頭の中でサイレンが響く。
プワープワープワー
ある月曜日の朝、それは始まった。
「今日から一緒に働くことになりました原口くんです」
上司が朝礼中にその男性を紹介した。
くせっ毛の長髪。
黒縁めがねをかけた猫背の青年が立っていた。
「最初は青山くんにいろいろ教わって下さい。よろしくね、青山くん」
(えっ、俺!)
「は、はい」
(まいったな~。新人教育にがてなんだよな)
「それでは今週も一週間よろしくおねがいします」
上司は颯爽と退室した。
同僚達はどよ~んとした月曜日特有の空気を醸し出しながらそれぞれの仕事に散っていった。
その場に立ち尽くすのは、俺と原口君だった。
(しょうがない…)
あきらめの気持ちで原口君に一歩近づいた。
その直後…
プワープワープワー
聞こえてきた。
え、何の音だ。
部屋の中をぐるりと見回す。
同僚は普段と変わらなく業務を続行中だ。
俺の頭の中だけで鳴っているのか。
原口君との距離が近くなればなるほど、音量は大きくなった。
「ど、どうも、青山です。よろしく」
動揺を隠しながら話しかける。
「原口です。よろしくお願いします」
依然、サイレンは頭の中で鳴っている。
「それじゃあ、今日はあちらの作業を手伝ってもらいましょうか」
部下に説明を押しつけて、その場をそそくさと離れた。
廊下に出ると、サイレンは止まった。
(何だったんだろう、あれは)
1週間が過ぎ、法則らしきものが分かってきた。
やはり、新人の原口くんがそばに寄るとプワープワープワーとサイレンが鳴った。
ある時はトイレの個室で用を足していると突然鳴り出した。
直後、同僚達と世間話をしながら原口君がトイレに入ってきた。
(まるで、レーダーだねこれは…)
半年が過ぎたある年末の休み、俺は実家に帰っていた。
実家に帰るのはじつに5年ぶりだ。
結婚しない俺を心配して、うるさいことを言われるのがいやで足が遠ざかっていた。
今回帰ったのは幼い頃、母親が自分に言い聞かせた記憶が蘇ったからだ。
「いいかい、アキラ。お前は特別な子供なんだ。自分で自分の事が分からなくなっても困らないように、お母さん本にまとめておくわ。アキラの取り扱い説明書よ」
両親はなぜか結婚の事は口にしなかった。
俺は母に聞いた。
「そういえば、俺のこと本にまとめてあるって言ってなかった?あれ読ませて欲しいんだけど」
母はぎょっとした顔をして言った。
「鳴ってるのサイレン…」
「そうなんだ。鳴るんだ」
「そう」
母は立ち上がり寝室から1冊のノートを持ってきた。
表紙には毛筆で「取扱説明書 アキラ」と書かれている。
ノートはページ番号が振られていて、目次が1ページ目にあった。
目を通す。
項目には体質的な注意点、環境に対する特徴、病歴等が並ぶ。
その中に「アラーム(サイレン)」と書かれた項目があった。
「サイレンは緊急信号です。特にある特定の人物に対してだけ鳴る場合、命に関わるトラブルがその人物との間で発生します。全力でその人物との関係を絶つしか方法はありません」
俺は背筋に寒気を感じながら母に聞いた。
「母さん。何これ」
「うん、あなたの口からサイレンの話を聞くのは、これで3度目なの。あなたは小さかったから覚えてないだけなの」
「え、じゃあ、過去の2回は何が…」
「1回目は3歳の時。近所のおじさんが通る度に音が鳴るんだって、母さん意味が分からなかったの。そしたらそのおじさんの運転する車が暴走して遠足中のあなたたちの列につっこんだの。あなたもけがをしたわ」
「2回目は?」
「6歳の時よ。やっぱり音が鳴るっていって。同級生のシズオ君が近くに来ると鳴るんだって言ってた。母さんは前の事もあったけど、まだ信じていなかった。
そうこうしているうちにその年の冬になったの。その子と喧嘩になって屋上からあなた突き落とされたのよ。さいわい1階下のベランダに落ちて軽傷で済んだの」
その話を聞いた俺は転職した。
もともと独立を考えていた。
ふんぎりがつかなかっただけだ。
その3ヶ月後原口は仕事で運転中、単独事故を起こし、崖から落ちた。
即死だったらしい。
母の話を聞かなかったら、俺はあの車の助手席に乗っていたのかもしれない。
プワープワープワー
ある月曜日の朝、それは始まった。
「今日から一緒に働くことになりました原口くんです」
上司が朝礼中にその男性を紹介した。
くせっ毛の長髪。
黒縁めがねをかけた猫背の青年が立っていた。
「最初は青山くんにいろいろ教わって下さい。よろしくね、青山くん」
(えっ、俺!)
