目を開けた。
どうやら眠っていたらしい。
目は開いているが焦点は定まらない。
白い。
仰向けのまま眼球だけを動かして右を見る。
左を見る。
どこまでも白い空間。
果ては見えない。
ここはどこだ。
思い出せない。
俺は誰だ。
自分が何者か分からない。
半身を起こして必死に思いだそうとした。
何もわからない。
匂う。
どこからか匂いが漂ってきた。
この匂いは嗅いだことがある。
何だったろう。
思い出す。
タバコだ。
しかもタールが軽めのタバコ独特の匂い。
そして俺はこのタバコを吸っていた。
紫煙が漂ってくる。
後ろを振り返る。
何も無かったはずの空間にテーブルとイスが出現していた。
テーブルの上には鞄。
そして灰皿。
火のついたままのタバコ。
ああ、やっぱりこの銘柄だな。
どっかりとイスに座りそのタバコを吸う。
チリチリと音を立てて吸い込む。
タールは低いが結局ニコチンを求めて深く深く肺に入れる。
このテーブルの傷。
見覚えがある。
イスの座面に出来たタバコの焦げ後。
酒をこぼしたシミ。
見覚えがある。
鞄に手を伸ばす。
プチプチの緩衝材に包まれた包みが一つ入っていた。
緩衝材をはずす。
カメラだ。
レンズは装着されていない。
ボディだけのレンジファインダー式カメラ。
自分が何者かもはっきりしない状況なのに、レンズとフィルムを探していた。
鞄の外ポケットにやはり緩衝材に包まれたレンズとフィルムを見つけた。
ねじ込み式のマウント。
35mm。
フィルムを装着し、ファインダーをのぞく。
そこには生活感にあふれた室内があった。
ファインダーから目を離す。
部屋は消え、どこまでも真っ白な空間がたださみしく広がっている。
もういちどファインダーを覗く。
見覚えのある部屋があった。
熊やウサギのぬいぐるみがソファーに並んでいる。
シャッターを切る。
瞬間、ファインダーの中の部屋が目の前にあらわれた。
テーブルの上にあった灰皿は無くなり、代わり3人分のハンバーグが現れた。
出来立てのおいしそうなハンバーグの匂いが部屋に広がる。
ナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを食べる。
うまい。
笑い声とともに、女性と女の子が現れ、ハンバーグを食べだした。
ああ、思い出した。
目を開けた。
カーテンに仕切られた空間。
リノリウムの床。
ベット側のパイプイスに座る女性とその腕で眠る女の子。
物音に気づいた女性は電気に打たれたように身を乗り出す。
「あなた!」
事故にあった俺は意識が戻らなかったらしい。
3週間。
目覚めた俺の手には、妻が持たせた俺の愛用のカメラがあった。
このカメラおかげか、はたまたハンバーグのおかげか、はたまた低タールのタバコのおかげか…。
いやいや、やはり、妻と子供のおかげで、永遠とも思える眠りから目を覚ますことが出来た。
どうやら眠っていたらしい。
目は開いているが焦点は定まらない。
白い。
仰向けのまま眼球だけを動かして右を見る。
左を見る。
どこまでも白い空間。
果ては見えない。
ここはどこだ。
思い出せない。
俺は誰だ。
自分が何者か分からない。
半身を起こして必死に思いだそうとした。
何もわからない。
匂う。
どこからか匂いが漂ってきた。
この匂いは嗅いだことがある。
何だったろう。
思い出す。
タバコだ。
しかもタールが軽めのタバコ独特の匂い。
そして俺はこのタバコを吸っていた。
紫煙が漂ってくる。
後ろを振り返る。
何も無かったはずの空間にテーブルとイスが出現していた。
テーブルの上には鞄。
そして灰皿。
火のついたままのタバコ。
ああ、やっぱりこの銘柄だな。
どっかりとイスに座りそのタバコを吸う。
チリチリと音を立てて吸い込む。
タールは低いが結局ニコチンを求めて深く深く肺に入れる。
このテーブルの傷。
見覚えがある。
イスの座面に出来たタバコの焦げ後。
酒をこぼしたシミ。
見覚えがある。
鞄に手を伸ばす。
プチプチの緩衝材に包まれた包みが一つ入っていた。
緩衝材をはずす。
カメラだ。
レンズは装着されていない。
ボディだけのレンジファインダー式カメラ。
