サダオは悩んでいた。
始まりはある夜、バーのカウンター席だった。
仕事はうまくいかず、毎日酒におぼれてた。
俺の人生は何だったか。
俺には存在意義はあるのか。
俺が生きている意味はあるのか。
俺の命が消えてしまっても誰も悲しまない。
サダオは止めがたい衝動と闘っていた。
(2592000・2591999・2591998・2591997……)
サダオの酩酊した頭にザラザラとしたデジタル音声が聞こえてきた。
「マスター、この音何?」
今夜の客はサダオ一人だった。
不景気そうに磨くグラスから視線を上げずにマスターは答える。
「何の音だい。ピアノトリオは退屈かい?」
「いや、レコードじゃなくて、誰か数字読み上げて無い?しかもカウントダウンしてる」
マスターは手を止めて、サダオを見る。
「店の中は、あんたと俺しかいないよ。もちとん俺は何も言っていない。今夜は飲み過ぎじゃないのか」
サダオの耳には途切れの無いカウントダウンの声が続いている。サダオはマスターの怪訝そうな表情に、現象の深刻さを感じた。
「そうだな。飲み過ぎだな。もう帰るよ」
「一人で帰れるか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
店の外に出ても、サダオにだけ聞こえる数字の読み上げが止まることは無かった。
あの夜から三日間が経った。数字の読み上げが途切れることは無かった。日中でも相変わらず数字はサダオの頭の中でなっている。
しかし、あることにサダオは気づいた。集中すると声が聞こえなくなるのだ。
仕方なくサダオは気が向かない仕事に集中することにした。するとどうだろう。仕事が順調に回りはじめた。
読み上げの数字は百万台を割っていた。
久しぶりにマスターの店に飲みに行こうと夜の街に足を向ける。
路地裏の片隅にサダオは視線を感じる。サダオは気配がする方に顔を向けた。オレンジ色の光が、弱く揺らめいていた。ろうそくの灯る小さなテーブルの向こうに、女性が一人座っている。首から顎をゆらめきが照らしている。テーブルから垂れる布に「占星術」の文字が見えた。目があったサダオに女性が会釈を返す。サダオは吸い寄せられるように占星術師の前に立っていた。
「あなた、とても面白い守護霊に守られていますね」
占星術師は、まっすぐサダオの瞳を射抜く視線を向けている。
「守護霊?あんた見えるのかい」
「見えるかどうかと聞かれますと、はっきりとは見えません。でも感じるのです。知りたくありませんか」
「あんた商売が上手だね。じゃあ、見てくれよ」
「ありがとうございます。では早速」
女は懐からタブレット状のものを取り出してサダオを撮影した。
「ほう。やはり面白い。今、悩みがあるでしょう」
「まあ、誰にでも悩みはある」
「あなた、おばあちゃんっ子だったでしょう」
「そうだったかな。五年前に死んじまったよ」
「そのおばあちゃん、実は生まれ変わっています。何になったと思いますか」
「生まれ変わってこの世にいるのかい」
「ええ、ついこの間まで、この世にいました。事故ですが、キッチンタイマーとしては大往生ではなかったでしょうか……」
「おばあちゃん、キッチンタイマーに生まれ変わったのかい」
「はい、キッチンタイマーです。お亡くなりになりましたので、守護霊としてあなたを守っておられます。悩みはその事と大きく関係があります」
サダオは前のめりになって話す。
「そうなんだカウントダウンの声が、聞こえるんだ。それってもしかして、ゼロになった瞬間、悪いことがおきるという事なのか」
「そうとは限りません。私が今お伝え出来ることは数字がゼロになる瞬間まで真面目に全力で生きてくださいということだけです。ここまでです。五千円頂きます」
「高いな」
サダオは、尻ポケットから財布を引っ張り出した。
サダオは何も考えずに仕事に打ち込む生活を続けていた。
カウントダウンの数字は八万台に入っていた。
減っていく数字が秒だとすると、残り時間はあと二十四時間。何かが起きるのだろうかとサダオは思っていた。
あと六百秒。残りあと約十分。
この時、サダオは書類を片手にしながら郵便局に歩いて向かっていた。
道路の向こうに郵便局はある。
信号の向こう側だ。
残り六十秒。
残り三十秒。