「は、はい」
(まいったな~。新人教育にがてなんだよな)
「それでは今週も一週間よろしくおねがいします」
上司は颯爽と退室した。
同僚達はどよ~んとした月曜日特有の空気を醸し出しながらそれぞれの仕事に散っていった。
その場に立ち尽くすのは、俺と原口君だった。
(しょうがない…)
あきらめの気持ちで原口君に一歩近づいた。
その直後…
プワープワープワー
聞こえてきた。
え、何の音だ。
部屋の中をぐるりと見回す。
同僚は普段と変わらなく業務を続行中だ。
俺の頭の中だけで鳴っているのか。
原口君との距離が近くなればなるほど、音量は大きくなった。
「ど、どうも、青山です。よろしく」
動揺を隠しながら話しかける。
「原口です。よろしくお願いします」
依然、サイレンは頭の中で鳴っている。
「それじゃあ、今日はあちらの作業を手伝ってもらいましょうか」
部下に説明を押しつけて、その場をそそくさと離れた。
廊下に出ると、サイレンは止まった。
(何だったんだろう、あれは)
1週間が過ぎ、法則らしきものが分かってきた。
やはり、新人の原口くんがそばに寄るとプワープワープワーとサイレンが鳴った。
ある時はトイレの個室で用を足していると突然鳴り出した。
直後、同僚達と世間話をしながら原口君がトイレに入ってきた。
(まるで、レーダーだねこれは…)
半年が過ぎたある年末の休み、俺は実家に帰っていた。
実家に帰るのはじつに5年ぶりだ。
結婚しない俺を心配して、うるさいことを言われるのがいやで足が遠ざかっていた。
今回帰ったのは幼い頃、母親が自分に言い聞かせた記憶が蘇ったからだ。
「いいかい、アキラ。お前は特別な子供なんだ。自分で自分の事が分からなくなっても困らないように、お母さん本にまとめておくわ。アキラの取り扱い説明書よ」
両親はなぜか結婚の事は口にしなかった。
俺は母に聞いた。
「そういえば、俺のこと本にまとめてあるって言ってなかった?あれ読ませて欲しいんだけど」
母はぎょっとした顔をして言った。
「鳴ってるのサイレン…」
「そうなんだ。鳴るんだ」
「そう」
母は立ち上がり寝室から1冊のノートを持ってきた。
表紙には毛筆で「取扱説明書 アキラ」と書かれている。
ノートはページ番号が振られていて、目次が1ページ目にあった。
目を通す。
項目には体質的な注意点、環境に対する特徴、病歴等が並ぶ。
その中に「アラーム(サイレン)」と書かれた項目があった。
「サイレンは緊急信号です。特にある特定の人物に対してだけ鳴る場合、命に関わるトラブルがその人物との間で発生します。全力でその人物との関係を絶つしか方法はありません」
俺は背筋に寒気を感じながら母に聞いた。
「母さん。何これ」
「うん、あなたの口からサイレンの話を聞くのは、これで3度目なの。あなたは小さかったから覚えてないだけなの」
「え、じゃあ、過去の2回は何が…」
「1回目は3歳の時。近所のおじさんが通る度に音が鳴るんだって、母さん意味が分からなかったの。そしたらそのおじさんの運転する車が暴走して遠足中のあなたたちの列につっこんだの。あなたもけがをしたわ」
「2回目は?」
「6歳の時よ。やっぱり音が鳴るっていって。同級生のシズオ君が近くに来ると鳴るんだって言ってた。母さんは前の事もあったけど、まだ信じていなかった。
そうこうしているうちにその年の冬になったの。その子と喧嘩になって屋上からあなた突き落とされたのよ。さいわい1階下のベランダに落ちて軽傷で済んだの」
その話を聞いた俺は転職した。
