明けましておめでとうございます。
またお目にかかれて嬉しい限りです。「マダガスカル」編はまだまだ続きますので、引き続いてのご購読をお願い申上げます。
今回はお正月でもあるため、マダガスカルで「財」をなしたかもしれない、或いはこれからなすかもしれないことに触れたい。この国はビルマやラオス、アフリカ大陸の小国等々と肩を並べる世界最貧国の一つである。だが、実際はビルマ同様に非常に豊かな国である。人口比で云うなら、日本の20倍ぐらいの広い国土を持つ。米の二毛作三毛作が可能である。無尽蔵とも云える森林資源に加え、海産物も豊富である。さらに莫大な量の宝石と砂金がある。
一枚目の写真はアンタナナリブ郊外にある何の変哲もない田圃である。だが、この田圃の畦道を歩くと、キラキラと輝くものが目に付く。赤、ブルー、緑に輝いている。お察しのようにルビー、サファイア、それにエメラルドである。宝石を踏んづけて歩いた経験をお持ちだろうか。王様だってないだろう。だが、私はやった。アンタナナリブの人々は日常的にやっている。ガラス球ではない、本物の宝石である。非常に残念なことに粒が小さいのだ。砕けたお米より小さい。こんなものはいくら集めても一文の価値もない。その上、マダガスカル産の宝石はどれも質がよくない。而し、たまに1カラットを超える石が手に入ることがあるようだ。だが、マダガスカル人はそのために田圃を掘り返すようなことはしない。偶然に拾えればいいぐらいに思っている。そのようなものを見つけたら、売りに行く。ズマ・マーケットにインド人が経営している宝石屋がある。マダガスカル中から宝石を買い漁っている。そしていいものがあると、それを持ってヨーロッパに売りに行くそうだ。
二枚目の写真は「宝石の町」と呼ばれるマナカラである。交差点で車を止めようものなら四方八方からティッシュペーパーに包んだ宝石を売りに来る。私は買ったことはないが、興味を持って包みの中を覗いたことがある。かなり大粒で1カラットを優に超えているように見えた。燦然と輝いているサファイアーだった。2万円ほどの値段を云われた。私が考えていると、ポケットから少し小さめのものを出し、「これも付ける」と云った。私が「円で払ってもいいか?」と聞くと、渋々承知したので払おうとした。運転をしていたG社長が隣からマダガスカル語で何か云った。そして車を発進させた。聞いてみると、「帰りに、ドルで払うからそれまで待っていろ」と云ったのだそうだ。そして、「もしも、道端で買って、後でガラス球だと分ったらどうします?」と云われた。云われてみれば確かにそうだった。そんな値段で1カラットを超えるサファイが買えるわけがない。だが、本物だったかもしれない。「God knows」、神のみぞ知るだ。
坂道を登ってやっと平らな道にたどり着いた。その坂道は海岸のように砂の上を歩いているようだった。そして、その砂は太陽に照らされキラキラと輝いていた。「もしかして、これは砂金ではないでしょうか?」と、案内してくれたこの山一帯の地主(左側のご老人)に聞いた。「そうですよ」とこともなげに云われた。そして「お望みなら、バケツに何杯でもお持ち下さい」と云った。
何故、砂金を放置しているのかを伺った。彼は苦笑いを浮かべながら次のように説明してくれた。此処に精錬所を建てる莫大な資金なんてない。砂金の含有率と埋蔵量が分らない限り、それに投資をしてくれる人もいない。含有率を調べるだけでも相当な金がかかる。これらのことがその理由だった。私に億の単位の現金があればと悔やんだが、どうにもなるものでもない。
1990年代のマダガスカルには近代的な技術がなかった。切手やお札、それにパスポートなどはフランスに印刷を依頼している。それも政府に資金があるときだけで、ないときは古いまま何年でも使われている。従って、砂金の含有率と埋蔵量を調べるのもそう容易なことではないのである。