自分が何者かもはっきりしない状況なのに、レンズとフィルムを探していた。
鞄の外ポケットにやはり緩衝材に包まれたレンズとフィルムを見つけた。
ねじ込み式のマウント。
35mm。
フィルムを装着し、ファインダーをのぞく。
そこには生活感にあふれた室内があった。
ファインダーから目を離す。
部屋は消え、どこまでも真っ白な空間がたださみしく広がっている。
もういちどファインダーを覗く。
見覚えのある部屋があった。
熊やウサギのぬいぐるみがソファーに並んでいる。
シャッターを切る。
瞬間、ファインダーの中の部屋が目の前にあらわれた。
テーブルの上にあった灰皿は無くなり、代わり3人分のハンバーグが現れた。
出来立てのおいしそうなハンバーグの匂いが部屋に広がる。
ナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを食べる。
うまい。
笑い声とともに、女性と女の子が現れ、ハンバーグを食べだした。
ああ、思い出した。
目を開けた。
カーテンに仕切られた空間。
リノリウムの床。
ベット側のパイプイスに座る女性とその腕で眠る女の子。
物音に気づいた女性は電気に打たれたように身を乗り出す。
「あなた!」
事故にあった俺は意識が戻らなかったらしい。
3週間。
目覚めた俺の手には、妻が持たせた俺の愛用のカメラがあった。
このカメラおかげか、はたまたハンバーグのおかげか、はたまた低タールのタバコのおかげか…。
いやいや、やはり、妻と子供のおかげで、永遠とも思える眠りから目を覚ますことが出来た。
タタン・タタン・タタン
タタン・タタン・タタン
一定のリズムで体が揺れる。
レールの継ぎ目を乗り越えるリズム。
ポツポツと座っている人々。
車内は空いている言っていい。
うららかな日差しが差し込む、休日の朝。
車外を見る。
一面茶色の平原が広がっている。
その中を電車は走っている。
今朝俺は何を食べたっけ?
よく思い出せない。
何行きの電車に乗っているのか。
それもよく分からない。
しかし、この茶色の平原を走るのは初めてではない。
それだけは自信がある。
何度も何度も走っている。
これが既視感というものなのだろうか。
電車の揺れに身を任している。
ただ電車に乗っているだけなのに、自分の責務を全うしているという満足感にあふれているのはなぜだろう。
踏切、素通りする駅、ガソリンスタンド、派出所。
そして踏切、素通りする駅、ガソリンスタンド、派出所。
同じ順番で通り過ぎる車外の風景。
いつも感じるのは視線。
眩しいスポットライトに当たり、舞台の上で演じる役者の様に高揚する。
さあ、今が俺の最高の見せ場です。
ふふふ、何だそれ。
自分で自分に突っ込む。
とんだナルシストで自意識過剰なのかもしれない。
車内を見回す。
おじさん、おばさん、子供連れのお母さん。
皆、静かに座っている。
ただ奇妙なことは、まっすぐ前を見据えたまま動かない。
それこそ瞬き一つしない。
しかし、瞳の奥は誇りと満足感で満たされている。
それだけは分かる。
その時、衝撃が襲った。
重力を失う。
座ったままの姿勢で宙に浮く人々。
しかし無言。
無言のまま打ちつけられる。
天井が下にひっくり返る。
しかし車内に響く音は以外と軽い。
カシャ
カーブの先を見た。
亜熱帯のジャングルの湿原で見るような、巨大な樹木。
マングローブ林とでも言うのだろうか。
鬱蒼とした巨大なものがレールをふさいでいた。
巨大な樹木の様に見えたもの。
それは、実は柔らかく、毛足の長い物体だった。
それには目があり、口があった。
俺は心底恐ろしくもあり、またかとも思った。
にゃー
「こらチコ!電車をひっくり返さないで!おかあさーん!またチコが和室に入ってきて電車止めちゃうよー」
そうなのだ、俺は電車のおもちゃに乗っている乗客フィギアなのだ。
タタン・タタン・タタン
一定のリズムで体が揺れる。
レールの継ぎ目を乗り越えるリズム。
ポツポツと座っている人々。
車内は空いている言っていい。
うららかな日差しが差し込む、休日の朝。
車外を見る。
一面茶色の平原が広がっている。
その中を電車は走っている。
今朝俺は何を食べたっけ?
