ポートモレスビーで飛行機に乗るとき、「お洒落なシャツを着ていますね」とクリス・ブルックに云われた。私が不思議そうな顔をしたのか、私のシャツの胸ポケットの刺繍を指差した。見ると、馬上でポロのプレイヤーがマレット(スティック)を振り下ろそうとしている図柄があった。もしこれが本物であるなら、ラルフローレンのシャツである。ウッドラーク島行が決まってから、例の「スパマケット」と書かれているスーパーマーケットで白いデニムのズボンと一緒に買ったシャツである。700円だったか800円で買ったものである。胸ポケットの刺繍など気にもしなかった。彼は、「ちょっと失礼」と云うとシャツの襟を引っ張り上げ、「これ、本物のラルフローレンですよ」と云った。日本のデパートで買えば、8千円は下らない。気が付いていれば、一ダースも買っておきたかった。
後で確認したことだが、中国の「ポロ」と書かれたラルフローレンの偽物の刺繍は、プレイヤーがマレットを振り下ろした後の図柄になっている。香港に「U2」と云う割と有名な洋品店がある。此の店はかなり大きく、「ラコステ」の正規の代理店でもある。そこで私は偽物を発見した。毛糸のチョッキの胸の刺繍は、例の右向きのワニではなく、左を向いていたのである。襟を見ると、商標が「ラコステ」ではなく「クロコダイル(わに)」となっていた。ラコステの正規の代理店が、このような商品を販売している神経が信じられなかった。手触りからして物は良さそうだったので、「シャレ」の積りで本物の「ラコステ」と対で買ったことがあった。
マスリナ・ロッジに向かう途中に寄り道をして、雑貨屋に寄った。店には格子の鎧戸が下がり、まるで客を拒否しているかのようであった。
マスリナ・ロッジの別館。本館の道路を隔てた向かい側にあった。本館は満員だとのことで、私だけが此の別館に泊ることになった。新しかったが、エアコンはなく、網戸の隙間から蚊が侵入してきた。
翌朝、朝食を取るべく本館に行った。「昨夜は蚊の攻勢に参った」とクリス・ブルックに云うと、彼は不思議そうな顔をして「エアコンがあったでしょ?」と云った。その話を傍で聞いていたローランド・クリステンセンは具合の悪そうな顔をした。瞬間に私は人種差別に合ったのだと不快感を覚えた。こんなことはかつてなかった。これから一年後に行くことになったモーリシャスでも人種差別らしきものを経験したが、英国紳士に救われた(マダガスカル編の18をご参照願いたい)。
ダイニングルームには西洋式肉料理の他にパプアニューギニア独特の料理が何種類も用意されていた。タロイモを食べたことがなかったので、どれがそうかと聞くと。ローランド・クリステンセンが「これですよ」と云って私の皿に取ってくれた。初めてのタロイモは大きめの里芋のように感じた。塩が効いていて旨かった。
朝食付きで75キナ(円換算で¥11,250)をカードで支払った。マスリナ・ロッジを出るとき、オーナーが「また来て下さい」と握手を求めてきた。私は無視した。オーナーはパプアニューギニア人とオーストラリア人の混血のように見えた。オーナーは図々しく「日本人のダイバーに、此のマスリナ・ロッジを紹介して下さい」と云ってきた。私は「日本人を大事にしないロッジなんて、紹介するわけがないだろ!」と声を荒げてロッジを出た。クリス・ブルックは私の背中を叩いて同意してくれた。
昨日の、高給取りのグレイダー君がピックアップトラックで迎えに来てくれた。空港に向かうのだが、申し合せたように全員で空を眺めた。間違っても今日は雨は降りそうもなかった。
チャーター便が来て、真っ先に積み込んだのがローランド・クリステンセンの長男と次男への土産の品々だった。
昨日と同じパイロットが笑顔で迎えてくれた。副操縦席に乗ったグレイダー君はご機嫌だった。
真っ青な海に染まったように、陸地までブルーだった。「ヤ・チャイカ、地球は青かった」を地で行くようだった。
途中の小さな島。周囲をサンゴ礁に囲まれていた。私が写真を撮っているのを見たパイロットが急降下で高度を下げてくれた。「俺の島はもっときれいですよ。フィルムを無駄にしないで!」とローランド・クリステンセンが云った。
