秋の山で3 甲斐駒ケ岳 釜無川を渡ったところから
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第3章 エ―ジェンシー (つづき)
エージェンシーについて続ける。
エージェンシーと言う言葉は、日本の教育の用語の中にあってこなれていない。
あえてこれまでの日本語に訳すとすると、「生徒の主体性」、「生徒の声・意見」、「生徒による選択」、「生徒を中心に」、「自立して」、「積極的に」などの言葉が当たるようだが、
「これらの用語は、一歩間違えれば、生徒が自分自身で考えたり、自分自身で行動しさえすれば良い、と言う考えにつながりかねないが、それはエージェンシーの目指すところではない。」
と言うことになる。
「VUCA」の未来に向かって、もっと強いイメージを含ませているに違いない。
言い換えれば「教育内のための主体性」ではなく、未来を切り開いていくための強いエネルギーを伴った主体性と言うことなのだろう。
ではそのようなエージェンシーとはどういった姿か、さらにOECDの議論から探っていきたい。
文脈の中で生きるエージェンシー
ここで言う文脈の例として、次の4つを挙げている。
モラル 市民 創造性 経済
である。
モラルについてのエージェンシーとは「自分は何をするべきなのか」を考えたり、「自分がした事は正しかったのか」といったことを問い直していくことである。場合によっては、自らの利益に反してでも、義務や約束を果たしていくことでもある。
市民としてのエージェンシーは、社会の構成員の一員としてどのように社会を担っていくかと言うことである。近年ではそれぞれの地域や国といった枠組みだけでなく、よりグローバルな視点での市民としてのあり方も重視されるようになっているが、様々な考え方や価値観がある中で、対立やジレンマに対処したりしながら社会を形作っていくことが求められる
創造に関するエージェンシーは、(中略)映画や音楽などに限ったことではなく、料理や研究プロジェクト、あるいは仕事上のプレゼンテーションなど、様々な場面に置いて試行錯誤したり、他者からのフィードバックを得たりしながら、より良いものを作り出していくことが重要になる。
経済に関するエージェンシーは、一人一人が経済的に価値のある行動をしていくと言うことである。(中略) AI時代においては、人間が行ってきた仕事がAIに代替えされるようになり、これまでの伝統的な労働の経済的価値が失われてしまう可能性がある。大切な事は、例えば、倫理に関すること(モラル・エージェンシー)や、新しいものを創造すること(創造性に関するエージェンシー)などを通じて、賃金の高にかかわらず、新しい価値を生み出すことができているかどうかと言うことである。
未来を切り拓いていく主体性は以上のような文脈で様々な場面に応じて発揮され、主体的な活動を後押ししていくことになるのである。
そしてこのプロジェクトが次の点に言及していることも重要である。
Education 2030プロジェクトにおいて、特に議論が行われたのが、苦しい状況にある生徒たちのエージェンシーについてである。貧困や病気、犯罪や虐待、家庭の崩壊などの苦しい状況にありながらも、そこから脱却しようともがいている生徒がいる(ことである。)(中略)
エージェンシーが、生徒一人ひとりの主体性を重視するものであるがゆえに、場合によっては逆境に置かれている生徒についても、自らその状況を克服していくことが必要である、と解されかねないことである。(中略)
そもそもエージェンシーの発揮自体が困難な状況にあることにも留意しなければならない。例えば、暴力や性的・心理的な虐待を受けていたり、あるいはネグレクトされてきた生徒は、将来に対する希望や達成感、モチベーションなどが低くなる傾向にあり、エージェンシーを発揮する基盤自体が揺らいでいる。そうした場合には、自らのエージェンシーの問題として扱うことなく、「厳しい状況ニュー生徒がエージェンシーを発揮できるよう、きちんと支援していくこと」が教育の役割であろう。
学校現場に入ると、この事は日常の課題になっている。理想論としてのエージェンシーと、そこからはかけ離れている状況にある多くの子どもたちとのギャップについては、児童福祉的な観点が必要であるが、国際会議上の総論としてそこまで踏み込んでいない。
また白井さんが、「エージェンシーと文化的コンテクスト」として項を起こしているように、
どのような社会、文化においても、あるいはどのような文脈であろうとも、常に妥当なエージェンシーの統一的な概念と言うものは存在しないのであり、あくまでも、文化的・社会的なコンテクストを前提にした概念であると考えるべきである。
当然のことだが、「エージェンシー」も他の教育概念と同じように動的なものであり、決して固定的絶対的なものではないのである。
それぞれの場でそれぞれが持ち寄り育むべきものなのだろう。
