今日は一日予定が無い、ふっと思いたち久しぶりにお茶の先生にお電話をした。何かふっと思い出したのが偶然といえば偶然である。今日は先生の70歳のお祝いのお茶事を予定しているというのだ。久しぶりである、孫が生まれる等多忙になったため、お休みしていた。メンバーも新しい方が入っていた。皆さんあれからかれこれ6年以上も過ぎているのだが、皆さん若々しい!何方も以前と変わりない美しさだ。お手前は忘れてしまっているのではないかと不安であったが、今日は飛び入りで、客としての参加という事で気軽に美味しいお濃茶を頂いた。ほとんどのメンバーが60歳代という事で、膝が痛くって座れないというメンバーも椅子に腰を掛けて参加していた。正座が出来るのは何時までであろうか?正座が出来なくなると「お茶のお稽古」は難しくなってくるというものだ。
「茶の湯を愉しむ」「淡々として自然の姿で水が流れるがごとくお茶を愉しむ」この楽しさを次の時代の方々に伝える事は出来るのであろうか?見渡す限りお稽古をしているのは皆シニアばかりだ。(苦笑)これから若い方にこの伝統の作法を伝えて行く事が出来るのであろうか?。少々習った位ではとても教える事など出来ない。
せめて日常生活の中で偶にはお茶を点てるという生活をしていきたいものだなあと痛切に感じた一日であった。
「茶の湯を愉しむ」「淡々として自然の姿で水が流れるがごとくお茶を愉しむ」この楽しさを次の時代の方々に伝える事は出来るのであろうか?見渡す限りお稽古をしているのは皆シニアばかりだ。(苦笑)これから若い方にこの伝統の作法を伝えて行く事が出来るのであろうか?。少々習った位ではとても教える事など出来ない。
せめて日常生活の中で偶にはお茶を点てるという生活をしていきたいものだなあと痛切に感じた一日であった。
マーサさんもお茶をされますので、今日も休憩時にお抹茶を立てて下さいました。豊かな気持ちになりますね。
「お茶もパソコンも奥が深い」と言う事を書くつもりだったのに、話がそれてしまいました。失礼!
マーサさんは日頃からお抹茶を点てておもてなしをするなんて優雅な暮らしをしておられるのですね。
私ももっとゆとりのある暮らしをしなければと、何時も思っているのですが、がさがさと暮らしております。
子どもも大学を終える来年には、もう少しニョーボの小遣いを値上げしてあげなければなりません。
私は50の手習いで始めたものですから、あまり比較にはなりません。
奥様の茶道は本格的なものだと思います。
私のはナンチャッテ茶道なのです。