レストランで「食後のお飲み物は一緒にいかがですか」
と聞かれると、特にそうは思ってなかったとしてもたいていの場合は断れない。
美容院で終わった後に鏡で後ろ髪を見せられて「どうですか」と言われて「ここがもう少し短い方が・・」
なんていった試しがない。
「これ欲しいですよね?」「これでいいですよね?」という意味合いを含んだことを言われると無下にできない。
断っておけば・・とか、意見しておけば・・と後悔することもままある。
断ってはいけないことも、意見してはいけないことも本当のところないのはわかっている。
なんとなくそれができないのは「嫌な奴」と思われたくないから、なのだろうと思う。
根が小心者なのだ。
ある程度、衝突を楽しめるとわかった人には強くも出る。
私にとってはそれは信頼の証で、できる限り特に職場ではそうありたいと思っている。
しかし相手のことがわからない場合に私は私を貫くことができないことも多くて、衝突しそうだと思ったら全力で避けに行く。
ときにそれは人に対して優しくないし、強くもない。
自分以外の他人あふれる社会の中に生きているから、他人への依存はどうしても避けられなくて、でも、何せ自分以外は皆他人なものだから、依存はときに期待による不安感を生む。
他人との関わり合いという意味で、ある程度の依存はあって然るべきものだ。
私が避けてしまった関わり合いを、私は他で求めているような気がして、なんだか納得のやり場がない。
依存と、してもいい甘え、の境目が今自分でわからない。
関わりあうことで影響しあうことも素敵なことである。
それでしか得られないものもたくさんある。
しかし、芯の部分で独立していなければならない。
迎合が生むものは、のちの空虚であるように思う。
他人を寄せ付けない独立っぷりではなくて、他人を受け入れられるような柔らかさを持ちつつ、私が確実に私であると胸張って言える独立っぷりを身につけたい。
昨日、たまたま見たNHKのドラマ「カレ、夫、男友達」
治子がとった行為は私には解せないけれど、治子にとって本当のことは本当であるのだとは思う。
足りないものがなんとなく見える。
仮にそれが足りたときにも、自己を確立し続けることとアンテナを立て続けておくことできるくらい独立しておかなければと思う。
自分のことをばりんばりんに叩き割って、割れた破片を淘汰して、もう一回作り上げるくらいとかそういうたいそうなことではないけれど、明らかな揺らぎの中にいる。
お昼のレストランの食後のコーヒーから、膨れ上がった揺らぎの中。
と聞かれると、特にそうは思ってなかったとしてもたいていの場合は断れない。
美容院で終わった後に鏡で後ろ髪を見せられて「どうですか」と言われて「ここがもう少し短い方が・・」
なんていった試しがない。
「これ欲しいですよね?」「これでいいですよね?」という意味合いを含んだことを言われると無下にできない。
断っておけば・・とか、意見しておけば・・と後悔することもままある。
断ってはいけないことも、意見してはいけないことも本当のところないのはわかっている。
なんとなくそれができないのは「嫌な奴」と思われたくないから、なのだろうと思う。
根が小心者なのだ。
ある程度、衝突を楽しめるとわかった人には強くも出る。
私にとってはそれは信頼の証で、できる限り特に職場ではそうありたいと思っている。
しかし相手のことがわからない場合に私は私を貫くことができないことも多くて、衝突しそうだと思ったら全力で避けに行く。
ときにそれは人に対して優しくないし、強くもない。
自分以外の他人あふれる社会の中に生きているから、他人への依存はどうしても避けられなくて、でも、何せ自分以外は皆他人なものだから、依存はときに期待による不安感を生む。
他人との関わり合いという意味で、ある程度の依存はあって然るべきものだ。
私が避けてしまった関わり合いを、私は他で求めているような気がして、なんだか納得のやり場がない。
依存と、してもいい甘え、の境目が今自分でわからない。
関わりあうことで影響しあうことも素敵なことである。
それでしか得られないものもたくさんある。
しかし、芯の部分で独立していなければならない。
迎合が生むものは、のちの空虚であるように思う。
他人を寄せ付けない独立っぷりではなくて、他人を受け入れられるような柔らかさを持ちつつ、私が確実に私であると胸張って言える独立っぷりを身につけたい。
昨日、たまたま見たNHKのドラマ「カレ、夫、男友達」
治子がとった行為は私には解せないけれど、治子にとって本当のことは本当であるのだとは思う。
足りないものがなんとなく見える。
仮にそれが足りたときにも、自己を確立し続けることとアンテナを立て続けておくことできるくらい独立しておかなければと思う。
自分のことをばりんばりんに叩き割って、割れた破片を淘汰して、もう一回作り上げるくらいとかそういうたいそうなことではないけれど、明らかな揺らぎの中にいる。
お昼のレストランの食後のコーヒーから、膨れ上がった揺らぎの中。