広島に原爆が落とされた日ですね。
8時15分に黙とうをさせていただきました。
戦争はもちろんですけれど、核兵器の恐ろしさを更に確認する日でもあります。時間の経過があっても何時までも言い続けなければならないと思います。
時には行動に移さなければならない時も来るのかもしれませんが、来ないことを祈ります。
夕方から地元の花火大会があります。今年は有料の席を確保していませんので、歩いて行ってみたいなと思っております。久しぶりで歩けるかなぁ・・・・
青森にお住まいのななかまどさんからねぶた祭りの写真が届きました。
日本がパールハーバーを攻撃した際、出来うる限り一般人が巻き添えになることを避け、軍事工場のみを攻撃したと言います。一部のアメリカ人はそれを賞賛しているそうです。(というのを最近知りました)
世界のあちこちで起こっているテロ、原因のひとつはアメリカの武力介入によるものであるらしいです。私はそういう事に疎いので、よく分かりませんが。
何かというと武力制裁って過激ですよね・・・。だんだんとそういう時代でなくなってきている感じもしますが、まだまだ。
一瞬のうちに大量の人が殺されるというのが、常に起こっている今の時代は恐ろしいです。
来年の課題に写真も入れておきます。
津軽の夏はもうすぐ終わりますが、来年の予定、することが70代には必要と思います。
ねぶたも昔は坂上田村麻呂将軍の伝説の一部でしたが、実際は虫送り,眠り流しなど米の豊作を祈る行事から始まったようです。
狩猟、採集の縄文時代は戦のない平和な時代が1万年続いたのに、稲作が始まった弥生時代から格差が生まれ土地の奪い合い、戦を繰り返してきたのです。
武器を捨てられず、共存共生できない現代人は進化したのか、退化したのか、悲しくなります。
火薬を使っていても花火は好きです。
隅田川へも何度か行きましたが,同時に2か所で続けて打ち上げられると、ああもったいない、もっとゆつくりと言いたくなりました。
おまけに終わったらゴミ箱に浴衣が捨てられているそうです。…着物好きには辛い光景です。
田舎者の私が好きなのは、送り盆の夜上りの東北道,田んぼの向こうの山裾で打ち上げられる花火です。
夜空に音もなく1本ずつ開いては消えていく。せいぜい3尺玉でしょう。
今じい様,ばあ様の魂が極楽へ上っていく、それを実感できる時間でした。
大震災の後、あちこちで花火を自粛したのは残念な事でした。
毎年花火を打ち上げられる世界だといいですね。
戦争ってなんでもありの世界でその中にあっても一般市民や歴史的建造物や貴重な財産など残すということなども配慮が出来る人たちは余裕がある人達だったのですね。
「力には力で仕返しを」と愚かな繰り返しが続きますねぇ・・・」情けない幼稚さではないかと感じます。
昨年は会場の近くで升席を予約しゆっくり見ました。さすがに体ごと色彩とドンという音に包まれて、BGMに合わせての花火は圧巻でした。技術は進歩しています、花火はコンピューターでの管理のもと素晴らしいものでした。
ナナカマドさんの思い出はまたそれはそれでお盆に上げる花火の本来の姿だと思います。どちらも大事にしたいです。素敵なお話を聞かせていただきありがとうございます。