コルベール・ホテルの朝食に必ず出るプレーン・ヨーグルトは、窓際のテーブルの上に大振りなガラスの容器に大きなスプーンを添えて置いてある。日本の店で売られているヨーグルトとは全く違う。多少ツブツブが残り、本物の手作りヨーグルトである。私はそれに、何種類も置いてあるジャムやプリザーブをたっぷり入れて食べるのが毎朝の楽しみだった。他の客は変な目つきで私のすることを見ていた。折角の上等なプレーン・ヨーグルトに可笑しな混ぜ物をする、可笑しな奴だと思っていたのだろう。だが、次にマダガスカルに行ったときには、私だけではなく、何人かが私と同じヨーグルトの食べ方をしていた。ウエィターのアンドレー君は肩をすくめて笑いながら私の方を見ていた。私のせいで、ジャムとプリザーブ、それにヨーグルトの消費量が増えたと訴えたかったのだろうか。
スイカを食べた時もそうだった。テーブルに塩がなかった。「オメオ シーラ、アホ」(塩を下さい)と云うと、すぐにウエイトレスが小瓶を持ってきた。そして「何にお使いですか?」を聞かれた。「スイカにかけるんだよ」と云うと、びっくりしたように「そんなことをしたら、病気になってしまいますよ」と本気で心配してくれた。パプア・ニューギニアでも塩なしのスイカを出された。ワサビ抜きでお刺身を食べるようなものだった。
何処の国に行っても、私は出来る限り現地の習慣を守ることに気を使ってきた。而し、スイカに塩は欠かせなかった。果物に塩を使う習慣は他の国にはないようだが、アメリカ人はグレープフルーツ・ジュースに少量の塩を入れて飲む。またトマト・ジュースには塩と胡椒を入れる。
国により、食べ物や飲物の習慣が違うように、ものの考え方や物の価値判断等々、かなり違うのは確かだ。全く逆の考え方をする国もある。私もそれを尊重することを基本としていたが、どうにも我慢ならないこともかなりあった。修行が足りないせいだと今になって反省している。
今回は前々回のマダガスカル編5の続きとして、マダガスカルの唯一の国際貿易港であるトマシナへご案内したい。
私が近づくと、運動場で遊んでいた子供たちが集まってきた。マダガスカル語で友好的に話しかけてきてくれたが、ちっとも理解出来なかった。此の時である、フランス語をもう一度やり直すより、マダガスカル語を覚えてしまおうと決心したのは。
トマシナの木材倉庫の前で、約束通り「女王」が待っていてくれた。従業員が「フェイナ」と呼んでいた。それが名前だと思ったが、そうではないとC社長が「Reina」と紙に書いてくれた。それなら「レイナ」だろうと何度も聞いたが、「フェイナ」としか聞こえなかった。スペイン語では、「reine」と書きレイナと発音する。最初が大文字であるため「フェ」と「ㇾ」の中間の発音なのだろうか。どうもフランス語は難しい。ご存じだろうが「Reina」も「reine」も「女王」を意味する。
日本までの長い道中では材が割れてしまう恐れがある。それを防ぐために木工用ボンドをフリッチの四面に塗る。
上の二枚はトマシナの中心地である。一日のうちで最も暑い時間帯であったため、人通りが殆ど絶えている。だが、むしむしする東京の夏から比べればずっとしのぎやすいと感じた。
建物が古く、非常に汚れてはいるが、なんとなく南仏を想わせる風景に出会った。
マダガスカル唯一の国際貿易港。日本からは三井船舶だけが定期便を運航している。
アンタナナリブからずっと一人で運転してきた。こちらの云うことは何とか分るらしいが、話す方は二言である。「イエス」と「ノー」しか駄目だった。運転が楽しくてたまらないような若者だった。
ネプチューン・ホテル。トマシナ(旧名タマタベ)に来るときは必ずこのホテルに泊った。最近はかなり多くのホテルが建ったと聞くが、当時は此処ぐらいしかいいホテルはなかった。
シングルの部屋を三つ必要だとフロントのお嬢さんに頼んだ。すると「私たちは別のホテルに泊ります。明日は、朝8時にお迎えに参ります」と云って、私のチェックインを確認してからC社長は運転手とホテルから出て行った。彼等にとってはかなりの負担であることは承知していたので、私がそれを負担するつもりでいた。私に借りを作りたくなかったのであろう。
仕事を終えた後、だだっ広いだけの、何の変哲もないトマシナの空港からC社長と私はアンタナナリブに帰った。
運転手君は「今はまだ4時前なので、今夜中には帰れます」とC社長を通して私に云った。事故のないことを願った。社長の見えないところで、夕食代とお礼の意味で、かなりのチップを彼に渡した。彼は嬉しそうに「ミソートラ、ミソートラ ベサカ」(ありがとう、ありがとうございます)と云って足早に車に向かった。