もともと独立を考えていた。
ふんぎりがつかなかっただけだ。
その3ヶ月後原口は仕事で運転中、単独事故を起こし、崖から落ちた。
即死だったらしい。
母の話を聞かなかったら、俺はあの車の助手席に乗っていたのかもしれない。
ガチャン
あっ、やったな。
右折車両と直進車両が目の前で接触した。
若い男とおじさんがそれぞれの車から降りてきた。
右折は若者、直進はおじさんだった。
右折車両の方が責任は重い。
「やりましょうか」
若者が手のひらをおじさんに見せた。
そこにはサイコロがふたつ乗っている。
「おう、そのかわり、俺が買ったら補償額は2倍にしろよ」
「僕は偶数で」
「おう、おれは奇数だ」
サイコロがアスファルトに転がる。
凝視する二人。
「よし!」
若者がガッツポーズをした。
おじさんががっくり肩を落とす。
「それじゃあ、そういうことで」
若者は車に乗り込みそのまま走り去った。
「ギャンブルでの決定を最重要のジャッジとする」
憲法で定められたのは俺が生まれる前だった。
おやじ達の世代ではいろいろな葛藤もあったのだろうが、俺たちの世代はとくに疑問を感じることもなく自然と受け入れた。
事故の顛末を眺めたあと、ひとつのひらめきが俺を襲った。
そしてある場所に足をむけた。
俺は典型的な負け組だ。
学校を卒業後、車の部品を製造する仕事に就いた。
不況のあおりを受け、早々に人員整理された。
再就職もうまくいかず、バイトと肉体労働で口に糊する生活がつづいた。
しかし、肉体労働で腰がやられた。
出来る仕事が激減し、アパートを追いやられた。
もうだめだ。
俺は億ションと呼ばれる、このあたりでは有名なアパートの前にいる。
待っている。
待っているのはオートロックを突破するための宅配業者だ。
ついにやってきた業者の背中にくっつくように中に入る。
そして踊り場で息を殺す。
夕暮れになり、夜になる。
なかなか、めぼしい住人が帰ってこない。
人生を掛けた勝負をするつまりだ。
つまり、金持ちの余ったお金を分けてもらう。
どうせあいつらが無駄使いする金だ。
俺に施しても罰は当たらないだろう。
逆に心配なのは相手が何を俺に要求するかだ。
何も盗らずにただこの場から立ち去る。
これが俺の理想の要求だ。
そのためには人命を奪うこともあり得るという迫真の演技をしなくてはならない。
ちょうど一人の老人がエレべーターホールに降りた。
一人だ。
十分に裕福そうに見える。
後を追う。
老人はカードキーを使い自室に入室する。
俺は老人の背中を押しながら老人の口をふさぐ。
あわてる老人を自分の体で部屋に押し込み、後ろ手にドアを閉めた。
「うぐぐぐ…」
「暴れるな。俺の話を聞け。分かったか」
冷静にゆっくりと老人はうなずいた。
俺はゆっくりと手を離した。
「何が望みだ」
老人は俺に聞いた。
「分かってるだろう。俺と勝負しろ」
「分かった。お前の望むものをやろう。しかし、私が勝ったら私の為に生涯働いてもらうぞ。それと…勝負は私が決める。いいな」
「ああ、いいだろう」
老人は周りを見渡した。
そしてゆっくりした足取りで部屋に続くドアを開けた。
リビングに移動した。
そして壁掛けテレビの前で止まった。
「そうだ。このテレビで勝負しよう」
「テレビで勝負?」
「そうだ。テレビの電源を入れた瞬間に男性が映るか、女性が映るか…これでどうだ」
「そうか、では俺は女だ。女が映る。(女の方がテレビに映る頻度は多いに違いない。勝った。俺は勝った!)」
「では、私は男性だ。では、いくぞ。勝負!」
