田中一村
明治41年(1908)、栃木県に生まれました。18歳のときには、東京美術学校
(現在の東京芸術大学)日本画科に入学するなど、将来を嘱望されながらも、
病気や生活苦の中で中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みました。
昭和33年、50歳の時に南の島々の自然に魅せられ、奄美大島に移り住み、大島紬
の工場などで働きながら、衣食住を切り詰め、不遇とも言える生活の中で奄美を
描き続け、昭和52年(1977)、69歳でその生涯を終えました。
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彼の絵は、chibiの中学の美術の教科書の表紙にもなっているようだ。
奄美に移ってからの彼の絵は、ゴーギャンがタヒチで描いた絵のように色鮮やかで
とても生き生きとしている。亡くなってから日の目をみたようだが、清貧の中、
奄美の季節の移り変わる自然信仰を絵に現しているかのような作風はみごと。
ファンになりました^^
明治41年(1908)、栃木県に生まれました。18歳のときには、東京美術学校
(現在の東京芸術大学)日本画科に入学するなど、将来を嘱望されながらも、
病気や生活苦の中で中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みました。
昭和33年、50歳の時に南の島々の自然に魅せられ、奄美大島に移り住み、大島紬
の工場などで働きながら、衣食住を切り詰め、不遇とも言える生活の中で奄美を
描き続け、昭和52年(1977)、69歳でその生涯を終えました。
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彼の絵は、chibiの中学の美術の教科書の表紙にもなっているようだ。
奄美に移ってからの彼の絵は、ゴーギャンがタヒチで描いた絵のように色鮮やかで
とても生き生きとしている。亡くなってから日の目をみたようだが、清貧の中、
奄美の季節の移り変わる自然信仰を絵に現しているかのような作風はみごと。
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