よく思い出せない。
何行きの電車に乗っているのか。
それもよく分からない。
しかし、この茶色の平原を走るのは初めてではない。
それだけは自信がある。
何度も何度も走っている。
これが既視感というものなのだろうか。
電車の揺れに身を任している。
ただ電車に乗っているだけなのに、自分の責務を全うしているという満足感にあふれているのはなぜだろう。
踏切、素通りする駅、ガソリンスタンド、派出所。
そして踏切、素通りする駅、ガソリンスタンド、派出所。
同じ順番で通り過ぎる車外の風景。
いつも感じるのは視線。
眩しいスポットライトに当たり、舞台の上で演じる役者の様に高揚する。
さあ、今が俺の最高の見せ場です。
ふふふ、何だそれ。
自分で自分に突っ込む。
とんだナルシストで自意識過剰なのかもしれない。
車内を見回す。
おじさん、おばさん、子供連れのお母さん。
皆、静かに座っている。
ただ奇妙なことは、まっすぐ前を見据えたまま動かない。
それこそ瞬き一つしない。
しかし、瞳の奥は誇りと満足感で満たされている。
それだけは分かる。
その時、衝撃が襲った。
重力を失う。
座ったままの姿勢で宙に浮く人々。
しかし無言。
無言のまま打ちつけられる。
天井が下にひっくり返る。
しかし車内に響く音は以外と軽い。
カシャ
カーブの先を見た。
亜熱帯のジャングルの湿原で見るような、巨大な樹木。
マングローブ林とでも言うのだろうか。
鬱蒼とした巨大なものがレールをふさいでいた。
巨大な樹木の様に見えたもの。
それは、実は柔らかく、毛足の長い物体だった。
それには目があり、口があった。
俺は心底恐ろしくもあり、またかとも思った。
にゃー
「こらチコ!電車をひっくり返さないで!おかあさーん!またチコが和室に入ってきて電車止めちゃうよー」
そうなのだ、俺は電車のおもちゃに乗っている乗客フィギアなのだ。
AM11時起床。
三脚に据えた単眼鏡から目を離した。
俺は床に置かれたパソコンにそう記入した。
パソコンの横にはマミー型寝袋が転がっている。
「おい、奴が起きたぞ。交代だ」
寝袋を蹴りながら、そう言う。
「うあい…」
そういって寝袋はむくりと半分起きあがった。
ファスナーを開け、青年が眠そうに出てくる。
助手のササキだ。
このウイークリーマンションに転がり込んでもう一週間になる。
始まりは雨の午後。
雑居ビルの3階に我が探偵事務所はある。
丸めがねの依頼主は不意にやってきた。
「このファイルの人物の行動調査を24時間体制でやってもらえませんか」
「はあ、24時間ですか」
挨拶もなしに丸めがねのスーツ男はそう切り出した。
「出来ないことは無いのですが費用がかかりますよ。よろしいのですか?」
「前金でとりあえず100万円お渡しします」
(100万…やるやる行動調査ぐらいいくらでも…)
「ファイル見てもよろしいですか」
「どうぞ」
工藤ユウジ。40歳。
望遠レンズで撮影されたと思われる画像の荒い写真の裏に住所が手書きで書かれている。
資料はそれだけだった。
「ちなみにどういったご関係ですか。そしてどういう目的の調査ですか?」
「それは一切申し上げられません」
丸めがねは表情も変えずにそう言った。
「そうですか(まあ、なんでもいいか。とりあえず適当に監視して100万円せしめるとしよう)まあ、結構です。早速着手します」
俺の仕事の流儀は取りあえず着手。
深く考えてもしょうがない。
今この瞬間、仕事らしい仕事もない。
助手のササキにも仕事を与えなければならない。
危険な匂いを感じない訳ではないが、探偵稼業、大なり小なりのアクシデントはつきものだ。
この工藤という男の行動。
謎が多い。
この男、朝、目を覚ますとすぐに外出する。
そして駅前の木造モルタルマンションの一室に向かう。
深夜までその部屋で過ごす。
