じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

田舎を訪ねる

2009年07月05日 | 日々のこと

昨日、年老いた母親(97)に会いに行った。

今治市に合併されたが、かなり郊外の山村である。

半年振りであった。

 

顔色はよくどこも悪いところは無いというが、

しっかりしていた意識が、今までと違い何だか まどろんでいる表情だった。

ベッドを起こしながら、「長い間来られなくてごめんよ」と言ったら察していた。

わが妻の遺影写真見せると、抱きしめて「何と不憫なことよ」と言って泣いた。

   

「しっかり生きるんだぞ」と励まされた。

「大丈夫だよ」と言ったが、つい涙した。

そうこう話しているうちにも、又まどろんできたようだ。

   

兄夫婦とも暫く振りに長い時間話した。

2人とも足腰を痛めて、農業もままならないと言っていた。

息子が勤めの暇をみて手伝ってくれるのでどうにかこうにかと・・・

誰も間違いなく年老いて、不安を抱えていく。

 

0907043

夕方、ラヴを連れていつもの川原へ散歩に行く。

2,3日降った雨は少雨であった。

上流のダムに溜め込んで、水量は余り増えていない。

暫く梅雨空が続く模様。

P1060718

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AFが頭をもたげてきた

2009年07月04日 | 不整脈

6月に入って以降、心臓の調子がおかしくなってきた。

心房細動(AF)の発作が頻繁に起こる。

  

かかりつけの病院で抗不整脈薬の点滴で治まり、その後も自宅で何度かその兆候が出るたびに処方されている薬をレスキュー的に飲んで何とか抑えてはごまかしている状態。最近ではそれがほぼ毎日のように起こるようになった。

  

少し運動(といっても犬の散歩程度)したり、階段を上がったりしただけで、心臓がクックックッとして息切れする。夕方や夜間、安静にしている時でさえ不意に起こったりする。

いつ何時起こるか知れないのが不安を煽るのである。

季節性だけではない、これはどうも再発のようだ。

  

焼き切れてなかった不正信号経路が活発に頭をもたげてきたもようである。

4年ほど前にカテーテルアブレーション手術を受けた。

あの前にも今のように頻繁に発作が起こっていた。

  

まだ比較的事例の少なかった時代に治療に踏み切った。

医師は「根治はほぼ70%です。再発するようであればもう一度手術が必要です」といわれていた。手術は、意識があるまま長時間に亘って行われるので結構辛かった。

術後2年間は兆候が治まっていた。

    

もう余命限られた身で、そこまでする必要があるだろうか・・・・

付き添ってくれる妻がいないのも心もとない。

しかし・・・この毎日のように続く不整脈の不安感は、甚だ不愉快である。

限られた日々を憂いなく過ごすためもう一度アブレーションに賭けてみる手もある。

  

  

朝日新聞にあのスーパー老人、三浦雄一郎の記事が連載されている。

不屈の闘志と体力、心臓の持ち主かと思っていたがそうではなかった。

心房細動に幾度もくじかれそうになった。

だが、彼は70歳を過ぎてカテーテルアブレーションを二度受け心房細動を克服し、エベレスト登頂を成し遂げたそうだ。太刀打ちできない。

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思わぬ遺品

2009年07月03日 | 日々のこと

妻の勤めていた病院のSさんから、今から訪れたいと電話があった。

妻が使っていたデスクに鍵がかかった引き出しがあって、合鍵が見つかったので内容品をお届けしますとのこと。

  

「確認はしないでそのままそっくりお持ちしました」と

あわせて丁寧に線香を上げて帰られた。

どうもこういう時に、何もお構いが出来ないのが心苦しい・・・

   

     

0907032 2,30年に亘る病院でのスナップや忘年会、慰安旅行などの写真が大部分であった。

一枚ずつ見ていると、私の知らなかった面が見えきたりして、また思い出が蘇ってしまった。

  

腕時計が2つ出てきた。

一つは動かなかったが、大きな時代物の腕時計(多分脈を測るとき使っていたのだろうか)は、

竜頭を巻くと再び秒針がコツコツと刻み始めた。

   

だが、・・・時は再び戻ってはくれないのだなあ。

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お悔やみ欄

2009年07月02日 | 日々のこと

0906283 新聞の地方版に「お悔やみ」欄があります。

  

享年50代は若いなあとか、101歳は大往生だしとか、

知人ではないかとか、それまではわりと何気なく見ていたものです。

  

妻のときに葬儀社さんから「あの欄に載せますか、どちらにしますか」と訊ねられて、訃報を知らない知人も多いだろうと思い、とりあえず載せてもらうようにと頼みました。

  

「新聞で知ったのよ」と驚いて葬儀に駆けつけてくれた方も多かったのです。

やっぱり載せておいてもらってよかったと・・・・

  

ところが、数日後から

なんと何と仏具屋さん、墓石屋さん、贈答品店、はては料理屋さんからも来るわ来るわ・・・

ダイレクトメールが次々と届きます。

  

粗品と名刺を持って直接訪問されるのも数知れず。

一番凄かったのは贈答用の商品カタログ、どっさりどっさり→古紙回収に出しました。

そうか、そうだったのか・・・なるほど、と驚くやら呆れるやら。

  

でも、この業界に知り合いはなし、

結局はそれらの中から感じの良いところを選び、調達することになりましたが。

あの欄は業界にとってのお役立ち情報だったのですね。

  

いまだに、今度はお盆用品とか・・・カタログやはがきが届いています。

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気に入ったお惣菜屋さん

2009年07月01日 | 日々のこと

男やもめにとっては毎日の食事が最大の課題となる。

朝はパンにカットサラダとコーヒー、昼は釜玉うどんで飽きはないが、

問題は夕食である。バラエティーに乏しく、栄養が偏りがちになるのは避けられない。

 

 

そこでまた 夜の電話で娘に相談する。

「ここのところ夕食がマンネリ化してねえ、・・・

レトルト食品はもう沢山だし、coopさんのお惣菜やにぎり寿司パックにもだんだん飽きてきたよ。たまには焼き魚やステーキもやるけど、面倒だしね・・・・」

自前料理はどうしても緑黄色野菜が少なく、レパートリーも限られる。

 

「それならね、近くの西の端交差点傍にある“クックチャム”っていうお惣菜屋さんへ行ってごらん、好きなものを選んで好きな量だけ買えるから」

  

「実はね、私もそちらに居るあいだ、たびたび利用していたのよ」

そういえば、台所に立ったかと思うと瞬く間に数品の手料理が出来てきていた。

娘もなかなか料理上手になったものだ、お母さんの味がでているよ、などと感心していた。

ちゃんと食器に移して出されると気が付かなかった。

「あれはね、ほとんどクックチャムだったのよ」

  

0907011_3  以来何度かこのお惣菜屋さんを利用している。

けっこう好みの味付けで、日毎にメニューも替わりバラエティー豊富、

いろいろ種類を織り交ぜても、1人分なら安い。

coopさんのラップトレーのお惣菜よりはよほどいいね。(ビールはノンアルール缶で我慢)  

  

で、1人なら食器に移すこともあるまいと・・・

でもやっぱりこれではね、味気ない、料理は見た目、器に盛ってこそ生きる。

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