サダオは周囲を見回す。街の様子に変化は無い。同じように信号待ちをしている女性が一人、目の前にいるだけだ。
十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……
太陽の光を何かが一瞬遮った。サダオは頭上を見る。背後のビル。壁一面を覆っている工事中の足場が強風にあおられて捻るように落ちてきた。
目の前の女性もろともただでは済まないことを直感したサダオは女性を守るように走った。
「危ない」
直後、重量感を伴う金属音が響く。
二人は倒れ込む。
女性は自身に降りかかった出来事をすべて理解したようだった。
「大丈夫でしたか」
「ありがとうございます」
女性は震えている。
(俺は恋をしたかもしれない)
サダオはそう思った。
カウントゼロを知らせるアラーム音は結婚行進曲だった。
始まりはある夜、バーのカウンター席だった。
仕事はうまくいかず、毎日酒におぼれてた。
俺の人生は何だったか。
俺には存在意義はあるのか。
俺が生きている意味はあるのか。
俺の命が消えてしまっても誰も悲しまない。
サダオは止めがたい衝動と闘っていた。
(2592000・2591999・2591998・2591997……)
サダオの酩酊した頭にザラザラとしたデジタル音声が聞こえてきた。
「マスター、この音何?」
今夜の客はサダオ一人だった。
不景気そうに磨くグラスから視線を上げずにマスターは答える。
「何の音だい。ピアノトリオは退屈かい?」
「いや、レコードじゃなくて、誰か数字読み上げて無い?しかもカウントダウンしてる」
マスターは手を止めて、サダオを見る。
「店の中は、あんたと俺しかいないよ。もちとん俺は何も言っていない。今夜は飲み過ぎじゃないのか」
サダオの耳には途切れの無いカウントダウンの声が続いている。サダオはマスターの怪訝そうな表情に、現象の深刻さを感じた。
「そうだな。飲み過ぎだな。もう帰るよ」
「一人で帰れるか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
店の外に出ても、サダオにだけ聞こえる数字の読み上げが止まることは無かった。
あの夜から三日間が経った。数字の読み上げが途切れることは無かった。日中でも相変わらず数字はサダオの頭の中でなっている。
しかし、あることにサダオは気づいた。集中すると声が聞こえなくなるのだ。
仕方なくサダオは気が向かない仕事に集中することにした。するとどうだろう。仕事が順調に回りはじめた。
読み上げの数字は百万台を割っていた。
久しぶりにマスターの店に飲みに行こうと夜の街に足を向ける。
路地裏の片隅にサダオは視線を感じる。サダオは気配がする方に顔を向けた。オレンジ色の光が、弱く揺らめいていた。ろうそくの灯る小さなテーブルの向こうに、女性が一人座っている。首から顎をゆらめきが照らしている。テーブルから垂れる布に「占星術」の文字が見えた。目があったサダオに女性が会釈を返す。サダオは吸い寄せられるように占星術師の前に立っていた。
「あなた、とても面白い守護霊に守られていますね」
占星術師は、まっすぐサダオの瞳を射抜く視線を向けている。
「守護霊?あんた見えるのかい」
「見えるかどうかと聞かれますと、はっきりとは見えません。でも感じるのです。知りたくありませんか」
「あんた商売が上手だね。じゃあ、見てくれよ」
「ありがとうございます。では早速」
女は懐からタブレット状のものを取り出してサダオを撮影した。
「ほう。やはり面白い。今、悩みがあるでしょう」
「まあ、誰にでも悩みはある」
「あなた、おばあちゃんっ子だったでしょう」
「そうだったかな。五年前に死んじまったよ」
「そのおばあちゃん、実は生まれ変わっています。何になったと思いますか」
「生まれ変わってこの世にいるのかい」
「ええ、ついこの間まで、この世にいました。事故ですが、キッチンタイマーとしては大往生ではなかったでしょうか……」
「おばあちゃん、キッチンタイマーに生まれ変わったのかい」
「はい、キッチンタイマーです。お亡くなりになりましたので、守護霊としてあなたを守っておられます。悩みはその事と大きく関係があります」
サダオは前のめりになって話す。