そのことが次の項である「共同エージェンシーとは」の中でも表れている。
共同エージェンシーは、まさに他者との関係の中で成長していくことであり、コンセプト・ノートにおいても、「親や教師、コミュニティー、生徒同士の相互作用的、相互に支援し合うような関係であって、共通の目標に向かう生徒の成長を支えるもの」とされており、「教師や生徒が、教えたり学んだりする過程において共同制作者(co-creators)となった時」に生じるものとされている(OECD、2019)。
このようにエージェンシーは共同意識の中で育まれるのであるから、教師の指導のあり方についても言及している。
生徒のエージェンシーを育んでいくためには、当然、教師が一方的に指導すると言うことではなく、教師と生徒が、お互いに教えたり学んだりするプロセスを、一緒に作っていく関係性が重要になる。
教師が、「自分たちの職業人としての成長目指すと言うことに加えて、同僚の成長にも貢献するということを、目的的かつ建設的に行うこと」が重要であり、エージェンシーのある教師は、「学習機会に受動的に応じていくと言うよりも、自分たちの職業的な成長であるとか、目標に向かって向けた学習に関する選択を行うことを意識している」と言う。
そしてそれらを集約すれば、
共同エージェンシーとは、「生徒、親、友人、教師」が、教育経験を通じて、自分たちの発達を双方向的に共同して律するすること(co-regulate reciprocally)」であり、生徒のエージェンシーの発達が、周囲にとっても良い影響与え、それが生徒にも還元されるという好循環を呼ぶことになる。
と言う結論に達するようだ。
まさしく、学びの共同体の論理だし、従前からの教師論にも通ずるものである。
このことを改めて確認するべきだと言うことであろう。
そして最後に、エージェンシーの発達にも一定の段階があると言うことが紹介されている。
ハートによる梯子モデル
共同エージェンシーの太陽モデル
太陽モデルに基づく共同エージェンシーの糾弾会
の3つである。
エージェンシーは動的な概念であり、捉えにくいが、これらのモデルは、「エージェンシーの成長」?の段階を示すものとしてわかりやすい。
そして、その先の方法論は、各国、各地、各学校、各グループの開発するところとなる。
つまり、エ―ジャンシーのある実践ということである。
次回は、コンピテンシーの3つの要素(知識、スキル、態度及び価値観)の中身を、2030年の視点から考察する。
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第3章 エ―ジェンシー (つづき)
エージェンシーについて続ける。
エージェンシーと言う言葉は、日本の教育の用語の中にあってこなれていない。
あえてこれまでの日本語に訳すとすると、「生徒の主体性」、「生徒の声・意見」、「生徒による選択」、「生徒を中心に」、「自立して」、「積極的に」などの言葉が当たるようだが、
「これらの用語は、一歩間違えれば、生徒が自分自身で考えたり、自分自身で行動しさえすれば良い、と言う考えにつながりかねないが、それはエージェンシーの目指すところではない。」
と言うことになる。
「VUCA」の未来に向かって、もっと強いイメージを含ませているに違いない。
言い換えれば「教育内のための主体性」ではなく、未来を切り開いていくための強いエネルギーを伴った主体性と言うことなのだろう。
ではそのようなエージェンシーとはどういった姿か、さらにOECDの議論から探っていきたい。
文脈の中で生きるエージェンシー
ここで言う文脈の例として、次の4つを挙げている。
モラル 市民 創造性 経済
である。
モラルについてのエージェンシーとは「自分は何をするべきなのか」を考えたり、「自分がした事は正しかったのか」といったことを問い直していくことである。場合によっては、自らの利益に反してでも、義務や約束を果たしていくことでもある。
市民としてのエージェンシーは、社会の構成員の一員としてどのように社会を担っていくかと言うことである。近年ではそれぞれの地域や国といった枠組みだけでなく、よりグローバルな視点での市民としてのあり方も重視されるようになっているが、様々な考え方や価値観がある中で、対立やジレンマに対処したりしながら社会を形作っていくことが求められる
創造に関するエージェンシーは、(中略)映画や音楽などに限ったことではなく、料理や研究プロジェクト、あるいは仕事上のプレゼンテーションなど、様々な場面に置いて試行錯誤したり、他者からのフィードバックを得たりしながら、より良いものを作り出していくことが重要になる。