老人はリモコンのスイッチを押す。
瞬間、テレビが光る。
映ったのは男性キャスター。
「ククク…」
老人は静かに笑った。
こうして俺はあの老人のもとで働くことになった。
とはいっても、安いが給料も出た。
休みもちゃんとあった。
俺は拍子抜けしながらも、日々の暮らしを平穏に送れる幸せを感じていた。
老人が暖炉の前でくつろいでいる。
炎のオレンジ色がゆらゆらと顔を照らしていた。
老人の口元はゆるんでいた。
あの法律が出来てから私は考えた。
そしてあの日の夜、行った必勝ギャンブルを編み出した。
あの映像は録画したものだ。
男性、女性とも用意されていた映像だったのだ。
相手の賭け方で映す映像を変える。
あのギャンブルで何人の若者を雇ったか。
しかし、結果的には仕事を手にしたあの若者達も幸せなのではないだろうか。
そう思うと、老人の口元はさらにゆるむのだった。
あっ、やったな。
右折車両と直進車両が目の前で接触した。
若い男とおじさんがそれぞれの車から降りてきた。
右折は若者、直進はおじさんだった。
右折車両の方が責任は重い。
「やりましょうか」
若者が手のひらをおじさんに見せた。
そこにはサイコロがふたつ乗っている。
「おう、そのかわり、俺が買ったら補償額は2倍にしろよ」
「僕は偶数で」
「おう、おれは奇数だ」
サイコロがアスファルトに転がる。
凝視する二人。
「よし!」
若者がガッツポーズをした。
おじさんががっくり肩を落とす。
「それじゃあ、そういうことで」
若者は車に乗り込みそのまま走り去った。
「ギャンブルでの決定を最重要のジャッジとする」
憲法で定められたのは俺が生まれる前だった。
おやじ達の世代ではいろいろな葛藤もあったのだろうが、俺たちの世代はとくに疑問を感じることもなく自然と受け入れた。
事故の顛末を眺めたあと、ひとつのひらめきが俺を襲った。
そしてある場所に足をむけた。
俺は典型的な負け組だ。
学校を卒業後、車の部品を製造する仕事に就いた。
不況のあおりを受け、早々に人員整理された。
再就職もうまくいかず、バイトと肉体労働で口に糊する生活がつづいた。
しかし、肉体労働で腰がやられた。
出来る仕事が激減し、アパートを追いやられた。
もうだめだ。
俺は億ションと呼ばれる、このあたりでは有名なアパートの前にいる。
待っている。
待っているのはオートロックを突破するための宅配業者だ。
ついにやってきた業者の背中にくっつくように中に入る。
そして踊り場で息を殺す。
夕暮れになり、夜になる。
なかなか、めぼしい住人が帰ってこない。
人生を掛けた勝負をするつまりだ。
つまり、金持ちの余ったお金を分けてもらう。
どうせあいつらが無駄使いする金だ。
俺に施しても罰は当たらないだろう。
逆に心配なのは相手が何を俺に要求するかだ。
何も盗らずにただこの場から立ち去る。
これが俺の理想の要求だ。
そのためには人命を奪うこともあり得るという迫真の演技をしなくてはならない。
ちょうど一人の老人がエレべーターホールに降りた。
一人だ。
十分に裕福そうに見える。
後を追う。
老人はカードキーを使い自室に入室する。
俺は老人の背中を押しながら老人の口をふさぐ。
あわてる老人を自分の体で部屋に押し込み、後ろ手にドアを閉めた。
「うぐぐぐ…」
「暴れるな。俺の話を聞け。分かったか」
冷静にゆっくりと老人はうなずいた。
俺はゆっくりと手を離した。
「何が望みだ」
老人は俺に聞いた。
「分かってるだろう。俺と勝負しろ」