そして自室のアパートに帰る。その繰り返し。
なぜこんな奴の監視をするのか。
しかし、今朝は違った。
いつもは車で出発するのだが、原チャリを持ち出してきた。
「ボス、今朝は原チャリで出勤です」
ササキが単眼鏡をのぞきながら言う。
この後は、ササキ一人で後を追いかける予定なのだが、違和感を感じた俺はバイクで奴を尾行する事にした。
追いかけながら、どこに行くつもりだと思った。
俺のバイクは125ccのスクーターだ。
半端にチューンしたバイクでは目立ってしょうがない。
一見、地味なスクーターが一番良い。
エンジン、足まわり、ブレーキ、一通りの改造は施されている。
尾行には最強のマシンだ。
奴の原チャリぐらいは余裕で追える。
パチンコ屋に入った。
なんだ、パチンコかよ。
俺は落胆した。
奴は2階の窓際のスロットを打ち出した。
しかし、妙なのだ。
手は機械的にレバーを操作しているが、目は前のスロットを見ていない。
窓の外、何かを見ている。
いや、監視している目の動きなのだ。
何が見えるのか。
俺はスロットを選ぶ振りをしながら窓の外を見た。
向かいのビルの1階部分のオープンカフェが見える。
女性店員がテーブルを拭いている。
奴はどうもその店員を見ているようなのだ。
こいつはストーカーか…
工藤は女性店員の退社時間まで、みっちりとその場所で監視していた。
ときおりポケットから手帳を取り出し、記録を取っているのが不気味だった。
俺はササキに指示を出した。
あの女性を調べろ。
「ボス、分かりましたよ。あの女性の名前は小林アン。短大に通う20の学生です。あの店はバイトで働いています。そして工藤の通うアパートの前の建物から彼女は通っています。工藤はあの学生を監視してますね」
「やはりストーカーか」
「どうでしょう。まあ、でもストーカーですね。奴が帰った後、あのアパートに入ってみました」
「ええ、おまえそんな事できるの」
「ええ、まあ、シングルの鍵だったんで、まあ、ちょちょいと」
「すごいなおまえ」
「そしたら、案の定、望遠レンズとハードディスクを増設したビデオカメラが電源につながれて録画状態でした。足音が収録されてはまずいんで玄関までしか入ってません」
「そうか」
俺は依頼主の丸めがねに報告書を渡した。
丸めがねは無言で受け取った。
観察も調査も終わった。
彼女がどうなろうとも俺とは何の関わりもない。
そう思おうとしたがどうしても釈然としない。
俺は事務所を飛び出し、車に乗り込んだ。
今の時間、工藤は自室に帰っているはずだ。
工藤は昨夜録画した動画をチェックしていた。
アンが窓から双眼鏡で何かを観察している。
ノートに何かを記入した。
どんどん
工藤はしばらく無視していた。
しかしドアをたたく音は一向にやまない。
工藤は缶ビールを口から離しテーブルに置いた。
(誰だよ、めんどくさいな)
「はい、どなた」
ドアチェーンをかけたまま扉を開けた。
俺は手に持っていたチェーンカッターを素早く隙間に差し込み、チェーンを切った。
ドアを押し退け、玄関に侵入した。
工藤の腹を思い切り蹴りあげる。
工藤は前のめりに倒れた。
うつむせの工藤を仰向けにし、馬乗りになる。
「誰だお前…」
工藤は苦しそうに言う。
「誰でもいいだろ。そんなことよりお前あの女に何してるんだ。ストーカーか」
拳を奴の顎にたたき込む。
「ストーカー、俺が…違う。俺は探偵なんだ。依頼主に頼まれてあの女の行動を監視しているだけなんだ」
言葉を失う。
そして確認した。
「その依頼主はもしかしてメガネをかけていないか。丸い…」
「そ、そうだ。丸めがねだ」
いったい何のために丸メガネはそんな事を依頼するんだ。
まったく分からない。
「おい、あの女」
俺は画面に映っているアンを指さした。
「何を観察しているんだ」
「ああ、どうやら彼女も男の行動観察をしているようだ」
