械が動き出す気配を感じながら博士は窓の外を見る。昼下がりの公園。老若男女が行き交っている。
アキオは他人が気になって仕方がない男だ。他人の一挙手一投足を観察せずにはいられない性分だった。
例えば喫茶店での出来事。テーブル席に就学前の子供を連れた二人の奥様が女子会を開いていた。子供たちは傍若無人に振る舞い、奥様がたは注意するそぶりも無い。
「この子はピュアだから、このまま大きくなったら大変。だから私が守ってあげるの」
アイスティーの氷をくるくると回しながら奥様が満足そうに口を開いている。
「そうよね。私のよっちゃんも純粋だから、世の中を生きていけるか心配」 もうひとりの奥様はアイスコーヒーのグラスに結露した水滴を、自分の手でもてあそんでいる。
アキオは一人でカウンター席に座ってた。子供の投げたぬいぐるみが足に当たる。話に夢中で気づきもしない。
「純粋でお困りですか」
アキオはぬいぐるみを子供に手渡しながら奥様たちに話しかけた。突然の事にびっくりした奥様たちは沈黙する。
「私にも、ちょうど同じくらいの男の子がいましてね」
「そうなんですね」
二人の奥様の瞳に安堵の色が浮かぶ。
「同じように純粋で、困っておるのです。落ちている物は何でもさわろうとしますし、アスファルトを必死に掘ろうとしますし、お友達に会うと、間違いなく飛びかかります。困ったものです」
「失礼ですが、お子さんの話ですよね」
「まあ、子供のようなものなのですが、今年二歳になりますダックスフンドのメリーちゃんの話ですが、何か?」
「私たち、自分の子供の話をしておりますの。失礼しちゃうわ」
「まあ、犬も子供も似たようなもんですよ。むしろ、私のメリーちゃんの方がかわいいくらいですな」
奥様は絶句して、アキオから顔をそむける。アキオは次の標的を探して店を後にする。
アキオは気づくと公園のベンチに座っていた。湖を中心に構えたこの公園は、子供連れ、若者、老人。人間観察にはもってこいの場所だったが、なぜ自分がここに来たのか、自分でもいまいち分からなかった。
風変わりなカップルがアキオの目の前を通り過ぎようとしている。身なりの整った、お金だけは持っていそうな好色おやじが、お姉さんと連れ添って歩いている。お姉さんは、赤色と青色で塗り分けたブランドスーツを着ている。
「赤色と青色ときたら、もう一色、黄色も欲しいところですな。歩く信号の完成」
アキオが辛抱たまらず口を開く。
「君は失敬な男だな。どんな服装も彼女の自由だろう」
金色の腕時計を振りかざしながらおやじがアキオの前に立つ。アキオが次のヤジを飛ばそうとするのを遮って誰かが話し出す。
「ご同伴ですか」
アキオの背後から男が現れた。坊主の格好をした。坊主だ。その坊主が口を出した。
「若いっていいわね。私もお金欲しいわ」
今度は女が現れた。一見普通の主婦のように見える女は、派手な服装のお姉さんを無遠慮に頭からつま先まで、じっくり観察する。
また一人男が現れる。野球のユニホームを着たおやじだ。
「野球をほっぽりだしてあんたらを見に来ちゃったよ。おい、おやじ。金持ちは好きに生きれていいな。俺も札束でぶいぶいと世の中を振り回したいよ」
どんどん人が集まり、口々に言いたいことを言い出した。
どれくらいの時間が経っただろうか。渦の中心にいる金持ちのおやじと、お姉さんが顔を見合わせてうなずくと、煙のように二人はその場から消失した。消失と連動して渦の外から静かな声が聞こえる。
「はい、君たち、ちょっと話を聞かしてもらえる」
警察官が静かな口調だが、諭すような視線で立っている。
研究所の窓から様子を見ていた博士が、双眼鏡を下ろした。今回の発明は警察機関からのオファーだった。
「悪意ほいほい」と博士が名付けた機械は満足な結果を残したようだ。ゴキブリを捕まえる餌の役目を立体映像が担った。
呼び寄せられた未失の悪意に、きついお灸がすえられた。
