前々回に続きビルマ(現ミャンマー)のことを少々書いてみたい。ミャンマーと書かずにビルマ、ビルマと書くのは、私にとってのあの国は未だにビルマの印象が強く、ミャンマーとは別の国のように感じるからである。
以前にも書いたと思うがホテルに備え付けの化粧石鹸はザラザラしており、匂いもなく泡立ちも悪い。それどころか石鹸の本来の目的である体の汚れを完全に落とす能力に欠けていた。端的に云えば、使い物にならない粗悪品である。それで次回からは日本から石鹸を持参した。
その時にビルマに持って行った石鹸だが、アメリカの軍隊の官給品である「Floating Soap」(フローティング・ソープ、水に浮く石鹸)と呼ばれている化粧にも洗濯にも使える石鹸である。アメリカ兵が野戦の際、汚れた体を川で洗い落とすときに使うものである。従って、手から離しても水に浮かんでいる。決して沈まない。そして匂いが完全にない。敵兵から察知されない用心の為である。私のアメリカ兵の部下の一人に消耗品係の若い、軍曹になったばかりの奴いた。石鹸、トイレット・ペーパー、事務用品等々のありとあらゆる消耗品を仕入れてきては我々のために適正な量を貯蔵していた。それがどうしたわけか、「Floating Soap」だけが間違ってとてつもない量を購入してしまった。自分の妻や二人の小さな娘も毎日使っているが全く問題ないので私にも使ってほしいと云われた。車に積んでおくと云われたのでカギを渡した。帰宅してトランクを開けて驚いた。60個入の石鹸の箱が二つも積んであった。何人もの友人や従弟や従妹たちにも使って頂いた。その時の残りが仕舞ってあったので、ビルマに持って行った。
余談だが、アメリカの石鹸はラックスやドウブが日本ではよく知られているが、この二種とも匂いはいいがすぐに柔らかくなり、減りが非常に早い。時計マークの「ダイヤル」と云う石鹸は非常に硬く、風呂場でうっかりお湯をかけっぱなしにしていても硬いままの状態を保っている。フローティング・ソープはこのダイヤルを大型にしたようなものだ。
ラングーン(現ヤンゴン)から車で6~7時間ほど行ったところにご希望のカリンがあるので、明朝にお連れしたいと取引先から云われた。翌朝、戒厳令が終わるのを待ち、まだ暗かったがホテルの前で迎えの車を待った。途中、バナナを主体の朝食を食べ、昼食前にやっと現地に着いた。だが、そこには5立米ほどのカリンしかなかった。そして次の場所に案内されたが似たり寄ったりだった。
辺りは暗くなり、でこぼこの道をラングーンまで帰るのは非常に危険である。周囲にホテルなどない。近くにあるビルマ陸軍の駐屯地の宿舎に泊めて貰うことになった。そのようになると予想していたのか、事前に用意されていた軍の有力者からの紹介状がものを云った。
ホテルとは違い、大部屋のコンクリートの上に置かれた軍隊用の折り畳み式簡易ベッドだった。シャワーを浴びに行ったがお湯ではなく水だった。ここでアメリカ軍のフローティング・ソープを使った。同行の取引先の社長や社員にも使って頂いた。私から受取ると彼らは真っ先に石鹼の匂いを嗅いだ。その瞬間に日本の石鹸はさぞいい匂いだとのイメージは消されたに違いない。面倒なので、石鹸の由来を説明しなかった。ビルマ陸軍の基地にアメリカ軍の正規の官給品が侵入したのはこれが最初で最後であろう。
初めて飯能の古民家を撮ったのは建築家のグループの講習会と土地の建築家との親睦を兼ねた会であった。建築家ではないが私も誘われて参加した。その折に、撮影会では絶対に得られない古民家についての知識を多く仕入れた。その時のものと次の機会に仲間を誘って再度飯能に行ったのが以下の写真である。






以前にも書いたと思うがホテルに備え付けの化粧石鹸はザラザラしており、匂いもなく泡立ちも悪い。それどころか石鹸の本来の目的である体の汚れを完全に落とす能力に欠けていた。端的に云えば、使い物にならない粗悪品である。それで次回からは日本から石鹸を持参した。
その時にビルマに持って行った石鹸だが、アメリカの軍隊の官給品である「Floating Soap」(フローティング・ソープ、水に浮く石鹸)と呼ばれている化粧にも洗濯にも使える石鹸である。アメリカ兵が野戦の際、汚れた体を川で洗い落とすときに使うものである。従って、手から離しても水に浮かんでいる。決して沈まない。そして匂いが完全にない。敵兵から察知されない用心の為である。私のアメリカ兵の部下の一人に消耗品係の若い、軍曹になったばかりの奴いた。石鹸、トイレット・ペーパー、事務用品等々のありとあらゆる消耗品を仕入れてきては我々のために適正な量を貯蔵していた。それがどうしたわけか、「Floating Soap」だけが間違ってとてつもない量を購入してしまった。自分の妻や二人の小さな娘も毎日使っているが全く問題ないので私にも使ってほしいと云われた。車に積んでおくと云われたのでカギを渡した。帰宅してトランクを開けて驚いた。60個入の石鹸の箱が二つも積んであった。何人もの友人や従弟や従妹たちにも使って頂いた。その時の残りが仕舞ってあったので、ビルマに持って行った。
余談だが、アメリカの石鹸はラックスやドウブが日本ではよく知られているが、この二種とも匂いはいいがすぐに柔らかくなり、減りが非常に早い。時計マークの「ダイヤル」と云う石鹸は非常に硬く、風呂場でうっかりお湯をかけっぱなしにしていても硬いままの状態を保っている。フローティング・ソープはこのダイヤルを大型にしたようなものだ。
ラングーン(現ヤンゴン)から車で6~7時間ほど行ったところにご希望のカリンがあるので、明朝にお連れしたいと取引先から云われた。翌朝、戒厳令が終わるのを待ち、まだ暗かったがホテルの前で迎えの車を待った。途中、バナナを主体の朝食を食べ、昼食前にやっと現地に着いた。だが、そこには5立米ほどのカリンしかなかった。そして次の場所に案内されたが似たり寄ったりだった。
辺りは暗くなり、でこぼこの道をラングーンまで帰るのは非常に危険である。周囲にホテルなどない。近くにあるビルマ陸軍の駐屯地の宿舎に泊めて貰うことになった。そのようになると予想していたのか、事前に用意されていた軍の有力者からの紹介状がものを云った。
ホテルとは違い、大部屋のコンクリートの上に置かれた軍隊用の折り畳み式簡易ベッドだった。シャワーを浴びに行ったがお湯ではなく水だった。ここでアメリカ軍のフローティング・ソープを使った。同行の取引先の社長や社員にも使って頂いた。私から受取ると彼らは真っ先に石鹼の匂いを嗅いだ。その瞬間に日本の石鹸はさぞいい匂いだとのイメージは消されたに違いない。面倒なので、石鹸の由来を説明しなかった。ビルマ陸軍の基地にアメリカ軍の正規の官給品が侵入したのはこれが最初で最後であろう。
初めて飯能の古民家を撮ったのは建築家のグループの講習会と土地の建築家との親睦を兼ねた会であった。建築家ではないが私も誘われて参加した。その折に、撮影会では絶対に得られない古民家についての知識を多く仕入れた。その時のものと次の機会に仲間を誘って再度飯能に行ったのが以下の写真である。