一時間ちょっとでウッドラーク島が見えてきた。島の周囲を旋回するようにして高度を下げ、雑草の生えた土の滑走路にゆっくりと降りた。
チャーター機の前の私。村の住民が総出で迎えてくれた感じだが、実際は只の野次馬である。娯楽の無い村の人たちにとってはめったに飛んでくることのない飛行機を見るだけでも大変な事なのであろう。
ウッドラーク島は東西に約65キロ、南北に25キロほどの島である。面積から判断すれば東京都は約2,000平方キロなので、二廻りぐらい小さいだろうか。其処に、当時は多くても2千人ほどしか住んでいなかった。その大部分が空港のある東側に集中していると聞いた。
東西では何とか言葉は通じるが、南北では全く通じないと云う。東の外れにある空港を起点にして西の海辺まで一本の道がついている。言語が似たようなものになったのは、東西で人の交流が昔からあった証拠ではないだろうか。
ローランド・クリステンセンのピックアップトラックに荷物を満載にして、いよいよ西に向かって出発の準備が整った。
クリステンセン夫人が運転席から助手席に移った。彼女は非常に嬉しそうな顔をしていた。ローランド・クリステンセンは今まで穿いていたビーチサンダルを脱ぎ、裸足で運転席に座った。まるで野生の人間を見るようだった。
デコボコの道を疾走した。オイルパンを擦ってしまうのではないかと心配したが、日本製(トヨタ)のピックアップトラックはそのような心配を払拭していた。悪路で弾みながら西へ向かっている車からは、外の風景を撮るどころではなかった。両側は何処までも緑が続き、ジャングルの中の一本道を実感した。一時間半ほど走ると、「もうすぐです」とローランド・クリステンセンは振り返って嬉しそうな顔をした。「我が王国へようこそ」と云っているようだった。
ローランド・クリステンセンの自宅に着き、奥さんと子供たち、それに荷物を降ろすと直ぐに集材場に向った。家の前の道を更に西へ行くと、すぐに海が見えてきた。船着き場の手前の広場に黒檀のフリッチが山積みにされていた。クリス・ブルックは目を輝かせた。
宝の山だった。今までにこれほど見事な黒檀のフリッチを見たことがなかった。床柱に加工するのに充分過ぎる太さと長さがあった。
クリス・ブルックは傍まで確かめに行った。彼も実物を見るまでは不安を抱えていたのであろう。
後で確認したことだが、中国の「ポロ」と書かれたラルフローレンの偽物の刺繍は、プレイヤーがマレットを振り下ろした後の図柄になっている。香港に「U2」と云う割と有名な洋品店がある。此の店はかなり大きく、「ラコステ」の正規の代理店でもある。そこで私は偽物を発見した。毛糸のチョッキの胸の刺繍は、例の右向きのワニではなく、左を向いていたのである。襟を見ると、商標が「ラコステ」ではなく「クロコダイル(わに)」となっていた。ラコステの正規の代理店が、このような商品を販売している神経が信じられなかった。手触りからして物は良さそうだったので、「シャレ」の積りで本物の「ラコステ」と対で買ったことがあった。
マスリナ・ロッジに向かう途中に寄り道をして、雑貨屋に寄った。店には格子の鎧戸が下がり、まるで客を拒否しているかのようであった。
マスリナ・ロッジの別館。本館の道路を隔てた向かい側にあった。本館は満員だとのことで、私だけが此の別館に泊ることになった。新しかったが、エアコンはなく、網戸の隙間から蚊が侵入してきた。
翌朝、朝食を取るべく本館に行った。「昨夜は蚊の攻勢に参った」とクリス・ブルックに云うと、彼は不思議そうな顔をして「エアコンがあったでしょ?」と云った。その話を傍で聞いていたローランド・クリステンセンは具合の悪そうな顔をした。瞬間に私は人種差別に合ったのだと不快感を覚えた。こんなことはかつてなかった。これから一年後に行くことになったモーリシャスでも人種差別らしきものを経験したが、英国紳士に救われた(マダガスカル編の18をご参照願いたい)。