その時、ドアの外で人の気配がした。
俺はゆっくりとドアに近づいた。
たしかに誰かいる。
俺はドアを勢いよく引いた。
女が倒れ込んできた。
「誰だ、お前」
長谷川キョウコ 39歳。
その女はそう言った。
飲み屋である男にバイトを頼まれたらしい。
俺の事を監視するバイト。
その男も丸めがねだったらしい。
いったいどういう事なんだ。
監視しているつもりが監視されている。
その数珠つなぎ。
その様子を上から丸めがねが見ている。
おそらく、短大生のアンも丸めがねから頼まれて知らない男を監視しているのだろう。
その一部始終をプロジェクター投影された大画面で眺めるいくつもの視線。
丸めがねはステージの上に立っている。
「何人の人間が私を突き止め、この場所にやってこれるのか。みなさまの掛け金でゲームは現在進行中です。さあ、皆様、おかけください」
金を腐るほど持つ金持ち達が掛け金を投げながらコールしていた。
三脚に据えた単眼鏡から目を離した。
俺は床に置かれたパソコンにそう記入した。
パソコンの横にはマミー型寝袋が転がっている。
「おい、奴が起きたぞ。交代だ」
寝袋を蹴りながら、そう言う。
「うあい…」
そういって寝袋はむくりと半分起きあがった。
ファスナーを開け、青年が眠そうに出てくる。
助手のササキだ。
このウイークリーマンションに転がり込んでもう一週間になる。
始まりは雨の午後。
雑居ビルの3階に我が探偵事務所はある。
丸めがねの依頼主は不意にやってきた。
「このファイルの人物の行動調査を24時間体制でやってもらえませんか」
「はあ、24時間ですか」
挨拶もなしに丸めがねのスーツ男はそう切り出した。
「出来ないことは無いのですが費用がかかりますよ。よろしいのですか?」
「前金でとりあえず100万円お渡しします」
(100万…やるやる行動調査ぐらいいくらでも…)
「ファイル見てもよろしいですか」
「どうぞ」
工藤ユウジ。40歳。
望遠レンズで撮影されたと思われる画像の荒い写真の裏に住所が手書きで書かれている。
資料はそれだけだった。
「ちなみにどういったご関係ですか。そしてどういう目的の調査ですか?」
「それは一切申し上げられません」
丸めがねは表情も変えずにそう言った。
「そうですか(まあ、なんでもいいか。とりあえず適当に監視して100万円せしめるとしよう)まあ、結構です。早速着手します」
俺の仕事の流儀は取りあえず着手。
深く考えてもしょうがない。
今この瞬間、仕事らしい仕事もない。
助手のササキにも仕事を与えなければならない。
危険な匂いを感じない訳ではないが、探偵稼業、大なり小なりのアクシデントはつきものだ。
この工藤という男の行動。
謎が多い。
この男、朝、目を覚ますとすぐに外出する。
そして駅前の木造モルタルマンションの一室に向かう。
深夜までその部屋で過ごす。
そして自室のアパートに帰る。その繰り返し。
なぜこんな奴の監視をするのか。
しかし、今朝は違った。
いつもは車で出発するのだが、原チャリを持ち出してきた。
「ボス、今朝は原チャリで出勤です」
ササキが単眼鏡をのぞきながら言う。
この後は、ササキ一人で後を追いかける予定なのだが、違和感を感じた俺はバイクで奴を尾行する事にした。
追いかけながら、どこに行くつもりだと思った。
俺のバイクは125ccのスクーターだ。
半端にチューンしたバイクでは目立ってしょうがない。
一見、地味なスクーターが一番良い。
エンジン、足まわり、ブレーキ、一通りの改造は施されている。
尾行には最強のマシンだ。
奴の原チャリぐらいは余裕で追える。
パチンコ屋に入った。
なんだ、パチンコかよ。
俺は落胆した。
奴は2階の窓際のスロットを打ち出した。
しかし、妙なのだ。
手は機械的にレバーを操作しているが、目は前のスロットを見ていない。