「分かった。お前の望むものをやろう。しかし、私が勝ったら私の為に生涯働いてもらうぞ。それと…勝負は私が決める。いいな」
「ああ、いいだろう」
老人は周りを見渡した。
そしてゆっくりした足取りで部屋に続くドアを開けた。
リビングに移動した。
そして壁掛けテレビの前で止まった。
「そうだ。このテレビで勝負しよう」
「テレビで勝負?」
「そうだ。テレビの電源を入れた瞬間に男性が映るか、女性が映るか…これでどうだ」
「そうか、では俺は女だ。女が映る。(女の方がテレビに映る頻度は多いに違いない。勝った。俺は勝った!)」
「では、私は男性だ。では、いくぞ。勝負!」
老人はリモコンのスイッチを押す。
瞬間、テレビが光る。
映ったのは男性キャスター。
「ククク…」
老人は静かに笑った。
こうして俺はあの老人のもとで働くことになった。
とはいっても、安いが給料も出た。
休みもちゃんとあった。
俺は拍子抜けしながらも、日々の暮らしを平穏に送れる幸せを感じていた。
老人が暖炉の前でくつろいでいる。
炎のオレンジ色がゆらゆらと顔を照らしていた。
老人の口元はゆるんでいた。
あの法律が出来てから私は考えた。
そしてあの日の夜、行った必勝ギャンブルを編み出した。
あの映像は録画したものだ。
男性、女性とも用意されていた映像だったのだ。
相手の賭け方で映す映像を変える。
あのギャンブルで何人の若者を雇ったか。
しかし、結果的には仕事を手にしたあの若者達も幸せなのではないだろうか。
そう思うと、老人の口元はさらにゆるむのだった。
この車に乗って40年になる。
18歳で免許を取って直ぐに中古でこの車を買った。
買った時点ですでに10年落ちの車だった。
まず直列6気筒のうちの2気筒が死んだ。
プラグヘッドが死んでいた。
交換部品を2本にするか6本にするかで悩んだが、とりあえず2本だけでやりすごした。
オーバーヒート気味でよく路肩に止めてボンネットを開けてエンジンが冷えるのを待った。
ある夏の日にっちもさっちもいかなくなって、ラジエター及び、サーモスタッドを交換した。
足まわり、電気系統とにかく一通りの修理は行った。
最初の5年はそんな感じだった。
さっさと買い換えれば良かったのだが、なんとなく気に入って修理に付き合った。
もう今となってはこの車以外の車に乗る気がしない。
ある休日の夜、車をガレージに止めた。
エンジンを止めてキーを抜いた。
カチャ
おっと、キーを運転席の足下に落としてしまった。
座ったままではよく見えなかったので、車から降りてライトで照らしながらキーを拾った。
おや…
ちょうどハンドルのしたあたりにフタ状のものが見えた。
あんな所に何のフタだろう。
ライトで照らし5cm×5cmくらいのふたをはずす。
その奥にはイヤホンジャックが隠されていた。
エンジンに火を入れた。
携帯電話用のハンズフリーイヤホンマイクをジャックに差し込む。
「コンディション・オールクリア コンディションオールクリア」
女性の声で繰り返し聞こえた。
(そんな、この時代の車にコンピュータなんて搭載されていないはず。
なんてことだ。
まさか中古で買ったから前のオーナーが乗せたのか。
それにしてもウインドウズもOSも無い時代の車なのに…
しばらくの沈黙の後、また車が話し出した。
「サプライズ・ユー
大事に乗ってくれたあなたへ私の秘密をお教えします。
私のフロントグリルの材質はプラチナです。
どうぞ売り払ってください。
その資金を元にあなたにお願いがあります。