ダイニングルームには西洋式肉料理の他にパプアニューギニア独特の料理が何種類も用意されていた。タロイモを食べたことがなかったので、どれがそうかと聞くと。ローランド・クリステンセンが「これですよ」と云って私の皿に取ってくれた。初めてのタロイモは大きめの里芋のように感じた。塩が効いていて旨かった。
朝食付きで75キナ(円換算で¥11,250)をカードで支払った。マスリナ・ロッジを出るとき、オーナーが「また来て下さい」と握手を求めてきた。私は無視した。オーナーはパプアニューギニア人とオーストラリア人の混血のように見えた。オーナーは図々しく「日本人のダイバーに、此のマスリナ・ロッジを紹介して下さい」と云ってきた。私は「日本人を大事にしないロッジなんて、紹介するわけがないだろ!」と声を荒げてロッジを出た。クリス・ブルックは私の背中を叩いて同意してくれた。
昨日の、高給取りのグレイダー君がピックアップトラックで迎えに来てくれた。空港に向かうのだが、申し合せたように全員で空を眺めた。間違っても今日は雨は降りそうもなかった。
チャーター便が来て、真っ先に積み込んだのがローランド・クリステンセンの長男と次男への土産の品々だった。
昨日と同じパイロットが笑顔で迎えてくれた。副操縦席に乗ったグレイダー君はご機嫌だった。
真っ青な海に染まったように、陸地までブルーだった。「ヤ・チャイカ、地球は青かった」を地で行くようだった。
途中の小さな島。周囲をサンゴ礁に囲まれていた。私が写真を撮っているのを見たパイロットが急降下で高度を下げてくれた。「俺の島はもっときれいですよ。フィルムを無駄にしないで!」とローランド・クリステンセンが云った。
一時間ちょっとでウッドラーク島が見えてきた。島の周囲を旋回するようにして高度を下げ、雑草の生えた土の滑走路にゆっくりと降りた。
チャーター機の前の私。村の住民が総出で迎えてくれた感じだが、実際は只の野次馬である。娯楽の無い村の人たちにとってはめったに飛んでくることのない飛行機を見るだけでも大変な事なのであろう。
ウッドラーク島は東西に約65キロ、南北に25キロほどの島である。面積から判断すれば東京都は約2,000平方キロなので、二廻りぐらい小さいだろうか。其処に、当時は多くても2千人ほどしか住んでいなかった。その大部分が空港のある東側に集中していると聞いた。
東西では何とか言葉は通じるが、南北では全く通じないと云う。東の外れにある空港を起点にして西の海辺まで一本の道がついている。言語が似たようなものになったのは、東西で人の交流が昔からあった証拠ではないだろうか。
ローランド・クリステンセンのピックアップトラックに荷物を満載にして、いよいよ西に向かって出発の準備が整った。
クリステンセン夫人が運転席から助手席に移った。彼女は非常に嬉しそうな顔をしていた。ローランド・クリステンセンは今まで穿いていたビーチサンダルを脱ぎ、裸足で運転席に座った。まるで野生の人間を見るようだった。
デコボコの道を疾走した。オイルパンを擦ってしまうのではないかと心配したが、日本製(トヨタ)のピックアップトラックはそのような心配を払拭していた。悪路で弾みながら西へ向かっている車からは、外の風景を撮るどころではなかった。両側は何処までも緑が続き、ジャングルの中の一本道を実感した。一時間半ほど走ると、「もうすぐです」とローランド・クリステンセンは振り返って嬉しそうな顔をした。「我が王国へようこそ」と云っているようだった。
ローランド・クリステンセンの自宅に着き、奥さんと子供たち、それに荷物を降ろすと直ぐに集材場に向った。家の前の道を更に西へ行くと、すぐに海が見えてきた。船着き場の手前の広場に黒檀のフリッチが山積みにされていた。クリス・ブルックは目を輝かせた。
宝の山だった。今までにこれほど見事な黒檀のフリッチを見たことがなかった。床柱に加工するのに充分過ぎる太さと長さがあった。
クリス・ブルックは傍まで確かめに行った。彼も実物を見るまでは不安を抱えていたのであろう。