マダガスカルには上質な大理石がある。既にお使いの方もおいでと思うが、イタリーから輸入されている茶色の縞模様のついた大理石が日本では高値で売られている。これと同じ大理石がマダガスカルからイタリーに輸出されているのをご存じだろうか。マダガスカルから直に買えば、イタリーから買う値段の一割ほどで買えるのではないだろうか。宝石の街のアンカラの近くに「ソフィア」と云う洒落たホテルがある。このホテルの浴室は全てこの大理石が使用されている。西洋風のバスタブではなく、大理石で出来た四角の大きな浴槽にお湯をたっぷり溜めて入った。大富豪になった気分だった。
マダガスカルの西北にあるマジュンガの港である。アフリカ大陸から一番近い位置にある。モザンビークからたった500キロしか離れていない。日中は暑く、冬でも摂氏40度を超す。此処に漁業の基地がある。豊富な魚貝類が獲れる。特に日本人の好むエビが大量に網にかかる。それも種類豊富である。ブラックタイガーのような小さいものから、伊勢海老として通用するものまである。マジュンガに滞在するときは、あらゆるエビを飽きるほど食することにしていた。
紫檀。本紫檀はインドにしかないが、それよりは上等な紫檀のようである。
黒檀。板目を見ることが出来なかったので、木目は定かではないが、インドネシアの縞黒檀より硬く、小片をぶつけると金属的な音がした。
紫檀は東海岸の北部フェナリブ近くの山中に、黒檀は南東部フィラナンツォオの山中にあった。紫檀、黒檀とも産地から貿易港のトマシナに運ぶには、大型トラックの通れる海岸線の道路まで人力で運ぶしか方法はない。また、これらの樹種は東部南端のフォー・ドファンの山中にも大量にある。だが、トラックの通れる道路は皆無である。その上、途中には多くの川があるが、橋はない。
ガンに効くと云われる野草。上が「ロージィー・ペリウィンクル」と云い、日本のツルニチニチソウの一種らしい。下が「ユージニア・ジャンボラナ」と云うが、日本名は不明。マダガスカルの薬草研究所ではその効用が確認され、現在はフランスで実験を重ねているそうだ。
更に、写真はないが松茸の栽培が可能と思われる。マダガスカルの中央部、アンタナナリブより少し南に行った所に赤松が群生している山がある。土地は季節を問わず湿っており、土は赤黒く、辺りはひんやりとしている。松茸の最適温度は摂氏22度から25度だと聞いているが、生育可能温度範囲は摂氏5度から30度とかなり広い。松茸の胞子を散布してみる価値はあると思う。失敗したとしても、夢があっていいではないか。
金儲けの話とは少々離れるが、マダガスカルの自然の素晴らしさをご紹介したい。パプア・ニューギニアのウッドラークアイランドでは、雨水を溜めて飲料水として使っている。それほど空気が澄んでいることの証明でもある。従って夜空もきれいだった。南十字星に初めて出会ったのはこのウッドラークアイランドだった。
パプア・ニューギニアのウッドラークアイランドで見た南十字星のイメージ画像。
マナンジャリー(南東部)からの帰り道、疲れて後部座席でぐっすりと寝込んでいた。「トイレ休憩をしましょう」と起こされた。藪に向かって関東の何とかだった。その時、前方を見て驚いた。上のイメージ画像がその時の私の印象である。南十字星が地面から生えているように見えた。その周辺には大ぶりな星が所狭しとせめぎ合っていた。まるで宝石箱を上から逆さにしてばら撒いたようだった。今までは夜になっても空を見ることはなかった。これほど星が近くに見え、南十字星がこれほど巨大だとは知らなかった。多くの星が集り、十字架の形を作っているのだが、他の星との境目がどのようにして出来るのかは知らない。他の星と輝度が違うのはわかるが、明るいものだけがこのように集まったのは不思議としか云いようがない。三脚を持っていず、フィルムのバカチョンのカメラではとても撮れる状態ではなかった。現在のようなデジタルカメラがあれば皆様に素晴らしい南十字星をお見せ出来たのだが、残念である。
南緯10度のウッドラークアイランドに対し、マダガスカルのこの位置は南緯22度か23度だ。この差が南十字星の大きさの差である。これはマダガスカルの大きな財産である。だが、彼等には分っていない。ごく当たり前のことだと、別に気にもしていなかった。