経済に関するエージェンシーは、一人一人が経済的に価値のある行動をしていくと言うことである。(中略) AI時代においては、人間が行ってきた仕事がAIに代替えされるようになり、これまでの伝統的な労働の経済的価値が失われてしまう可能性がある。大切な事は、例えば、倫理に関すること(モラル・エージェンシー)や、新しいものを創造すること(創造性に関するエージェンシー)などを通じて、賃金の高にかかわらず、新しい価値を生み出すことができているかどうかと言うことである。
未来を切り拓いていく主体性は以上のような文脈で様々な場面に応じて発揮され、主体的な活動を後押ししていくことになるのである。
そしてこのプロジェクトが次の点に言及していることも重要である。
Education 2030プロジェクトにおいて、特に議論が行われたのが、苦しい状況にある生徒たちのエージェンシーについてである。貧困や病気、犯罪や虐待、家庭の崩壊などの苦しい状況にありながらも、そこから脱却しようともがいている生徒がいる(ことである。)(中略)
エージェンシーが、生徒一人ひとりの主体性を重視するものであるがゆえに、場合によっては逆境に置かれている生徒についても、自らその状況を克服していくことが必要である、と解されかねないことである。(中略)
そもそもエージェンシーの発揮自体が困難な状況にあることにも留意しなければならない。例えば、暴力や性的・心理的な虐待を受けていたり、あるいはネグレクトされてきた生徒は、将来に対する希望や達成感、モチベーションなどが低くなる傾向にあり、エージェンシーを発揮する基盤自体が揺らいでいる。そうした場合には、自らのエージェンシーの問題として扱うことなく、「厳しい状況ニュー生徒がエージェンシーを発揮できるよう、きちんと支援していくこと」が教育の役割であろう。
学校現場に入ると、この事は日常の課題になっている。理想論としてのエージェンシーと、そこからはかけ離れている状況にある多くの子どもたちとのギャップについては、児童福祉的な観点が必要であるが、国際会議上の総論としてそこまで踏み込んでいない。
また白井さんが、「エージェンシーと文化的コンテクスト」として項を起こしているように、
どのような社会、文化においても、あるいはどのような文脈であろうとも、常に妥当なエージェンシーの統一的な概念と言うものは存在しないのであり、あくまでも、文化的・社会的なコンテクストを前提にした概念であると考えるべきである。
当然のことだが、「エージェンシー」も他の教育概念と同じように動的なものであり、決して固定的絶対的なものではないのである。
それぞれの場でそれぞれが持ち寄り育むべきものなのだろう。
そのことが次の項である「共同エージェンシーとは」の中でも表れている。
共同エージェンシーは、まさに他者との関係の中で成長していくことであり、コンセプト・ノートにおいても、「親や教師、コミュニティー、生徒同士の相互作用的、相互に支援し合うような関係であって、共通の目標に向かう生徒の成長を支えるもの」とされており、「教師や生徒が、教えたり学んだりする過程において共同制作者(co-creators)となった時」に生じるものとされている(OECD、2019)。
このようにエージェンシーは共同意識の中で育まれるのであるから、教師の指導のあり方についても言及している。
生徒のエージェンシーを育んでいくためには、当然、教師が一方的に指導すると言うことではなく、教師と生徒が、お互いに教えたり学んだりするプロセスを、一緒に作っていく関係性が重要になる。
教師が、「自分たちの職業人としての成長目指すと言うことに加えて、同僚の成長にも貢献するということを、目的的かつ建設的に行うこと」が重要であり、エージェンシーのある教師は、「学習機会に受動的に応じていくと言うよりも、自分たちの職業的な成長であるとか、目標に向かって向けた学習に関する選択を行うことを意識している」と言う。
そしてそれらを集約すれば、
共同エージェンシーとは、「生徒、親、友人、教師」が、教育経験を通じて、自分たちの発達を双方向的に共同して律するすること(co-regulate reciprocally)」であり、生徒のエージェンシーの発達が、周囲にとっても良い影響与え、それが生徒にも還元されるという好循環を呼ぶことになる。
と言う結論に達するようだ。
まさしく、学びの共同体の論理だし、従前からの教師論にも通ずるものである。
このことを改めて確認するべきだと言うことであろう。
そして最後に、エージェンシーの発達にも一定の段階があると言うことが紹介されている。
ハートによる梯子モデル
共同エージェンシーの太陽モデル
太陽モデルに基づく共同エージェンシーの糾弾会
の3つである。
エージェンシーは動的な概念であり、捉えにくいが、これらのモデルは、「エージェンシーの成長」?の段階を示すものとしてわかりやすい。
そして、その先の方法論は、各国、各地、各学校、各グループの開発するところとなる。
つまり、エ―ジャンシーのある実践ということである。
次回は、コンピテンシーの3つの要素(知識、スキル、態度及び価値観)の中身を、2030年の視点から考察する。