「そうなんだカウントダウンの声が、聞こえるんだ。それってもしかして、ゼロになった瞬間、悪いことがおきるという事なのか」
「そうとは限りません。私が今お伝え出来ることは数字がゼロになる瞬間まで真面目に全力で生きてくださいということだけです。ここまでです。五千円頂きます」
「高いな」
サダオは、尻ポケットから財布を引っ張り出した。
サダオは何も考えずに仕事に打ち込む生活を続けていた。
カウントダウンの数字は八万台に入っていた。
減っていく数字が秒だとすると、残り時間はあと二十四時間。何かが起きるのだろうかとサダオは思っていた。
あと六百秒。残りあと約十分。
この時、サダオは書類を片手にしながら郵便局に歩いて向かっていた。
道路の向こうに郵便局はある。
信号の向こう側だ。
残り六十秒。
残り三十秒。
サダオは周囲を見回す。街の様子に変化は無い。同じように信号待ちをしている女性が一人、目の前にいるだけだ。
十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……
太陽の光を何かが一瞬遮った。サダオは頭上を見る。背後のビル。壁一面を覆っている工事中の足場が強風にあおられて捻るように落ちてきた。
目の前の女性もろともただでは済まないことを直感したサダオは女性を守るように走った。
「危ない」
直後、重量感を伴う金属音が響く。
二人は倒れ込む。
女性は自身に降りかかった出来事をすべて理解したようだった。
「大丈夫でしたか」
「ありがとうございます」
女性は震えている。
(俺は恋をしたかもしれない)
サダオはそう思った。
カウントゼロを知らせるアラーム音は結婚行進曲だった。
八さん「ご隠居、今日も暇そうですね」
ご隠居「ずいぶんないいようだね。まあ、お茶でもおあがりよ」
八さん「お茶菓子もおあがりたいですな」
ご隠居「ようかんがあるよ」
八さん「いいですな、うんと分厚く切ってくださいよ。なんなら、甘い物の後は夕食もいただけたらと思っております」
ご隠居「いいよいよ。食べていきなよ」
八さん「そうですか、ありがとうございます。こちらで一食は頂く算段になっておりますので」
ご隠居「どんな予定なんだよ。でもまあいいよ。今日は何の用だい」
八さん「ご隠居は何でもご存じだから、なんて名前なんだかを聞こうと思いまして」
ご隠居「ああ、物には何でも名前がある。例えば、例えば、土木現場などで使われる一輪車の名前は「猫車」と言いましてな。猫が通るくらいの細い道でも通ることができるからとも言われていますな」
八さん「さすがご隠居ですね。何でも知ってますな」
ご隠居「それほどでもないがな」
八さん「何て名前なのかなと思っておりますのは、ケーキの上なんかに銀色の仁丹みたいなのが乗ってるでしょう。あれの名前が何なのかなと…
」
ご隠居「お、おう。確かにのっておりますな」
八さん「分かりますか?」
ご隠居「あ、ああ、あれはあれですな…」
八さん「分かりませんか」
ご隠居「知っておりますよ、それは。あれは「銀の玉」
(正解はアラザン)
ご隠居「ずいぶんないいようだね。まあ、お茶でもおあがりよ」
八さん「お茶菓子もおあがりたいですな」
ご隠居「ようかんがあるよ」
八さん「いいですな、うんと分厚く切ってくださいよ。なんなら、甘い物の後は夕食もいただけたらと思っております」
ご隠居「いいよいよ。食べていきなよ」
八さん「そうですか、ありがとうございます。こちらで一食は頂く算段になっておりますので」
ご隠居「どんな予定なんだよ。でもまあいいよ。今日は何の用だい」
八さん「ご隠居は何でもご存じだから、なんて名前なんだかを聞こうと思いまして」
ご隠居「ああ、物には何でも名前がある。例えば、例えば、土木現場などで使われる一輪車の名前は「猫車」と言いましてな。猫が通るくらいの細い道でも通ることができるからとも言われていますな」
八さん「さすがご隠居ですね。何でも知ってますな」
ご隠居「それほどでもないがな」
八さん「何て名前なのかなと思っておりますのは、ケーキの上なんかに銀色の仁丹みたいなのが乗ってるでしょう。あれの名前が何なのかなと…
」
ご隠居「お、おう。確かにのっておりますな」
八さん「分かりますか?」
ご隠居「あ、ああ、あれはあれですな…」
八さん「分かりませんか」
