TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 449

2023年09月17日 | エッセイ
 高校時代の仲の良かった友人たちとの飲み会に行った。その中の一人が「タイのラブ・ホテルって、掛布団はおろか毛布もない」と云った。全員の驚いた顔を見た友人は「そうじゃないよ、男同士で泊ったんだ」。初めてのタイへの出張で、おぼつかないがタイ語をなんとか話せる部下と一緒だった。ラオスとの国境を接するあたりの取引先に行ったのだが、観光シーズンであったためかバンコクに戻るとホテルに空きがなく、めぼしいホテルには全て満室であると断られた。出張前に先輩から、バンコクは非常に危険で下町の胡散臭いホテルなどに泊まると従業員が強盗に早変りする危険性があると大げさに脅されていた。全くそのような心配はないと思うが、先輩の云うことは聞くべきだと二人で相談し、割と高級そうなラブ・ホテルに泊ったのだそうだ。最初は快適な冷房と喜んだが、時間がたつにつれて快適を通り越してどんどん寒くなってきた。全館冷房は良かったのだが設備が古いためか、各部屋で冷房温度はおろか風量の調節も出来ず、その上毛布もない状態では男同士では抱き合うことも出来ず、とても寝るどころではなかったと云っていた。聞いていて、悪いが吹き出してしまった。

 タイには20数回行っているが、危険を感じたことなどなかった。東南アジアの中では最も治安のいい国の一つであり、非常に安全だった。人の悪い「先輩」もいたものだ。20代から30代になったばかりの頃は、誰もが子育てに金がかかり小遣いは非常に乏しい時期だった。我々が集まったのは渋谷が主だった。私が利用していた中央線の終電はかなり遅くまであったが、横浜や千葉、或いは埼玉方面に帰る連中は終電に乗り損なうことが屡々だった。タクシー代に二万円や三万円も払うくらいならと、誰が云いだしたかは知らないが、男同士でも二人ならラブ・ホテルに泊まれると云った。泊まり賃は高くとも5千円から一万円だった。割り勘なら非常に安くつく。その友人は、何年も前のそれをバンコクで実践したのだった。

 以前にも書いたと思うが、日本からラングーン(現ミャンマーの首都ヤンゴン)への直行便がなかった時代には、往復ともバンコクに一泊しなければならなかった。チェック・アウトの時にラングーンから戻った時のために予約をしておくのが常だったが、その時は忘れてしまった。絶対に部屋は確保出来ると確信していたが、運悪く満室だった。而し、従業員の一人が小さいが清潔なホテルと交渉してくれ、然もそこまで自分の車で送ってくれた。感謝である。

 小説を主体とする月刊誌で「風の盆」と云う短編小説の名作を読んだ。そして非常に感銘を受け、おわらの風の盆の踊りを撮りに行きたいと願ったが、何年も果たせなかった。やっと行けると、その魅力に魅かれて何年も通い続けた。阿波踊りとは違い、音楽も静かなら、踊りも静かだった。だが残念なことに、年々柄の悪い観光客や無作法な写真の撮り方をする連中が増えて、静かな踊りが静かではなくなってしまった。非常に残念ではあったが、私は行くのを止めた。













最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。