またお目にかかれて嬉しい限りです。「マダガスカル」編はまだまだ続きますので、引き続いてのご購読をお願い申上げます。
今回はお正月でもあるため、マダガスカルで「財」をなしたかもしれない、或いはこれからなすかもしれないことに触れたい。この国はビルマやラオス、アフリカ大陸の小国等々と肩を並べる世界最貧国の一つである。だが、実際はビルマ同様に非常に豊かな国である。人口比で云うなら、日本の20倍ぐらいの広い国土を持つ。米の二毛作三毛作が可能である。無尽蔵とも云える森林資源に加え、海産物も豊富である。さらに莫大な量の宝石と砂金がある。
一枚目の写真はアンタナナリブ郊外にある何の変哲もない田圃である。だが、この田圃の畦道を歩くと、キラキラと輝くものが目に付く。赤、ブルー、緑に輝いている。お察しのようにルビー、サファイア、それにエメラルドである。宝石を踏んづけて歩いた経験をお持ちだろうか。王様だってないだろう。だが、私はやった。アンタナナリブの人々は日常的にやっている。ガラス球ではない、本物の宝石である。非常に残念なことに粒が小さいのだ。砕けたお米より小さい。こんなものはいくら集めても一文の価値もない。その上、マダガスカル産の宝石はどれも質がよくない。而し、たまに1カラットを超える石が手に入ることがあるようだ。だが、マダガスカル人はそのために田圃を掘り返すようなことはしない。偶然に拾えればいいぐらいに思っている。そのようなものを見つけたら、売りに行く。ズマ・マーケットにインド人が経営している宝石屋がある。マダガスカル中から宝石を買い漁っている。そしていいものがあると、それを持ってヨーロッパに売りに行くそうだ。
二枚目の写真は「宝石の町」と呼ばれるマナカラである。交差点で車を止めようものなら四方八方からティッシュペーパーに包んだ宝石を売りに来る。私は買ったことはないが、興味を持って包みの中を覗いたことがある。かなり大粒で1カラットを優に超えているように見えた。燦然と輝いているサファイアーだった。2万円ほどの値段を云われた。私が考えていると、ポケットから少し小さめのものを出し、「これも付ける」と云った。私が「円で払ってもいいか?」と聞くと、渋々承知したので払おうとした。運転をしていたG社長が隣からマダガスカル語で何か云った。そして車を発進させた。聞いてみると、「帰りに、ドルで払うからそれまで待っていろ」と云ったのだそうだ。そして、「もしも、道端で買って、後でガラス球だと分ったらどうします?」と云われた。云われてみれば確かにそうだった。そんな値段で1カラットを超えるサファイが買えるわけがない。だが、本物だったかもしれない。「God knows」、神のみぞ知るだ。
坂道を登ってやっと平らな道にたどり着いた。その坂道は海岸のように砂の上を歩いているようだった。そして、その砂は太陽に照らされキラキラと輝いていた。「もしかして、これは砂金ではないでしょうか?」と、案内してくれたこの山一帯の地主(左側のご老人)に聞いた。「そうですよ」とこともなげに云われた。そして「お望みなら、バケツに何杯でもお持ち下さい」と云った。
何故、砂金を放置しているのかを伺った。彼は苦笑いを浮かべながら次のように説明してくれた。此処に精錬所を建てる莫大な資金なんてない。砂金の含有率と埋蔵量が分らない限り、それに投資をしてくれる人もいない。含有率を調べるだけでも相当な金がかかる。これらのことがその理由だった。私に億の単位の現金があればと悔やんだが、どうにもなるものでもない。
1990年代のマダガスカルには近代的な技術がなかった。切手やお札、それにパスポートなどはフランスに印刷を依頼している。それも政府に資金があるときだけで、ないときは古いまま何年でも使われている。従って、砂金の含有率と埋蔵量を調べるのもそう容易なことではないのである。
