申年にちなみ、多少猿の話をしたい。私は第二外国語にフランス語を選択した。恥ずかしいことに、マダガスカルとの商取引に於いて全く役に立たなかった。彼等の公用語はマダガスカル語とフランス語である。多少は覚えていた単語もあったが、商売とは何の関係もない単語だった。
フランス語が役に立たなかった反省から、「猿語」の習得に努めた。長野県の地獄谷野猿公苑に10年も通い続け、日夜努力した。以下にその成果をご覧に入れたい。

「ねぇ、ドレス買ってぇ」

「寝たふりしないでよ!」

(ヘソクリを出すしかねぇかなぁ)、と彼は私にぼやいた。

「ちょっと、ウチの人にチョッカイ出さないでよ!」

ポートレートを撮らして頂けないかとボスにお願いすると、彼は気軽に応じてくれた。私にはこれほど威厳のある表情は出せない。

「何か文句あるか!」と悪ガキに凄まれた。

「誓って嘘は申しません」と彼はボスに訴えていた。

「よっ」「お前、遅ぇじゃねぇか!」

「そのへんで止せよ」と喧嘩の仲裁をしていた。

「やるか!」。彼は勇敢にも2匹を相手に立ち向かおうとしていた。

「綺麗に撮ってね」と妙齢のご婦人に頼まれた。

「今年こそ」と彼は一大決心をしたようだ。私も自然と力が入った。
以上の写真の共通データは、5Dに24-105mm、4L、5Dに70-200mm、2.8L及び7Dに24-105mm、4Lを装着し、絞りはf5.6~f22で全てを絞り優先で撮影した。露出補正は―1~±0で、雪景色であっても主体が猿であったので+補正は一切しなかった。
「折々の写真&雑感2」でも多少触れたが、少々付け加えたい。ご存じのように猿は犬や猫と違い、相手を匂いではなく「顔」で認識する。それだけ知能が高いのであろう。私の家内は「猿に顔を覚えられるほど通うなんて!」と呆れているが、何回も、何回も行きたくなるほど彼等は可愛い。
この野猿公苑の猿は全くの野生である。病気になっても、怪我をしても保護されることはない。自然のままに息絶える。それまで精一杯、たくましく、楽しく生きる。彼等は気が向けば私に近寄り、手を握る奴もいる。肩に乗ってしまう奴もいる。だが、私からは手を出せない。餌もやれない。それが野生猿に対する接し方のルールである。
フランス語が役に立たなかった反省から、「猿語」の習得に努めた。長野県の地獄谷野猿公苑に10年も通い続け、日夜努力した。以下にその成果をご覧に入れたい。

「ねぇ、ドレス買ってぇ」

「寝たふりしないでよ!」

(ヘソクリを出すしかねぇかなぁ)、と彼は私にぼやいた。

「ちょっと、ウチの人にチョッカイ出さないでよ!」

ポートレートを撮らして頂けないかとボスにお願いすると、彼は気軽に応じてくれた。私にはこれほど威厳のある表情は出せない。

「何か文句あるか!」と悪ガキに凄まれた。

「誓って嘘は申しません」と彼はボスに訴えていた。

「よっ」「お前、遅ぇじゃねぇか!」

「そのへんで止せよ」と喧嘩の仲裁をしていた。

「やるか!」。彼は勇敢にも2匹を相手に立ち向かおうとしていた。

「綺麗に撮ってね」と妙齢のご婦人に頼まれた。

「今年こそ」と彼は一大決心をしたようだ。私も自然と力が入った。
以上の写真の共通データは、5Dに24-105mm、4L、5Dに70-200mm、2.8L及び7Dに24-105mm、4Lを装着し、絞りはf5.6~f22で全てを絞り優先で撮影した。露出補正は―1~±0で、雪景色であっても主体が猿であったので+補正は一切しなかった。
「折々の写真&雑感2」でも多少触れたが、少々付け加えたい。ご存じのように猿は犬や猫と違い、相手を匂いではなく「顔」で認識する。それだけ知能が高いのであろう。私の家内は「猿に顔を覚えられるほど通うなんて!」と呆れているが、何回も、何回も行きたくなるほど彼等は可愛い。
この野猿公苑の猿は全くの野生である。病気になっても、怪我をしても保護されることはない。自然のままに息絶える。それまで精一杯、たくましく、楽しく生きる。彼等は気が向けば私に近寄り、手を握る奴もいる。肩に乗ってしまう奴もいる。だが、私からは手を出せない。餌もやれない。それが野生猿に対する接し方のルールである。
彼等の写真を撮っていると、まるで自分も仲間になったような錯覚を感じます。猿どもは人間さまの私を全く意識せず、そこに存在している事も無いように振る舞っています。もし、私に気が付いても、変わった仲間ぐらいにしか感じないでしょう。