懐かしい友人との出会いも、何故か気が重いものになってしまいました。
今後歳を重ねる毎に、自分たちの足元を見つめ直すもっと現実的な会話もできるような関係で居たいものだと感じたのは私だけではなかったのです。いろいろな角度から切実な問題が身近に見えてきました。
たまたま帰りに立ち寄った妹がお世話になっている施設を見舞った事もそれに輪をかけて大きな大きな要因となりました。
老後の現実を目のあたりにし、もの凄く深刻な気分になってしまいました。
帰宅後の夜は濃いコーヒーを戴いた訳でも無いのに、眠れない長い夜でした。
老人施設の中での高齢者の生き方に愕然としたと言う事です。以前に介護の3級の為の実習があり二つの施設での実習時にも現実を見る機会がありました。その現実に私は慄き、その後の2級の受験には進まなかったという情けない事になったままであります・・・・忘れていたのではありませんが、ここでもやはり気分的に限界を感じました。
老人になってますます自己中心的になり、病気や痴呆が避けられなくなって、そのひどさには拍車がかかり自己管理が出来ない。そうした高齢者のお世話に若い介護職員が苦労なされている現実をみて、もう限界だなと感じました。
あのような状態のご老人を多数お世話するという事は人間として極限に近い事だと感じました。素晴らしい高齢者も大勢おられますが、「自分の事だけ良ければ病」にかかっておられる高齢者が多くて・・仕事とはいえ職員の方々は一日中あのような環境で働いているのです、神経が参ってしまいそうです。
我儘な高齢者が世の中に溢れかえっているのが今の日本の現実です。これは社会問題ですね。何か手を打たなければならなのではないかと感じました。「ほっとけない」・・等と感じても・・私には何が出来るのか?先ずは自分自身が変わらなければならないという事を深く反省しています。
どんな施設でもどんなにお金があろうとも多かれ少なかれ、問題の本質である高齢者が幼稚で情けないという現実は同じです。
我儘・傲慢な高齢者を減らさなければ日本の将来は危ないですね。
あまり話題にしたくないことではありますが、避けて通れない事も事実です。
とはいえ自分自身が知的能力が退化していった場合、どのように周囲の人に対してふるまうのかは、とても予想がつきません。
自分の家族でもそうでしたが、人格が幼児帰りする場合が多いようです。
でも自身が潜在的に持っている幼少時の性格を今さら矯正することはできそうもありませんし、だいいち自分の幼少時の性格がどうだったのかも、今となっては漠然としすぎていてよく判らないのですから、実に困ったものです(^^;)
ただ単に縞状に痴呆が入るという事なら、正常な判断が出来る部分も残されているという事で、少し安心できるのですが、今の状態で自身がどの様な経過をたどるのかを想像することが出来ないのが困ります。可愛い幼児性ならまだいいのですが・・・・
財産管理も何もかも出来なくなるのでしょうから・・・・せめてボケない工夫を・・・・でも誰にもわからないですね。
人格が幼児遡りするとすれば自分の場合では周りへの迷惑度は大変なことに・・・!!??!!
因みに祖母は101歳で物故しましたが90歳過ぎての誰彼構わずのドロボー呼ばわり認知症が厳しかった時期があって最晩年では骨・皮・筋だけの胃漏・植物人間状況でした!!
両親は共に平均寿命は過ぎて、特にはおやじはある日突然であって幸いに認知症がでる前の物故でした!!
前もって準備期間が欲しいですが・・・・
ネットで検索して見て、多い事多い事・・その中で「子どもを叱るな 来た道だから
年寄りを笑うな 行く道だから」と言うのがありまして・・・まぁ・・・これに尽きるのでしょうか。
後は先の事は分かりませんから・・ケセラセラ・・・なるようになるという結論ですね。
深刻に考えても考えなくても長生きするかもしれませんしね・・・。。コメントありがとうございます。