ご隠居「知っておりますよ、それは。あれは「銀の玉」
(正解はアラザン)
とある昼下がり、アキオはスマホの画面を凝視していた。この近辺のうまいラーメン屋を検索している。醤油なのか、豚骨なのか、つけ麺なのか……。
ちょうど同時刻、アキオの思考の一挙手一投足を観察するものがいた。
一人はスキンヘッドの男。
「こいつは豚骨に決めそうだ」
スキンヘッドがアキオのフリック入力画面の文字を見ながら言う。
もう一人はマッシュルームカットの男。
「いや、私は醤油とにらんでいる」
マッシュルームの方は、画面を見てはいない。しかし、何を検索しているのかが見なくても分かるようだ。
二人は狭苦しい一室にしつらえた二脚のイスにどっしりと座っている。
「どうだい、賭けないか?」
スキンヘッドが狡猾そうに笑う。
「いいでしょう。私が醤油で、あなたが豚骨でいいですね」
「ああ」
「勝った方が、今夜のスリープを獲得するという賭けでどうですか」
「いいね。アキオは電源を切らないタイプだからしょうがないんだよな。どっちかが起きていないといけないんだ。面倒だよな」
スキンヘッドとマッシュルームはそれぞれの手に持つ、スマホの画面から目を離さずにいた。
アキオ以外の膨大な数のスマホ担当があるので、アキオのスリープを獲得しても、あまり意味の無いことは二人ともよく分かっていた。
ここは複数のスマホを統括するクラウド頭脳の一室。
彼らはユーザーのスマホを管理する傍ら、こんなことをして遊んでいるのだ。
二人はアキオが見ている画面を確認する。十字路を右に曲がると醤油ラーメンのお店。左に曲がると豚骨ラーメンのお店が地図に表示されている。
「まだ分からんよ」
「まだ分かりませんね」
二人の姿勢は気持ち前のめりになっていた。
スキンヘッドがアキオのGPS位置情報を呼び出して地図に重ねて表示させた。
アキオはまっすぐに歩いていく。
右なのか、左なのか。
醤油なのか、豚骨なのか。
アキオは十字路を直進する。直進した先にある牛丼屋に入った。
アキオの独り言が聞こえた。
「ラーメン食べたいけど、今月ピンチやもんねえ。牛丼の並で決まりですわ」
「これだから人間はおそろしいね」
「そうだね」
スキンヘッドとマッシュルームヘヤーの二人は顔を見合わせた。
ちょうど同時刻、アキオの思考の一挙手一投足を観察するものがいた。
一人はスキンヘッドの男。
「こいつは豚骨に決めそうだ」
スキンヘッドがアキオのフリック入力画面の文字を見ながら言う。
もう一人はマッシュルームカットの男。
「いや、私は醤油とにらんでいる」
マッシュルームの方は、画面を見てはいない。しかし、何を検索しているのかが見なくても分かるようだ。
二人は狭苦しい一室にしつらえた二脚のイスにどっしりと座っている。
「どうだい、賭けないか?」
スキンヘッドが狡猾そうに笑う。
「いいでしょう。私が醤油で、あなたが豚骨でいいですね」
「ああ」
「勝った方が、今夜のスリープを獲得するという賭けでどうですか」
「いいね。アキオは電源を切らないタイプだからしょうがないんだよな。どっちかが起きていないといけないんだ。面倒だよな」
スキンヘッドとマッシュルームはそれぞれの手に持つ、スマホの画面から目を離さずにいた。
アキオ以外の膨大な数のスマホ担当があるので、アキオのスリープを獲得しても、あまり意味の無いことは二人ともよく分かっていた。
ここは複数のスマホを統括するクラウド頭脳の一室。
彼らはユーザーのスマホを管理する傍ら、こんなことをして遊んでいるのだ。
二人はアキオが見ている画面を確認する。十字路を右に曲がると醤油ラーメンのお店。左に曲がると豚骨ラーメンのお店が地図に表示されている。
「まだ分からんよ」
「まだ分かりませんね」
二人の姿勢は気持ち前のめりになっていた。
スキンヘッドがアキオのGPS位置情報を呼び出して地図に重ねて表示させた。
アキオはまっすぐに歩いていく。
右なのか、左なのか。
醤油なのか、豚骨なのか。
アキオは十字路を直進する。直進した先にある牛丼屋に入った。
アキオの独り言が聞こえた。
「ラーメン食べたいけど、今月ピンチやもんねえ。牛丼の並で決まりですわ」
「これだから人間はおそろしいね」
「そうだね」
スキンヘッドとマッシュルームヘヤーの二人は顔を見合わせた。