マダガスカルには上質な大理石がある。既にお使いの方もおいでと思うが、イタリーから輸入されている茶色の縞模様のついた大理石が日本では高値で売られている。これと同じ大理石がマダガスカルからイタリーに輸出されているのをご存じだろうか。マダガスカルから直に買えば、イタリーから買う値段の一割ほどで買えるのではないだろうか。宝石の街のアンカラの近くに「ソフィア」と云う洒落たホテルがある。このホテルの浴室は全てこの大理石が使用されている。西洋風のバスタブではなく、大理石で出来た四角の大きな浴槽にお湯をたっぷり溜めて入った。大富豪になった気分だった。
マダガスカルの西北にあるマジュンガの港である。アフリカ大陸から一番近い位置にある。モザンビークからたった500キロしか離れていない。日中は暑く、冬でも摂氏40度を超す。此処に漁業の基地がある。豊富な魚貝類が獲れる。特に日本人の好むエビが大量に網にかかる。それも種類豊富である。ブラックタイガーのような小さいものから、伊勢海老として通用するものまである。マジュンガに滞在するときは、あらゆるエビを飽きるほど食することにしていた。
紫檀。本紫檀はインドにしかないが、それよりは上等な紫檀のようである。
黒檀。板目を見ることが出来なかったので、木目は定かではないが、インドネシアの縞黒檀より硬く、小片をぶつけると金属的な音がした。
紫檀は東海岸の北部フェナリブ近くの山中に、黒檀は南東部フィラナンツォオの山中にあった。紫檀、黒檀とも産地から貿易港のトマシナに運ぶには、大型トラックの通れる海岸線の道路まで人力で運ぶしか方法はない。また、これらの樹種は東部南端のフォー・ドファンの山中にも大量にある。だが、トラックの通れる道路は皆無である。その上、途中には多くの川があるが、橋はない。
ガンに効くと云われる野草。上が「ロージィー・ペリウィンクル」と云い、日本のツルニチニチソウの一種らしい。下が「ユージニア・ジャンボラナ」と云うが、日本名は不明。マダガスカルの薬草研究所ではその効用が確認され、現在はフランスで実験を重ねているそうだ。
更に、写真はないが松茸の栽培が可能と思われる。マダガスカルの中央部、アンタナナリブより少し南に行った所に赤松が群生している山がある。土地は季節を問わず湿っており、土は赤黒く、辺りはひんやりとしている。松茸の最適温度は摂氏22度から25度だと聞いているが、生育可能温度範囲は摂氏5度から30度とかなり広い。松茸の胞子を散布してみる価値はあると思う。失敗したとしても、夢があっていいではないか。
金儲けの話とは少々離れるが、マダガスカルの自然の素晴らしさをご紹介したい。パプア・ニューギニアのウッドラークアイランドでは、雨水を溜めて飲料水として使っている。それほど空気が澄んでいることの証明でもある。従って夜空もきれいだった。南十字星に初めて出会ったのはこのウッドラークアイランドだった。
パプア・ニューギニアのウッドラークアイランドで見た南十字星のイメージ画像。
マナンジャリー(南東部)からの帰り道、疲れて後部座席でぐっすりと寝込んでいた。「トイレ休憩をしましょう」と起こされた。藪に向かって関東の何とかだった。その時、前方を見て驚いた。上のイメージ画像がその時の私の印象である。南十字星が地面から生えているように見えた。その周辺には大ぶりな星が所狭しとせめぎ合っていた。まるで宝石箱を上から逆さにしてばら撒いたようだった。今までは夜になっても空を見ることはなかった。これほど星が近くに見え、南十字星がこれほど巨大だとは知らなかった。多くの星が集り、十字架の形を作っているのだが、他の星との境目がどのようにして出来るのかは知らない。他の星と輝度が違うのはわかるが、明るいものだけがこのように集まったのは不思議としか云いようがない。三脚を持っていず、フィルムのバカチョンのカメラではとても撮れる状態ではなかった。現在のようなデジタルカメラがあれば皆様に素晴らしい南十字星をお見せ出来たのだが、残念である。
南緯10度のウッドラークアイランドに対し、マダガスカルのこの位置は南緯22度か23度だ。この差が南十字星の大きさの差である。これはマダガスカルの大きな財産である。だが、彼等には分っていない。ごく当たり前のことだと、別に気にもしていなかった。