湖のある公園の前に研究所はあった。博士が一人でにやけている。
「ワシはまたすごい発明品を作ってしまった」
テーブルの上に置かれた機械はみかん箱ぐらいの大きさがあった。博士は完成した機械のスイッチをオンにする。機械が動き出す気配を感じながら博士は窓の外を見る。昼下がりの公園。老若男女が行き交っている。
アキオは他人が気になって仕方がない男だ。他人の一挙手一投足を観察せずにはいられない性分だった。
例えば喫茶店での出来事。テーブル席に就学前の子供を連れた二人の奥様が女子会を開いていた。子供たちは傍若無人に振る舞い、奥様がたは注意するそぶりも無い。
「この子はピュアだから、このまま大きくなったら大変。だから私が守ってあげるの」
アイスティーの氷をくるくると回しながら奥様が満足そうに口を開いている。
「そうよね。私のよっちゃんも純粋だから、世の中を生きていけるか心配」 もうひとりの奥様はアイスコーヒーのグラスに結露した水滴を、自分の手でもてあそんでいる。
アキオは一人でカウンター席に座ってた。子供の投げたぬいぐるみが足に当たる。話に夢中で気づきもしない。
「純粋でお困りですか」
アキオはぬいぐるみを子供に手渡しながら奥様たちに話しかけた。突然の事にびっくりした奥様たちは沈黙する。
「私にも、ちょうど同じくらいの男の子がいましてね」
「そうなんですね」
二人の奥様の瞳に安堵の色が浮かぶ。
「同じように純粋で、困っておるのです。落ちている物は何でもさわろうとしますし、アスファルトを必死に掘ろうとしますし、お友達に会うと、間違いなく飛びかかります。困ったものです」
「失礼ですが、お子さんの話ですよね」
「まあ、子供のようなものなのですが、今年二歳になりますダックスフンドのメリーちゃんの話ですが、何か?」
「私たち、自分の子供の話をしておりますの。失礼しちゃうわ」
「まあ、犬も子供も似たようなもんですよ。むしろ、私のメリーちゃんの方がかわいいくらいですな」
奥様は絶句して、アキオから顔をそむける。アキオは次の標的を探して店を後にする。
アキオは気づくと公園のベンチに座っていた。湖を中心に構えたこの公園は、子供連れ、若者、老人。人間観察にはもってこいの場所だったが、なぜ自分がここに来たのか、自分でもいまいち分からなかった。
風変わりなカップルがアキオの目の前を通り過ぎようとしている。身なりの整った、お金だけは持っていそうな好色おやじが、お姉さんと連れ添って歩いている。お姉さんは、赤色と青色で塗り分けたブランドスーツを着ている。
「赤色と青色ときたら、もう一色、黄色も欲しいところですな。歩く信号の完成」
アキオが辛抱たまらず口を開く。
「君は失敬な男だな。どんな服装も彼女の自由だろう」
金色の腕時計を振りかざしながらおやじがアキオの前に立つ。アキオが次のヤジを飛ばそうとするのを遮って誰かが話し出す。
「ご同伴ですか」
アキオの背後から男が現れた。坊主の格好をした。坊主だ。その坊主が口を出した。
「若いっていいわね。私もお金欲しいわ」
今度は女が現れた。一見普通の主婦のように見える女は、派手な服装のお姉さんを無遠慮に頭からつま先まで、じっくり観察する。
また一人男が現れる。野球のユニホームを着たおやじだ。
「野球をほっぽりだしてあんたらを見に来ちゃったよ。おい、おやじ。金持ちは好きに生きれていいな。俺も札束でぶいぶいと世の中を振り回したいよ」
どんどん人が集まり、口々に言いたいことを言い出した。
どれくらいの時間が経っただろうか。渦の中心にいる金持ちのおやじと、お姉さんが顔を見合わせてうなずくと、煙のように二人はその場から消失した。消失と連動して渦の外から静かな声が聞こえる。
「はい、君たち、ちょっと話を聞かしてもらえる」
警察官が静かな口調だが、諭すような視線で立っている。
