TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 366

2022年02月13日 | エッセイ
 日本の防衛省が以前から教育訓練のためにミャンマー国軍幹部を受け入れていることは知っていた。だが、今回の新聞記事ではクーデター後にも受け入れていると報じられていた。その記事よると、委託の申出を受ければ訓練が出来ると自衛隊法にあり、教育費は無料で幹部には月に14万4千円の給付金が支払われるそうだ。自衛隊はかなりの金額をつぎ込んでミャンマー国民への虐待者を育てているようなものだ。別の日に、クーデターから一年経ったヤンゴンの街並みがテレビに映し出された。主要道路が先進国並みにきれいに整備されていた。私が知っていた当時の道路はどれも穴ぼこだらけで、車に乗せて貰っていても安心して居眠りも出来ない状態だった。ミャンマーへの援助額は日本が最大であるのに、日本政府はミャンマー政府に何も云えずにODAを打ち切っただけである。その弱腰外交は対ミャンマーだけではない。拉致被害者が出ても、手も足も出せないでいる。元小泉首相が北朝鮮に行ったのは素晴らしい事だったが、私には売名のために行ったとしか見えなかった。その後何人か日本に戻されたが、その裏では莫大な金額(数十億円とも数百億円とも噂されている)が支払われている。泥棒に追い銭もいいところだ。拉致が発覚した時に、日本政府は何故軍艦を送って「返せ」と談判しなかったのか?当時なら、日本の軍事力の方が数倍、あるいはそれ以上に勝っていた筈だ。政府に戦争を奨励しているのではない。自国民を救い出すために、そのぐらいの気迫を願っているのだ。

 学生の頃、碌に勉強もしなかったが神田の古本街にはよく行った。私の学校のある渋谷からは山手線で代々木まで行き、そこから中央線に乗換えてお茶の水まで行っていた。友人を誘っても、あまりいい顔をされなかった。古本屋に入っても本を買うことはなかった。雰囲気が好きだったのである。一通り歩き終わると、懐具合の良いときだけ裏通りの喫茶店「ミロンガ」に入ってタンゴを聞いた。そのミロンガが今も健在なのは嬉しい。













 この界隈は未だに昭和が色濃く残っている。訪れる人たちまで、例えお若くても昭和の人のように見える。雰囲気とは不思議なものだ。

 先週の初めに三回目のワクチン接種に行った。一回目と二回目の接種を受けた診療所から一月に電話があり、「予約を取るのは大変のようですから、当方から電話を差し上げました」と云って接種の日を決めて下さった。三回目はモデルナであるがいいかと念を押された。全てをファイザーにした方がいいように思ったが、家内に相談すると「水じゃなければどっちでもいいわ」と云うので診療所の申出通りにモデルナにした。後で知ったことだが、抗体の量がファイザーだけの場合は20倍であるが、三回目をモデルナにする交互接種だと31.7倍となるそうだ。打ち終わってすぐは全く問題はなかったが、夜になって左腕がファイザーの時よりやや痛いように感じた。而し、次の日には痛さがかなり軽減され、やがて痛みはなくなった。

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