ホワイトボディを手に入れてください。
そして数キロにわたる電気系統をやりなおしてください。
私の頭脳にはまだあなたの懐を潤す情報とテクノロジーを持っています。
どうですか、ご主人様」
私はとんでもなくラッキーな中古車を手に入れていたらしい。
18歳で免許を取って直ぐに中古でこの車を買った。
買った時点ですでに10年落ちの車だった。
まず直列6気筒のうちの2気筒が死んだ。
プラグヘッドが死んでいた。
交換部品を2本にするか6本にするかで悩んだが、とりあえず2本だけでやりすごした。
オーバーヒート気味でよく路肩に止めてボンネットを開けてエンジンが冷えるのを待った。
ある夏の日にっちもさっちもいかなくなって、ラジエター及び、サーモスタッドを交換した。
足まわり、電気系統とにかく一通りの修理は行った。
最初の5年はそんな感じだった。
さっさと買い換えれば良かったのだが、なんとなく気に入って修理に付き合った。
もう今となってはこの車以外の車に乗る気がしない。
ある休日の夜、車をガレージに止めた。
エンジンを止めてキーを抜いた。
カチャ
おっと、キーを運転席の足下に落としてしまった。
座ったままではよく見えなかったので、車から降りてライトで照らしながらキーを拾った。
おや…
ちょうどハンドルのしたあたりにフタ状のものが見えた。
あんな所に何のフタだろう。
ライトで照らし5cm×5cmくらいのふたをはずす。
その奥にはイヤホンジャックが隠されていた。
エンジンに火を入れた。
携帯電話用のハンズフリーイヤホンマイクをジャックに差し込む。
「コンディション・オールクリア コンディションオールクリア」
女性の声で繰り返し聞こえた。
(そんな、この時代の車にコンピュータなんて搭載されていないはず。
なんてことだ。
まさか中古で買ったから前のオーナーが乗せたのか。
それにしてもウインドウズもOSも無い時代の車なのに…
しばらくの沈黙の後、また車が話し出した。
「サプライズ・ユー
大事に乗ってくれたあなたへ私の秘密をお教えします。
私のフロントグリルの材質はプラチナです。
どうぞ売り払ってください。
その資金を元にあなたにお願いがあります。
ホワイトボディを手に入れてください。
そして数キロにわたる電気系統をやりなおしてください。
私の頭脳にはまだあなたの懐を潤す情報とテクノロジーを持っています。
どうですか、ご主人様」
私はとんでもなくラッキーな中古車を手に入れていたらしい。
そう、今ならはっきり分かる。
なぜ彼女が現れなかったのか。
僕は当時大学生だった。
携帯電話を利用したeメールが流行っていた。
他愛もないやりとりを仲間うちで送りあう。
ある夜、メールが届いた。
見慣れない名前。
ナオミと書かれていた。
「突然のメールでびっくりしたでしょう。
ごめんなさい。
トラックを走るあなたをいつも見ています。
昨日はずっこけてましたね。
またメールします」
僕は陸上サークルに所属している。
短距離が得意だ。
そういえば昨日、グラウンドに入る段差で足がひっかかり、こけそうになった。
そういえば、ベンチに髪の長い女の子が座っていた。
あの子か…
いやいやそんなわけないよな。
どうせ同じサークルのアツシのいたずらだよきっと。
明日、アツシをとっちめてやる。
でも、あの女の子が僕のメールアドレスをどうにか手に入れてメールを送ってくれたかもという期待もあった。
その日はなんだがわくわくしてなかなか眠れなかった。
次の日、視聴覚教室での授業が始まる前にアツシに聞いた。