研究所の窓から様子を見ていた博士が、双眼鏡を下ろした。今回の発明は警察機関からのオファーだった。
「悪意ほいほい」と博士が名付けた機械は満足な結果を残したようだ。ゴキブリを捕まえる餌の役目を立体映像が担った。
呼び寄せられた未失の悪意に、きついお灸がすえられた。
月曜日の朝、憂鬱な気持ちでアキラはホームに立っていた。
電車が滑り込む。ほぼ満員の車内を見て、アキラは自分に気合いを入れる。今からこの電車に乗り込む自分が信じられない混雑ぶりなのだ。白昼夢のように自分を見失う。電車に乗り込む理由はいたってシンプルだ。会社がこの先にあるからだ。
ドアの開く圧縮空気の音に一瞬ひるむ。解放されたドアに車内から人があふれ出す。アキラは果敢に体を横にしながら車内に突入する。アキラの目的駅は日本の中心地なのだ。
アキラは群衆の中にエアポケットのように出現した空間を見つける。砂漠の中に出現したオアシスを発見した気持ちになる。ずいずいとアキラは確かな足取りでオアシスに向かう。あと一歩でその空間にたどりつくはずが、その空間の理由が分かった。おばあさんが床に座り込んでいた。
そのおばあさんの髪の毛は満員電車の洗礼を受けたかのようにざんばらで服装の和服も乱れに乱れている。不思議なことに周囲の人は誰一人気にもとめていない。アキラは半ば憤慨しながら、たまらず声をかける。
「おばあさん。大丈夫ですか」
おばあさんはびっくりしたようにアキラを見上げる。
「ああ、大丈夫じゃ」
「ぜんぜん大丈夫じゃないよね。イスに座ろうよ。ほらあんた、変わってやりなよ」
目の前のサラリーマンはスマホから延びたイヤホンを耳に差し、目を閉じて微動だにしない。
「この状況であんた何も感じないのか」
アキラは語気を強めて叫ぶように声を出す。しかし、誰も何も行動を起こさなかった。
「いいんじゃよ。若者よ。ありがとう。もうすぐ駅に着く。一緒に降りよう」
「いや、会社に行かないと」
「本当に、行かないとだめか。よく考えて……」
アキラはおばあさんに見覚えがあるような気がしてきた。記憶をたぐるように映像がスライドショーのように激しく瞬いた。
おばあさんがゆっくりとホームから転落する。アキラは線路に飛び降りる。滑り込む電車の圧倒的な存在感。警告を叫び汽笛。迫るヘッドライト。
「あっ……」
「そうじゃ。あんたを巻き込んですまなんだ。さあ行こう」
「そうなんですね」
アキラは目をゆっくり閉じる。涙は流れない。
電車が滑り込む。ほぼ満員の車内を見て、アキラは自分に気合いを入れる。今からこの電車に乗り込む自分が信じられない混雑ぶりなのだ。白昼夢のように自分を見失う。電車に乗り込む理由はいたってシンプルだ。会社がこの先にあるからだ。
ドアの開く圧縮空気の音に一瞬ひるむ。解放されたドアに車内から人があふれ出す。アキラは果敢に体を横にしながら車内に突入する。アキラの目的駅は日本の中心地なのだ。
アキラは群衆の中にエアポケットのように出現した空間を見つける。砂漠の中に出現したオアシスを発見した気持ちになる。ずいずいとアキラは確かな足取りでオアシスに向かう。あと一歩でその空間にたどりつくはずが、その空間の理由が分かった。おばあさんが床に座り込んでいた。
そのおばあさんの髪の毛は満員電車の洗礼を受けたかのようにざんばらで服装の和服も乱れに乱れている。不思議なことに周囲の人は誰一人気にもとめていない。アキラは半ば憤慨しながら、たまらず声をかける。
「おばあさん。大丈夫ですか」
おばあさんはびっくりしたようにアキラを見上げる。
「ああ、大丈夫じゃ」
「ぜんぜん大丈夫じゃないよね。イスに座ろうよ。ほらあんた、変わってやりなよ」
目の前のサラリーマンはスマホから延びたイヤホンを耳に差し、目を閉じて微動だにしない。
「この状況であんた何も感じないのか」
アキラは語気を強めて叫ぶように声を出す。しかし、誰も何も行動を起こさなかった。
