TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 144

2017年12月17日 | エッセイ
 我々のカミサリー・ストアー(2016年9月12日付の「折々の写真&雑感78」をご参照願いたい)の最高責任者にアーミー・サービス(軍役)の経験のない軍属のレイシー氏(仮名)が配属されてきた。前任者の中佐と違い、全ての仕事にレイシー氏は自分の方式を我々に押し付けてきた。今までは非常に自由で楽しく仕事をしてこられた。レイシー氏が配属されてきて一、二週間は良かったが、それ以降は徐々に暗い気分になり、仕事も滞ってきた。彼の方式を無理に押し付けてくるばかりではなく、その方式に従わない部下を罰するようにもなった。そればかりではなく、誰が従わないかをスパイする人間まで育ててしまった。日本政府から派遣されている私と同僚は他の部署に転属依頼を出そうかと相談し、民間人に命令されるのを潔しとしない軍人たちは反乱を起こす寸前にまで空気は悪くなった。

 そんな中で、私と仲の良かった中尉が云った。「我々の職場にはスリー・ウエイ(三つの方式)がある。エアー・フォース・ウエイ(空軍方式)、レイシー・ウエイ(レイシー方式)、そしてライト・ウエイ(正しい方式)の三つだ」。「三つじゃないだろ、四つだ。俺たちの方式があるじゃないか」と私が云うと、彼は腰を折り曲げて笑った。何カ月ぶりかの笑いだった。仲間が集まってきた。笑いの原因を知ると、更に笑いが広がった。だが、どうやってレイシー氏に対抗するかの相談をしたかったが、誰がスパイであるかの見当がつかなかった。一旦は明るくなった雰囲気が、現実を考えると余計暗いものになってしまった。

 嫌な雰囲気の職場を以前の活気ある明るい場にしたかった。中尉と私はお互いに信じられた。それを徐々に増やし、現場で働く人たちにも広げ、ついにレイシー氏を追い払える可能性があるところまでこぎつけた。彼が軍人であったら絶望的であったが、軍属であったことが幸いした。騒動を知った司令官の大佐が我々に肩入れをしてくれた。上の方からレイシー氏に転属命令が下った。

 絵画館前のイチョウ並木の定番の写真である。残念だが今年の写真ではない。最初の3枚は2003年。朝の8時に行っても落ち葉は残っていた。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f8、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/0.6秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 三脚使用。 
 上三枚と同じ場所であるが、2007年の写真である。朝の6時半ごろに行っても、落ち葉に敷き詰められた光景は撮れなかった。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1/3、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/15秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
 上の二枚は2008年のものである。多くのカメラマンが固執する通りとは反対側に行った。いくらか落ち葉はあったが、2003年までとは大違いである。これ以降、私はこの場所に写真を撮りに行っていない。私がカメラを構えているのに、その前に平気で立つような礼儀知らずのカメラマンが多すぎ、絶好の被写体が多くある絵画館周辺での撮影を諦めた。