飯能市は、埼玉県の南西にある人口約8万5千人の市。市内の7割が山野で、南東
端に市街地が集中している。東京のベッドタウンであるほか、周辺地域の鉄道や
道路の要所でもある。
『続日本紀』によれば、「奈良時代の霊亀2年(716年)、飯能周辺に1,799人の
高句麗系渡来人が集められ、高麗(こま)郡が置かれた」とあります。中世より
林業で栄えた。江戸時代 - 江戸での相次ぐ火事により木材の需要が増え、入間
川の水運により10日ほどで運ばれる飯能の材木は「西川材」と呼ばれ栄えた。
仕事で、飯能まで行きました。いや~、この町、なかなか良い空気が漂っていま
す。生活感があって活気のようなものを感じました。道路は狭くごちゃごちゃ
した感はあるのですが、生活と自然が古くから溶け込んでいるような印象を受け
ましたね。調べてみると、やはり上記のような歴史を背負っていたってわけです^^
(でも写真撮ってません^^;)
飯能市の西のはずれ、旧名栗村地区にある、さわらびの湯から見た村の景色。
名栗湖(有間ダム)は、入間川支流の有間川に、昭和61年、県営第1号として完成した多目的ダム。静かでした・・・・・。
端に市街地が集中している。東京のベッドタウンであるほか、周辺地域の鉄道や
道路の要所でもある。
『続日本紀』によれば、「奈良時代の霊亀2年(716年)、飯能周辺に1,799人の
高句麗系渡来人が集められ、高麗(こま)郡が置かれた」とあります。中世より
林業で栄えた。江戸時代 - 江戸での相次ぐ火事により木材の需要が増え、入間
川の水運により10日ほどで運ばれる飯能の材木は「西川材」と呼ばれ栄えた。
仕事で、飯能まで行きました。いや~、この町、なかなか良い空気が漂っていま
す。生活感があって活気のようなものを感じました。道路は狭くごちゃごちゃ
した感はあるのですが、生活と自然が古くから溶け込んでいるような印象を受け
ましたね。調べてみると、やはり上記のような歴史を背負っていたってわけです^^
(でも写真撮ってません^^;)
飯能市の西のはずれ、旧名栗村地区にある、さわらびの湯から見た村の景色。
名栗湖(有間ダム)は、入間川支流の有間川に、昭和61年、県営第1号として完成した多目的ダム。静かでした・・・・・。