「いいんじゃよ。若者よ。ありがとう。もうすぐ駅に着く。一緒に降りよう」
「いや、会社に行かないと」
「本当に、行かないとだめか。よく考えて……」
アキラはおばあさんに見覚えがあるような気がしてきた。記憶をたぐるように映像がスライドショーのように激しく瞬いた。
おばあさんがゆっくりとホームから転落する。アキラは線路に飛び降りる。滑り込む電車の圧倒的な存在感。警告を叫び汽笛。迫るヘッドライト。
「あっ……」
「そうじゃ。あんたを巻き込んですまなんだ。さあ行こう」
「そうなんですね」
アキラは目をゆっくり閉じる。涙は流れない。
一週間の終わり、夜の深い時間。終電間際の電車は、乗客のうたた寝を促すように心地よい振動を伴って運行する。
「巨人がどうなったか、その小せえテレビで見てくれ」
お願いにしては、大きすぎる音量と威圧的な物言いに車内の空気が凍る。イヤホンを差したスマホで動画を見ていた女性の前で、仁王立ちのおやじがゆらゆらと揺れながら絡んでいる。周囲に助けを求める怯えた視線を女性は泳がせる。
様子をうかがっていた博士と目があう。博士は静かにうなずくと、自分の腕時計のボタンを押した。するとどうだろう。内容のよく聞き取れない言動を繰り返していた酔っぱらいが静かになった。瞳に宿る感情は恐怖に上書きされている。
「すいません。すいません。すいません」
おやじは小さくなり、小走りに女性の前から逃げて、隣、また隣の車両へと行ってしまった。
訳も分からず、驚異から解放された女性は、安堵からSNSに自分の感情を報告しだす。
女性の両隣に座っていた男が同時に立ち上がる。大学生風の若者とスーツを着た中年だった。二人は同時に口を開く。
「すいません。すいません。すいません」
あっけにとられる女性を残して、二人は小さくなって隣の車両へ移動していった。
博士は自分の開発した腕時計を満足そうにみた後、ノートを取り出した。
ペンを走らせる。
発明機器名
血中アルコール反応型・人間ラジコン腕時計
評価
アルコールで麻痺している脳を利用する。指向性電波を用いて、人体をあたかもラジコンの様に動かす。
おおむね良好。
欠点
ある程度の指向性は担保されたが、酔っぱらいが多数存在する状況下では、ピンポイントでのコントロールが難しくなる。(周囲の酔っぱらいを多数巻き込む)
「巨人がどうなったか、その小せえテレビで見てくれ」
お願いにしては、大きすぎる音量と威圧的な物言いに車内の空気が凍る。イヤホンを差したスマホで動画を見ていた女性の前で、仁王立ちのおやじがゆらゆらと揺れながら絡んでいる。周囲に助けを求める怯えた視線を女性は泳がせる。
様子をうかがっていた博士と目があう。博士は静かにうなずくと、自分の腕時計のボタンを押した。するとどうだろう。内容のよく聞き取れない言動を繰り返していた酔っぱらいが静かになった。瞳に宿る感情は恐怖に上書きされている。
「すいません。すいません。すいません」
おやじは小さくなり、小走りに女性の前から逃げて、隣、また隣の車両へと行ってしまった。
訳も分からず、驚異から解放された女性は、安堵からSNSに自分の感情を報告しだす。
女性の両隣に座っていた男が同時に立ち上がる。大学生風の若者とスーツを着た中年だった。二人は同時に口を開く。
「すいません。すいません。すいません」
あっけにとられる女性を残して、二人は小さくなって隣の車両へ移動していった。
博士は自分の開発した腕時計を満足そうにみた後、ノートを取り出した。
ペンを走らせる。
発明機器名
血中アルコール反応型・人間ラジコン腕時計
評価
アルコールで麻痺している脳を利用する。指向性電波を用いて、人体をあたかもラジコンの様に動かす。
おおむね良好。
欠点
ある程度の指向性は担保されたが、酔っぱらいが多数存在する状況下では、ピンポイントでのコントロールが難しくなる。(周囲の酔っぱらいを多数巻き込む)