「昨日のメールは何だよ」
「えっ、送ってないけど…」
「またまた~」
きょとんとした顔でアツシは言った。
「いや、本当に送ってないから」
「こんなメールが来たんだよ」
メール画面を携帯の画面に出し、アツシに渡した。
画面をスクロールさせて呼んだ後、アツシは思い出すように言った。
「え~っと一昨日の練習で、女の子いたかな~」
「ほら、グラウンド横のベンチに、髪の長い女の子だよ。座ってただろ」
「そうだったかな?いずれにしてもメール返信して会ってみろよ。おつき合いできるかもよ」
「そ、そうだな」
(そうかあ、いよいよ僕にも運が回ってきたか)
授業もそっちのけでメールを打つ。
「昨日はメールありがとう。グラウンドのあの段差よく引っかかってこけそうになるんです。毎日練習しているので、声をかけてください。では」
メール送信。
と同時に教壇の教授の怒号が襲ってきた。
「授業中に携帯をさわるとは何ごとだ!お前には単位をやらん!」
「すいません!」
思わず直立して謝ってしまった。
教室に失笑が起こった。
教室のカメラがすべてこちらに向いているような錯覚を感じた。
授業が終わって教室を出た。
携帯がメール着信を知らせて震えた。
「さっきはおもしろかったですよ」
それだけのメール。
あの教室にいたのか。
ナオミさんはどの子だろう。
あわてて戻ったがもう人影は無く、教室には誰も残っていなかった。
それからメールはちょくちょく送られるようになった。
「ラーメンを学食で食べていましたね」
「青のタートルネックのシャツお似合いです」
「髪の毛切りましたね」
最初は好意的に感じていたメールもだんだんと怖くなってきた。
しかもおかしな事にコンタクトをとろうと会う約束をしても彼女はOKしないのだった。
とうとう僕は大学の事務局に足を運んだ。
「すいません。聞きたいことがあるんです。僕の同じ学年のナオミさんを探しているんです。連絡を取りたいんです」
職員さんは名簿を見せてくれた。
しかし、同じ学年の女性にはナオミさんはいなかった。
誰なんだ。
そうこうするうちに僕は4年生になり、就職活動に忙しくなった。
煩わしいメールをやめた。
ナオミからのメッセージはピタリとやんだ。
そして卒業、就職。
時間はあっという間に過ぎていった。
あれから20年。
システムエンジニアとして仕事で母校に訪れた。
懐かしい。
対応してくれた職員さんは、当時名簿を見せてくれたおじさんだった。
母校のシステムは特徴的だった。
在学中からそうだったらしいが、OSは独自のものが使われいた。
「いや~君がこんなにりっぱに仕事をしている姿を見るとうれしくなるねえ」
おじさんは言った。
ぼくはフレームの扉を開けたまま聞いた。
「おじさんは昔からこの部署にいたんですか?」
世間話で聞いた。
「おう、そうなんだ。まあ、このOSを組んだのも俺なんだけどね」
「え、すごいですね」
「うふふ…すごいだろう。ちなみに今のバージョンはナオミ11(イレブン)っていうんだ」
「ナオミ…」
「初代は、そうだな20年にもなるかな。当時、急にシステムがダウンしてねえ。しきりに外部にアクセスしようとするんだ。どうも学内の監視カメラの映像を操作しているふしもあったんだ。
2代目からは省略したんだが、立体映像を投影出来る機能も盛り込んでいたんだ。ちょうどグラウンドの脇にあるベンチに投影出来たんだけどな。懐かしいな」
今、はっきり分かった。
なぜナオミは会わなかったのか。
そして、ここにいる僕は安全なのか?