窓の外、何かを見ている。
いや、監視している目の動きなのだ。
何が見えるのか。
俺はスロットを選ぶ振りをしながら窓の外を見た。
向かいのビルの1階部分のオープンカフェが見える。
女性店員がテーブルを拭いている。
奴はどうもその店員を見ているようなのだ。
こいつはストーカーか…
工藤は女性店員の退社時間まで、みっちりとその場所で監視していた。
ときおりポケットから手帳を取り出し、記録を取っているのが不気味だった。
俺はササキに指示を出した。
あの女性を調べろ。
「ボス、分かりましたよ。あの女性の名前は小林アン。短大に通う20の学生です。あの店はバイトで働いています。そして工藤の通うアパートの前の建物から彼女は通っています。工藤はあの学生を監視してますね」
「やはりストーカーか」
「どうでしょう。まあ、でもストーカーですね。奴が帰った後、あのアパートに入ってみました」
「ええ、おまえそんな事できるの」
「ええ、まあ、シングルの鍵だったんで、まあ、ちょちょいと」
「すごいなおまえ」
「そしたら、案の定、望遠レンズとハードディスクを増設したビデオカメラが電源につながれて録画状態でした。足音が収録されてはまずいんで玄関までしか入ってません」
「そうか」
俺は依頼主の丸めがねに報告書を渡した。
丸めがねは無言で受け取った。
観察も調査も終わった。
彼女がどうなろうとも俺とは何の関わりもない。
そう思おうとしたがどうしても釈然としない。
俺は事務所を飛び出し、車に乗り込んだ。
今の時間、工藤は自室に帰っているはずだ。
工藤は昨夜録画した動画をチェックしていた。
アンが窓から双眼鏡で何かを観察している。
ノートに何かを記入した。
どんどん
工藤はしばらく無視していた。
しかしドアをたたく音は一向にやまない。
工藤は缶ビールを口から離しテーブルに置いた。
(誰だよ、めんどくさいな)
「はい、どなた」
ドアチェーンをかけたまま扉を開けた。
俺は手に持っていたチェーンカッターを素早く隙間に差し込み、チェーンを切った。
ドアを押し退け、玄関に侵入した。
工藤の腹を思い切り蹴りあげる。
工藤は前のめりに倒れた。
うつむせの工藤を仰向けにし、馬乗りになる。
「誰だお前…」
工藤は苦しそうに言う。
「誰でもいいだろ。そんなことよりお前あの女に何してるんだ。ストーカーか」
拳を奴の顎にたたき込む。
「ストーカー、俺が…違う。俺は探偵なんだ。依頼主に頼まれてあの女の行動を監視しているだけなんだ」
言葉を失う。
そして確認した。
「その依頼主はもしかしてメガネをかけていないか。丸い…」
「そ、そうだ。丸めがねだ」
いったい何のために丸メガネはそんな事を依頼するんだ。
まったく分からない。
「おい、あの女」
俺は画面に映っているアンを指さした。
「何を観察しているんだ」
「ああ、どうやら彼女も男の行動観察をしているようだ」
その時、ドアの外で人の気配がした。
俺はゆっくりとドアに近づいた。
たしかに誰かいる。
俺はドアを勢いよく引いた。
女が倒れ込んできた。
「誰だ、お前」
長谷川キョウコ 39歳。
その女はそう言った。
飲み屋である男にバイトを頼まれたらしい。
俺の事を監視するバイト。
その男も丸めがねだったらしい。
いったいどういう事なんだ。
監視しているつもりが監視されている。
その数珠つなぎ。
その様子を上から丸めがねが見ている。
おそらく、短大生のアンも丸めがねから頼まれて知らない男を監視しているのだろう。
その一部始終をプロジェクター投影された大画面で眺めるいくつもの視線。
丸めがねはステージの上に立っている。
「何人の人間が私を突き止め、この場所にやってこれるのか。みなさまの掛け金でゲームは現在進行中です。さあ、皆様、おかけください」
金を腐るほど持つ金持ち達が掛け金を投げながらコールしていた。