トマシナとアンタナナリブ間の航空運賃は、マダガスカル人は6,000円ほどだが、外国人である私はその3倍をカードで支払った。ネプチューン・ホテルのシングルが13,000円に比してそれほど高いとは思えなかったが、どうしたわけか、後に私もマダガスカル人並みの航空運賃で国内便のチケットが買えるようになった。
スイカを食べた時もそうだった。テーブルに塩がなかった。「オメオ シーラ、アホ」(塩を下さい)と云うと、すぐにウエイトレスが小瓶を持ってきた。そして「何にお使いですか?」を聞かれた。「スイカにかけるんだよ」と云うと、びっくりしたように「そんなことをしたら、病気になってしまいますよ」と本気で心配してくれた。パプア・ニューギニアでも塩なしのスイカを出された。ワサビ抜きでお刺身を食べるようなものだった。
何処の国に行っても、私は出来る限り現地の習慣を守ることに気を使ってきた。而し、スイカに塩は欠かせなかった。果物に塩を使う習慣は他の国にはないようだが、アメリカ人はグレープフルーツ・ジュースに少量の塩を入れて飲む。またトマト・ジュースには塩と胡椒を入れる。
国により、食べ物や飲物の習慣が違うように、ものの考え方や物の価値判断等々、かなり違うのは確かだ。全く逆の考え方をする国もある。私もそれを尊重することを基本としていたが、どうにも我慢ならないこともかなりあった。修行が足りないせいだと今になって反省している。
今回は前々回のマダガスカル編5の続きとして、マダガスカルの唯一の国際貿易港であるトマシナへご案内したい。
私が近づくと、運動場で遊んでいた子供たちが集まってきた。マダガスカル語で友好的に話しかけてきてくれたが、ちっとも理解出来なかった。此の時である、フランス語をもう一度やり直すより、マダガスカル語を覚えてしまおうと決心したのは。
トマシナの木材倉庫の前で、約束通り「女王」が待っていてくれた。従業員が「フェイナ」と呼んでいた。それが名前だと思ったが、そうではないとC社長が「Reina」と紙に書いてくれた。それなら「レイナ」だろうと何度も聞いたが、「フェイナ」としか聞こえなかった。スペイン語では、「reine」と書きレイナと発音する。最初が大文字であるため「フェ」と「ㇾ」の中間の発音なのだろうか。どうもフランス語は難しい。ご存じだろうが「Reina」も「reine」も「女王」を意味する。
日本までの長い道中では材が割れてしまう恐れがある。それを防ぐために木工用ボンドをフリッチの四面に塗る。
上の二枚はトマシナの中心地である。一日のうちで最も暑い時間帯であったため、人通りが殆ど絶えている。だが、むしむしする東京の夏から比べればずっとしのぎやすいと感じた。
建物が古く、非常に汚れてはいるが、なんとなく南仏を想わせる風景に出会った。
マダガスカル唯一の国際貿易港。日本からは三井船舶だけが定期便を運航している。
アンタナナリブからずっと一人で運転してきた。こちらの云うことは何とか分るらしいが、話す方は二言である。「イエス」と「ノー」しか駄目だった。運転が楽しくてたまらないような若者だった。
ネプチューン・ホテル。トマシナ(旧名タマタベ)に来るときは必ずこのホテルに泊った。最近はかなり多くのホテルが建ったと聞くが、当時は此処ぐらいしかいいホテルはなかった。
シングルの部屋を三つ必要だとフロントのお嬢さんに頼んだ。すると「私たちは別のホテルに泊ります。明日は、朝8時にお迎えに参ります」と云って、私のチェックインを確認してからC社長は運転手とホテルから出て行った。彼等にとってはかなりの負担であることは承知していたので、私がそれを負担するつもりでいた。私に借りを作りたくなかったのであろう。
仕事を終えた後、だだっ広いだけの、何の変哲もないトマシナの空港からC社長と私はアンタナナリブに帰った。
運転手君は「今はまだ4時前なので、今夜中には帰れます」とC社長を通して私に云った。事故のないことを願った。社長の見えないところで、夕食代とお礼の意味で、かなりのチップを彼に渡した。彼は嬉しそうに「ミソートラ、ミソートラ ベサカ」(ありがとう、ありがとうございます)と云って足早に車に向かった。
トマシナとアンタナナリブ間の航空運賃は、マダガスカル人は6,000円ほどだが、外国人である私はその3倍をカードで支払った。ネプチューン・ホテルのシングルが13,000円に比してそれほど高いとは思えなかったが、どうしたわけか、後に私もマダガスカル人並みの航空運賃で国内便のチケットが買えるようになった。