なぜ彼女が現れなかったのか。
僕は当時大学生だった。
携帯電話を利用したeメールが流行っていた。
他愛もないやりとりを仲間うちで送りあう。
ある夜、メールが届いた。
見慣れない名前。
ナオミと書かれていた。
「突然のメールでびっくりしたでしょう。
ごめんなさい。
トラックを走るあなたをいつも見ています。
昨日はずっこけてましたね。
またメールします」
僕は陸上サークルに所属している。
短距離が得意だ。
そういえば昨日、グラウンドに入る段差で足がひっかかり、こけそうになった。
そういえば、ベンチに髪の長い女の子が座っていた。
あの子か…
いやいやそんなわけないよな。
どうせ同じサークルのアツシのいたずらだよきっと。
明日、アツシをとっちめてやる。
でも、あの女の子が僕のメールアドレスをどうにか手に入れてメールを送ってくれたかもという期待もあった。
その日はなんだがわくわくしてなかなか眠れなかった。
次の日、視聴覚教室での授業が始まる前にアツシに聞いた。
「昨日のメールは何だよ」
「えっ、送ってないけど…」
「またまた~」
きょとんとした顔でアツシは言った。
「いや、本当に送ってないから」
「こんなメールが来たんだよ」
メール画面を携帯の画面に出し、アツシに渡した。
画面をスクロールさせて呼んだ後、アツシは思い出すように言った。
「え~っと一昨日の練習で、女の子いたかな~」
「ほら、グラウンド横のベンチに、髪の長い女の子だよ。座ってただろ」
「そうだったかな?いずれにしてもメール返信して会ってみろよ。おつき合いできるかもよ」
「そ、そうだな」
(そうかあ、いよいよ僕にも運が回ってきたか)
授業もそっちのけでメールを打つ。
「昨日はメールありがとう。グラウンドのあの段差よく引っかかってこけそうになるんです。毎日練習しているので、声をかけてください。では」
メール送信。
と同時に教壇の教授の怒号が襲ってきた。
「授業中に携帯をさわるとは何ごとだ!お前には単位をやらん!」
「すいません!」
思わず直立して謝ってしまった。
教室に失笑が起こった。
教室のカメラがすべてこちらに向いているような錯覚を感じた。
授業が終わって教室を出た。
携帯がメール着信を知らせて震えた。
「さっきはおもしろかったですよ」
それだけのメール。
あの教室にいたのか。
ナオミさんはどの子だろう。
あわてて戻ったがもう人影は無く、教室には誰も残っていなかった。
それからメールはちょくちょく送られるようになった。
「ラーメンを学食で食べていましたね」
「青のタートルネックのシャツお似合いです」
「髪の毛切りましたね」
最初は好意的に感じていたメールもだんだんと怖くなってきた。
しかもおかしな事にコンタクトをとろうと会う約束をしても彼女はOKしないのだった。
とうとう僕は大学の事務局に足を運んだ。
「すいません。聞きたいことがあるんです。僕の同じ学年のナオミさんを探しているんです。連絡を取りたいんです」
職員さんは名簿を見せてくれた。
しかし、同じ学年の女性にはナオミさんはいなかった。
誰なんだ。
そうこうするうちに僕は4年生になり、就職活動に忙しくなった。
煩わしいメールをやめた。
ナオミからのメッセージはピタリとやんだ。
そして卒業、就職。
時間はあっという間に過ぎていった。
あれから20年。
システムエンジニアとして仕事で母校に訪れた。
懐かしい。
対応してくれた職員さんは、当時名簿を見せてくれたおじさんだった。
母校のシステムは特徴的だった。
在学中からそうだったらしいが、OSは独自のものが使われいた。
「いや~君がこんなにりっぱに仕事をしている姿を見るとうれしくなるねえ」
おじさんは言った。
ぼくはフレームの扉を開けたまま聞いた。
「おじさんは昔からこの部署にいたんですか?」
世間話で聞いた。
「おう、そうなんだ。まあ、このOSを組んだのも俺なんだけどね」
「え、すごいですね」
「うふふ…すごいだろう。ちなみに今のバージョンはナオミ11(イレブン)っていうんだ」
「ナオミ…」
「初代は、そうだな20年にもなるかな。当時、急にシステムがダウンしてねえ。しきりに外部にアクセスしようとするんだ。どうも学内の監視カメラの映像を操作しているふしもあったんだ。
2代目からは省略したんだが、立体映像を投影出来る機能も盛り込んでいたんだ。ちょうどグラウンドの脇にあるベンチに投影出来たんだけどな。懐かしいな」
今、はっきり分かった。
なぜナオミは会わなかったのか。
そして、ここにいる僕は安全なのか?